10
「どうぞ。狭いけど、許してね」
先頭に立ったレディがドアを引き、そのまま中に入っていく。完全な暗闇へ長身のシルエットが飲まれ、取り残されたアメリアがどうするべきかと立ち尽くした。どうぞと言われた以上は入るべきなのだろうが、これでは何が何だかまるでわからない。
「ああそうか、悪かったね」
微かな音だけが返る中、本当に悪気は無かったといった調子で、レディが謝る。すぐにLEDの昼白色の光が目に飛び込んできて、アメリアは手を掲げた。
ぐしぐしと擦り、しばたいて慣らした目に映ったのは、こざっぱりとして整った部屋の様子だった。
幾つもの家具が狭い部屋に押し込まれている。冷蔵庫やキッチンなど、必要な物は最低限の大きさになっており、一般的な大きさなのは部屋の隅に居座るソファベッドだけだった。
大小幾つもの四角をつなぎ合わせたオープンラックには、コーヒーカップやロックグラス、半径の短いプレートまで置いてある。それの近くに背の高い小さなテーブルと椅子が2つ、使用感の残る形で置いてあった。
無駄な装飾のない剥き出しのコンクリート壁すら、部屋主のセンスを感じさせた。
少し予想外の内装に、アメリアは知らず、息を漏らす。
「心配しなくても罠はないよ」
ハッとして、アメリアは慌てて部屋に入った。恥ずかしそうに素早くドアを閉める。軽くドアが軋んだ。
レディに促されるままに椅子に座ろうとするが、背の高い椅子に苦戦して、何とか腰だけが乗る形になる。深く座れば爪先すら地面に着きそうになかった。
「何か飲む? 基本的に何でもあるよ」
「いいわ。眠れなくなりそう」
「そう」
短く答えて、レディはアメリアの対面に座る。自然な形で座った一連の動きに、アメリアの眉が軽く寄った。タイミングを窺うような間があって、レディがゆっくりと机を叩く。
「何から聞けば良いかな?」
「それを私に聞かれても困るわよ」
そうだよねぇ、と言いながらレディは自嘲気味に笑う。ウェインに対するときとは違う、明らかに距離感を計りかねている様子に、アメリアも軽く困惑していた。
「今までこういうのはアイツの仕事だったからなぁ……そうだね、ご両親の話を聞こうか」
「お父様とお母様の話?」
「うん、壁の中では何の仕事をしていたか、わかるかい?」
アメリアは数秒考える仕草をとって、ぽつりと呟くように、自信の無さそうに答えた。
「詳しくは知らないわ。ただ、投資家だったことは確かね。特に医療の研究に融資をしていたという話を、聞いていたわね」
「ふーん、医療の研究っていうと?」
「医療の研究っていうと? って、私の一家は研究者じゃないのよ。専門的な話がわかるはず無いわ。ただ、お父さんの融資のお陰で、数え切れないほどの人が救われたと称えられては居たわね」
「なるほどね。こっちに来てからは?」
「こっちに来てからは……わからないわ。お父様は良くどこかに出てるけど、お母様と居る時間は増えたわ」
都市に居るときから、お母様とはよく遊んだけれど。と言って止まったアメリアに、レディはため息のような息を吐く。
「何、疑ってるの?」
「まぁ。包み隠さず言えば」
威嚇するようなアメリアに、悪びれずにレディが答える。アメリアの眉が、不機嫌そうに歪む。
「そんなに見つめないでよ。恥ずかしいな」
対照的に、いつもの調子を取り戻した笑顔でレディは軽く受け流す。嘲る湿った瞳と、警戒する小動物のような瞳が、交差する。
「貴方が知りたいのは、私が誘拐された理由じゃないの?」
「そうだよ」
「それで何故、私の両親を疑うのかわからないわ」
「何もかも疑っちゃうのが性分だからね」
「お里が知れるわね」
「深窓生まれのご令嬢よりかは、まともなところで生まれたよ」
少しの間睨み合う時間があってから、レディの方が負けましたと言わんばかりに顔を落とす。両手の平を上に向けて首を振ってから、さっきまでと何も変わらない顔でアメリアを見やった。
「話を変えようか。誘拐された状況とかはもうわかってるし……向こうのアジトとかでなんか聞いてない?」
「特に何も教えてくれなかったわ。自分達がかなり大きな力を持っているって事ぐらい」
