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「よし、もう大丈夫だ」
「ありがとう……」
しっかりと両足が地面の感覚を取り戻したのを確認してから、抱きかかえたアメリアを下ろす。腰に繋がれたワイヤーを外すと、するすると上に登っていった。ウェインは警戒するように周りを見る。
そこで、衝撃に崩れた何かの肉を見つけて、アメリアの視界に入らないように立ち位置を移した。
降り立ったのは人気の無い、建物と建物の間の裏路地のような場所だ。見上げると壁伝いに降りた建物が頭一つ抜けて高いのがわかる。どうやら予定していた降下ポイントに降りることが出来たらしい。取り敢えずの達成感に、ウェインは浅く息を吐いた。
そうしてから、今まさに降りてきたビルを見上げるアメリアにウェインは手を伸ばす。
「どうかしたか?」
「何も。ただ、外に出てみれば小さな牢獄だと思っただけよ」
「拍子抜けだったか?」
向けられた手に、アメリアは押し返すように手の平を向け、軽く靴を鳴らす。
ウェインは少々面食らった顔をしていたが、すぐに普段の余裕ある笑みに戻した。
「行くか」
「ええ」
取られなかった手を大げさに振って、周囲を警戒しながら歩を進める。コンクリートの壁が靴音を小さく反響させて、それが尚更緊張感を煽った。入り組んだ路地をすり抜けるように、幾つもの角を曲がる。見失う不安からか、いつの間にかウェインは右手が軽く握られていることに気づいた。
その手を軽く握り返して、少し歩くスピードを緩める。どれぐらいの間そうやって進んでいただろうか。今までより少し広い道に出てから、ウェインはようやく足を止めた。
「もう安心して良いぞ」
そう言って振り返ると、少女は慌てて手を後ろに回してから顔を逸らす。
「そう、良かったわ。それで? ここからどうすればいいの?」
「そう急かすなよ。すぐ戻るから少し待ってろ」
いたたまれない気持ちを見透かしたように、笑い混じりの声でウェインは返す。馬鹿にされているような色合いを感じたアメリアは眉根を寄せるが、何も言い返せず小さく唸った。
これなら大丈夫そうだな、とアメリアを置いてウェインは目的地へ向かう。耳元の無線機のスイッチを入れてから、別の場所に居る仲間へと繋いだ。
「こっちは回収地点に着いた。もう大丈夫だろう。そっちはどうだ? レディ」
『先に行く、なんてカッコつけておいて遅いじゃないか。こっちはもう片付いたよ。』
「……皆殺しか?」
『まぁ、そうなったね。人数は少なかったし、思いの外手応えはなかったかな』
自慢気だがどこか寂しそうな、つまらなさそうな声に、ウェインは数秒絶句する。考え込むように目を閉じてから、口を開けた。
「そうする必要があったのか」
『姿を見られた以上仕方なかった。説教したいなら、面と向かって言って欲しいな』
「そういう訳じゃねぇ。じゃあな」
棘が混じらないように平静な声を出して、ウェインは無線を切った。丁度辿り着いていた目的物を見やり、かけられていたビニールを取り払う。
中から現れたのは、少し古めかしさを感じさせる四人乗りの自動車だった。顔のように見えるフロントから運転席にかけて流線型に盛り上がっており、そのまま緩く弧を描きながら後部へと続く。サイドミラーは運転席側しかついておらず、それも今は車体に埋まるように隠れていた。
薄く射す日光がつや消しの施されたワインレッドの塗装を映し出す。車体に異物が取り付けられていないか注意深く確認してから、ウェインは慣れた手つきでそれに乗り込んだ。
内部もまんべんなくチェックしてからエンジンをかける。ドッと重い音を吐いてから、ゆったりとそれは動き始めた。狭い道を微調整をかけながら進んでいく。アクセルを踏んでは抜き、踏んでは抜いてを繰り返して、それに合わせてリズミカルなエンジン音が続いた。
それに気付いたのか、何事かと曲がり角から顔を出したアメリアが、こちらを見てからすぐに顔を引っ込める。しょうがない、というような笑みを浮かべたウェインは少し強めにアクセルを踏んだ。
先程顔が見えた曲がり角に後部座席のドアが来るように車を止める。
「乗りな」
下げた窓から顔を出してウェインが呼びかける。アメリアがおずおずと手を伸ばして、ドアのロックが解除される機械的な音にビクッとその手を引っ込めた。いたずらっぽい笑みを浮かべたウェインを横目で睨み、アメリアは後部座席に乗る。わざとらしく乱暴にドアを閉めた。
「おいおい、結構いい奴なんだから乱暴はやめてくれよ」
「ええそうみたいね、随分とオンボロを使ってるじゃない」
その言葉を聞いたウェインが、残念そうに後ろへ振り向く。何よとアメリアが睨むと、別にと顔を正面に戻した。
「オンボロとは、わかってねぇなぁ」
「事実じゃない。外装も古めかしいし、操縦も手動でしょう?」
「まぁ外装は趣味だが、こう見えても中は最新だぞ」
「ならこのわっかりやすい音はどこから鳴ってるの?」
「ああ、それはただの景気づけだ。うるさいなら消そうか」
ハンドルを握る片方の手を離し、何やら別の場所を操作しはじめる。すると、先程まで小さく鳴っていたエンジン音がピタリと止んだ。心なしか車の揺れも減ったかもしれない。
静かになった車内で、アメリアが怪訝そうな表情を浮かべる。
「ガソリンで動いているわけではないみたいね」
「流石にな。何かの拍子に引火されても困る。ああ、でも自動操縦は出来ないぞ。つまらんしな」
「やっぱりオンボロじゃない」
これ見よがしに嫌味っぽく言うと、ハッとわざとらしく笑い飛ばされた。
「元上流階級のお嬢様はそういうヤンチャはしないと思うが、こいつで滅茶苦茶に走り回ったりするんだ、そんなのに自動操縦なんか付けられるかよ」
「さっきからお嬢様って……」
「なんだ、特別扱いは嫌いか?」
「いえ、いいわ」
機先を制するように言われ、諦めの混じったような声でアメリアが答える。ウェインがもう一度後ろへ振り向くと、アメリアは何処か遠くを見るように外を眺めていた。上体を戻し、ウェインはハンドルを握る。
「まだ『都市』に思い入れがあるのか」
「え?」
「さっき、今までみたいに元気に噛み付いてこなかったからな」
自覚のない所で観察されていた事を理解したアメリアは、軽く居住まいを正してから答える。
「別にそう言う訳じゃ無いわよ。ただ……」
「ただ?」
「私がここのことを何も知らないだけ」
思いの外健気な答えに、ウェインがほう、と息を吐く。車は既に裏路地を抜け、高く昇った太陽が車内を照らした。
「そうだな、ここからアジトまで時間がある。案内でもしてやろうか」
「そんな呑気な事はできないでしょう。口で説明してくれるだけで良いわよ」
普段通りの声音だが、多少期待が混じっている声に、ウェインが口角を上げる。退屈はしなさそうだな、と呑気なことを考えていた。