3
「悪いが、お前とは逆に俺は都市のことを知らない。そっちのことに関しては憶測を混ぜて話すが、それでいいか」
「ええ。今向こうがどうなってるかわからないけれど、私が知っている限りでは貴方の想像と大差ないわ」
「そうか。半年ぐらい前か、サイボーグ手術を受けた人間が都市内部からここへ追い出されたのは、流石に間違ってないよな」
「私の記憶が正しければ。忘れたくても忘れられない事だけどね」
「ああ、それに関しては全く同じ意見だな」
呟くように言ってから、ウェインは何処か遠くを見るような目を窓の奥に向ける。ここからは決して見えないが、瞼の裏に高く反り立つ絶壁の光景が焼き付いていた。
踏み越える事の許されない、内と外を隔てる壁。外にある建造物は、全てその壁よりも低く作られていた。規則として定められた訳では無い。ただ絶対の畏れとして、刻まれているのだ。
自嘲気味な笑みを残して、ウェインは言葉を続ける。
「あの一件があってから、ここの雰囲気も随分と変わった。前は多少のいざこざは日常茶飯事だったとはいえ、大きな事件は滅多に起きなかった。普通に暮らしてるやつも、普通の店も、随分と減ったな」
「あら、そうなの。壁の奥では毎日何十人も人が死んでいるって言われてたけど」
「それは間違ってない。多少のいざこざって言ったって死ぬときは何人も死ぬし、食い扶持を失って衰弱死、盗みがバレて処刑される奴もいる。敢えてそういう道を選んで通れば、もれなく新鮮な死体が拝めるが」
冗談のつもりではないのか、その声はいつもの気取った様子が感じられなかった。どうだ? と聞いてくるウェインを、アメリアは不機嫌さを隠さずに拒絶する。信頼にリラックスしていた表情が、卑しい物を見るものに変わっていた。
「気を悪くしたなら悪かったよ。だが、そういう世界って事だ。しかも今となっては、元がこんなだった癖に更に酷いがな」
「どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ。一般市民はさておき、金や資源、地位まで持っていた上流階級の方々までもがここに落ちぶれてきたんだ。めちゃくちゃになるに決まってる。あんたみたいな誘拐事件だって腐るほど起きてるし、お陰で俺らは商売繁盛だ」
皮肉の込もった嫌みったらしい言葉に、アメリアが軽く眉を上げる。すぐ返されない言葉の間を察してか、そのままウェインが続けた。
「そういえば、あんたの両親はそういう何処ぞの勢力に荷担しているようには見えなかったな」
「そうよ。元々、私の両親はそういう裏のやり取りに関わるほど低俗じゃないわ」
「なるほど。それで一杯食わされてここに追い出され、挙げ句娘を誘拐されるとまで来てるのか」
「どういう意味よ」
さっきと同じ言葉、だがそれに含まれる悪意の量が違った。刺々しいそれをするりと躱すように、ウェインが答える。
「そういう清廉潔白ぶってる偽善者はな、裏でのやり取りが好きな奴からしたら目障り極まりないんだよ。恐らくはいずれ排斥運動が起きるとわかっててそそのかされたな」
「言わせておけば、貴方は内部のことは知らないんじゃなかったの?」
「ああ。だから全部憶測だ。アメリア、お前はサイボーグ手術を受けていないだろう」
「ええそうよ。それが?」
「なら、本来はお前まで追い出されるのはおかしいはずだ。厄介払いされたんだよ、都合良く」
憶測であるとうそぶきながら、何かしら確信を持っているかのような物言い。どうにかして言い返したいはずなのに、アメリアはそれが出来なかった。
事実、彼女の中にあるのは弾圧と迫害の記憶のみである。
「いや、内部でサイボーグの排斥運動があったのは聞いた話だ。確か親の片方でもサイボーグ手術を受けていた場合、その子供はすぐに手術を施さないと死んでしまうほど弱い子供が生まれてしまう。そこまで仕組まれていたのかは知らないが、そこから本当の人間のあるべき姿ではない、とか言われ始めたんだっけか?」
「あまり嫌なことを思い出させないで欲しいわね」
「事実みたいだな。そしてそういう運動を扇動した人間が、今の都市のトップだとも、聞いているぞ」