「ああ、それは多分私達の方が、十分に解ってるね」
打って変わって力なく笑うレディに、アメリアは思わず怪訝そうな目を向ける。が、切り替えるように頭を振った。
「相手のボスとは知り合いだって、ウェインの方も言ってたけど」
「まぁ、顔見知り程度ではあるね。飛んだクソ野郎だけど」
「貴方がそんな直接的な言葉を使うなんて、よっぽどなのね」
「まぁね、正直言うと、敵対はしたくなかったかな。色々面倒だ」
呟いて、またトントンと机を叩き始める。定期的な音が空間を支配した。
「うーん、今の所はもう聞くことはないかな。時間を取って悪かったね」
「別にいいわ。帰っていいわね?」
「いいよ。道順、わかる?」
「迷うほど長くないわ」
「ならいい。明日は結構動くことになるから、覚悟しといてね」
数度のやり取りを終え、アメリアは足早に部屋を出る。扉の閉まる耳障りな音が終わって、レディはため息を1つ、吐いた。
「まったく、柄じゃないことはしない方が良いね。まぁ、私が聞きたいことがあったからそうしたんだけどさ」
椅子から立ち上がりながら、考える。
少し意地悪に聞き過ぎたかもしれないけど、私が間違ったこと言ってるわけではないしね。
うっすらと、自然に浮かび上がった笑みを抑えず、レディは飾ってある一番下のロックグラスを取った。慣れた動きで下のボトルラックからウイスキーと、小さな冷凍庫から手のひら大のタッパーを引っ張り出す。
口を使って強引にタッパーの蓋を外し、続けて放り投げるようにグラスとボトルをテーブルに置いた。タッパーの背を叩き、落ちてきた板状の氷をキャッチする。
そのままの勢いで氷を握り潰し、砕けた氷とボトルの中身をグラスに流し込む。地面に落ちた氷の破片が、テーブルに座る過程で踏み砕かれた。
琥珀色が屈折するグラスを持ち上げると、氷が心地の良い音を立てる。それに耳を傾けていたところに、ザザッと異音が割り込む。嬉しそうに笑いながら眉を寄せて、軽く耳たぶを押した。
「なんか用? 今からゆっくりしようと思ってたんだけど」
溢れそうなほどにグラスを揺らして、マイクの向こうに苛立ちを示す。音を拾っているのか、聞こえてくるのは定期的な息づかいだけだった。
『アルコールか。お前は回りやすいんだから控えとけよ』
「知らないようだから教えてあげる。良いワインは良い血を作るんだよ」
『ならオイルでも飲んでみたらどうだ。前やってたみたいに、水タバコに混ぜて』
「いいね。体に悪そうだ」
楽しそうに笑って、レディは手元のグラスを煽る。浅く注がれたそれはすぐに無くなった。飲み込むのを惜しんで、舌を泳がせる。
『程々にしておけよ。本当に。で、用件だが』
「んっ。どうぞ」
わざとらしく喉をならして飲み下すと、短いため息が返ってくる。
『アメリアに何か吹き込んだか?』
不躾な質問に、鼻で笑うつもりの息が口からも吹き出た。軽く声を出して笑ってしまったレディは、咳払いをひとつして、追加の酒を注ぐ。
「随分と勿体ぶって無粋なことを。何か吹き込んだかって話なら、今さっき吹き込んだよ」
『今さっきだと? 何を?』
「別に? 何か有益な情報を持ってないか聞いただけ。特に何かあるわけでもなかったけど、その過程で吹き込んだと言えば吹き込んだかもね」
『そういうのは俺に丸投げだったお前が、らしくないな』
「そりゃあ、女の嫉妬ってやつさ」
意地悪な言い方をすると、スピーカーから届く声がなくなる。ウェインの分かりやすい反応が容易に想像できて、レディは愉快そうにくつくつと笑う。
再びグラスを傾けて、今度は勢いよく飲み下した。
『大分酔ってきたみたいだな?』
「まだだよ。ウェインをからかうなら素面じゃないと。面白くない」
『怖いから、やめてくれ』
ただ笑い声だけを返すと、対照的な深いため息が聞こえてくる。なんとも渋いウェインの顔が、手に取るようにわかった。
『用件は以上だ。切って良いな?』
「あいよ。おやすみ、私のかわいいウェイン」
言い切る前にマイクを切られた。スピーカーを切ってないのはわかっているので、これ見よがしに高笑う。
やりたい放題してから、文句を言われる前に、レディはマイクを切った。