「何よ。結構知ってるんじゃない」
ふてくされてしまったかのように、アメリアが呟く。懐かしむようで、されど憐れみの籠もった声は何処に向けて放たれたものなのだろう。
「お母さん達も、私も、薄々気づいていた事よ。でもその頃には手遅れだったし、大きな流れには、無理に逆らわないようにした。それがこのザマよ」
「なるほどな。後悔しているか」
「いいえ、別に私達がどうこうしたところで結果は変わってないと思うわ。寧ろ、今より悪くなっていたかもしれない」
「ハッ、このゴミ溜めより悪いってか」
「内部の下らない奴らより幾らかはマシよ。あんたらみたいなのはね」
「これはこれは、私めには勿体ないお言葉で」
芝居めかして言ってから、だがな、とウェインは続ける。
「あんまり誤解はしない方が良い。たまたま今回は俺達がお前の味方だっただけだ。俺達は金さえ積まれればどんな汚れ仕事もするし、裏切りもする。お前が心底嫌っている奴らと、なんら変わりない」
「あら、じゃあお金を積めばずっと味方でいてくれるの?」
アメリアが意地悪そうな声音で、だがどこか可愛らしげに返す。それをウェインは至極愉快そうに、鼻で笑い飛ばした。
「猛獣を飼うには高くつく。手を噛まれないようにな」
「怖いわね。貴方と違って、まだ噛まれる手があるもの」
「……そうだな」
「そう考えると貴方のウェインって名前は言い得て妙ね、腕が欠けてるもの。自分で名乗ってるんでしょう?」
「確かに本名じゃない。だが、その単語は本来人に使わないものだぞ」
居心地の悪そうにラックが答えると、くすくすとアメリアが笑う。一定のスピードを保ったまま車は進み続け、周りには既に背の高いビルが息苦しいほどに並んでいた。日が落ち始めたのか、空は軽く赤みを帯び始めている。
「意外と貴方にも可愛らしい所があるのね」
「うるせぇ。俺からの説明は大体終わりだ、何か聞きたいことは」
「そうねぇ」
アメリアが唇に指を当て、考える仕草を取る。無駄な音を立てない車が静寂の上を走っていた。淡泊な時間が少し過ぎて、ラックがエンジン音を入れる。
小気味の良い重低音に一瞬疑問の表情を浮かべたアメリアも、すぐ自分の思考に戻る。
「そうだ、私が攫われた理由とか、わかる?」
「まだわからないな。これから調べることになるだろう。何処が攫ったか、ぐらいならわかるぞ」
「聞かせて」
少し甘えるような声音にラックがルームミラーを見上げる。予期していたのか、鏡の中で互いの視線が交差してから、すぐに目の前の景色へと焦点を戻した。
「サルヴァトーレって組織だ。昔からここら辺では幅をきかせている。組織単体の強さなら上から数えて5番目には入るだろうな」
「ああ、そういえば私達に喧嘩を売るのは馬鹿だとか言ってたわね。大丈夫なの?」
「あんまり。だが組織が大きくなりすぎた結果、末端の統制まではできていないみたいだからな。今回の一件がその末端の暴走程度なら、これで何事も無く終わるだろう。上の指示があってのことなら、その上の奴と俺達は面識がある。何とかするさ」
「頼もしいわね。ああでも、私と話した人は上の指示がどうとか言ってたわよ」
「どうにもならなくなったらお前を置いて逃げるから、走って逃げろよ」
「ちょっと、前言撤回するわ」
焦った物言いのアメリアに、ウェインが冗談だと吹き出した。
「しっかり対価を払うなら、無理難題でもやり通す。それがブラックアウトのポリシーだ」
「さっきも言ってたわね。ブラックアウトって」
「俺達、と言っても3人しか居ないが、その名前だ。どうだ、カッコイイだろ」
「……3人しか居ないって冗談よね? 嘘でしょ?」
「俺は意味のない嘘は言わない主義だ」
言いながらハンドルを切り、車は大きな通りからまた裏路地に入っていった。途端に薄暗くなった視界は、ライトを付けなければ細部がわからないほどである。
はぁー、と小馬鹿にするような息を吐いて、アメリアはがっかりと肩を落としていた。
「もうすぐアジトに着く。変な奴も居るから覚悟してくれよ」
「それはもう、貴方で慣れたわ」
小刻みに軽快な会話を続けながら、車は更に路地の奥へと進んでいく。




