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救いを求める者 ーAsk,For,Helpー

 リラを降ろした後、小鳥遊冬也(たかなしとうや)は花柄の竹刀袋から竹の刀を取り出し中段の構えを取っていた。しかし、手足は震え額からは変な汗をかき、今にも緊張で体が崩れそうだった。

 『なんとかして倒す』と力強くリラに言ったものの、内心では不安や恐怖などの負の感情でいっぱいだった。無理もない。彼は普通の高校生なのだから。不良や友人とは喧嘩をしたことがある。しかし、そこには『死』というものが無かった。必ず最後には生きている。どれだけボロボロになろうと、意識が遠くなるほどぶん殴られようと五体満足で『明日』を迎えることができていた。

 小鳥遊はトトを直視する。弱点は無いか。どこかに付け入る隙は無いか。

 汗が頬を伝い地面に落ちる。息が上手く吸えなくなる。動機がする。

 その一方で。


「あのー、すみません。私を倒すと聞こえたのですが気のせいでしょうか?」


 トトは小鳥遊とは違い緊張感なく問いかけた。

 すでに土煙は収まり周囲の景色がはっきりと見えている。


「気のせいじゃねーよ」


 強気になって言い返すが倒せる算段なんて付いているはずがない。当たり前だ。小鳥遊は魔法といった『異の力』を使えるわけでも、チート的『ナニか』を宿しているわけでもない。トトを倒すことなんて現実的ではないのだ。


「…、無理、よ。倒せ、ない」


 リラは小鳥遊の意見に賛同しない。だってそれは、ただの自殺と変わらないから。命を投げ出し無駄にするのと同等のことだから。

 そんなことくらい、小鳥遊も分かっている。下手すれば瞬殺されてしまうことも相手にならない可能性があることも。

 だけど。

 それでも。


「心配すんな。どうにかしてみせるさ」


 可能性の話ではない。ただ、どこにでもいる普通の高校生は、誰かを助けようと思った瞬間から、『ヒーロー』になれる。それだけの話だ。どんなに弱くても、初級魔法で死ぬような雑魚キャラでも。

 小鳥遊は竹刀を握りなおした。そして深呼吸をして心を落ち着かせる。


「本気で倒せると思っているのですかね。無理だと私は思うのですが」


 確かにトトの言う通りだ。小鳥遊がトトを倒せる確率はほぼ零に等しい。だからこそ、小鳥遊の狙いは最初からトトを倒すことではなかった。そう、第三者に――騎士団長と呼ばれるリラ達の知り合いに倒して貰おうと考えているのだ。あの発言はブラフ。つまり、はったりである。だからそれまで時間さえ稼げればいい。どんなに無様でも、格好悪くても


「貴方が竹の刀を武器とするならば私もそれと同等の武器にしましょうか。そちらの方が少しは愉しめそうですし」


 そう言いながらトトは大量生産されている一つのボウイナイフを取り出した。それは昼間、山賊を殺して勝手に頂いた物だった。

 当然それは小鳥遊にも見覚えがあったが、どこで見たのかハッキリとは思い出せなかった。一度しか見ていないのだから仕方が無い。通りすがりの人々の顔を覚えていないのと同じことであろう。

 しかしリラはトトが取り出したナイフを見て、何かを感じ取ったようだ。


「どうして、山賊、の、魔力を、それから、感じるの、かし、ら」


「ナイフに残る微かな魔力を感知しましたか。しかも、誰の魔力か、まで特定できるとは。リラは一体何者なんですかね。私、人種(イノ)でもそこまでできる方はいませんよ」


 嫌な予感がした。どうしてそう感じたのか、小鳥遊でも分からない。ただ、なんとなく、雰囲気からそう感じたのかもしれない。


「そうですね、この武器があの山賊の方の所有物だったから、ではないでしょうか」


「じゃあ、なんで、お前がそれを持ってんだよ」


 その問いに関する答えは二つしかない。一つはたまたま落ちていたのを拾ったから。もしそうであるならば、名前などが明記されていないため所有者が山賊だとは分からないはずだ。しかしララは魔力のみで所有者を当てた。トトも同じようなことが可能なのではないか、と思案するがそれは不可能だ。なぜなら、トト自身が言ったではないか。『人種(イノ)でもそこまでできる方はいない』と。

 であるなら、他の方法を使って所有者を割り出したのかもしれない。少年には想像も思いつきもしないやり方で。しかし、普通、そこまでするだろうか。道端に落ちていた十円玉の所有者を見つけるようなものである。そんなことをする人間なんてどこにもいない。

 ということは、必然的にもう一つの答えがトトの理由となる。それは、


「殺したついでに頂きました。ちょうど小型系の武器を粉砕させてしまいましたので」


 頭の中が真っ白になった。トトの言っている意味が分からなかった。


「その言い、様だと、山賊、を、殺すことが、目的、みたいだけど、なに、か、盗まれた、のかしら。もしく、は、絡まれ、たとか」


 リラは山賊が殺されたことなど気にもせずに会話を続ける。まるで命のやり取りが日常的であるかのように。


「いいえ、単純に『禁忌の箱(パンドラ)』を奪えなかった無能でしたので殺しました。それ以外に何か理由がありますか」


 だから山賊達は『禁忌の箱(パンドラ)』という名前やそれをリラ達が持っていたことを知っていたのだ。トトが彼らに情報を流したから。そして、自ら、流した情報を山賊達が他へと流出させないために彼らを殺した。『禁忌の箱(パンドラ)』を手に入れようと手に入れられまいと、最初から山賊達を殺す気でいたのだ。しかし、そんなことをリラには言わない。言う必要がない。というか、敵に対して馬鹿正直に話すわけがない。


「…、んな理由で殺したのか」


 最初は小さな声だった。


「はい?」


 だからトトは聞き返した。だけどそれが間違いだったのかもしれない。


「そんな利己的な理由であいつらを殺したのかって聞いてんだよ!!」


 大声で小鳥遊は叫んでいた。


「なにか問題がありましたか?使えない玩具を殺して何が悪いのでしょう。生かしておく意味などありませんよ」


 冷めた口調でトトは言う。


「問題大ありだ。てめー、ふざけたことを言うのも大概にしろよ。何が玩具だ。何が生かしておく意味だ。ンなの関係ねーだろ。あいつらにだってあいつらの人生ってモンがあるんだよ。それを他人が勝手に容易く奪っていいわけないだろ‼」


 そんなこと当たり前だ。どんな理由があろうとどんなことがあろうと殺してはならない。命を奪ってはならない。

 それが小鳥遊の『いた』世界での常識だ。


「そうでしょうか。私達は、私達以外の動物を平然と殺しています。その対象がただ単に変わっただけでしょう。それの何が悪いのですか」


「悪いだろ。俺達が動物を殺すのは食事にしたり、道具や洋服を作ったり、生きていくうえで必要なことだからだ。だけど同種を殺してどうなる。それはただ単に、争いを生むだけじゃないのかよ。殺された奴の仲間が殺した奴を恨み、憎しみを抱いて新たな被害をもたらすだけだ。復讐って形でよ。それがどんどん連鎖して、負の悪循環が生まれてしまう。そんなことは絶対にあってはならないんだ‼」


「別によろしいのではないですか。この世界では争いなど星の数ほどありますし、そこに一つや二つ争いが増えたところで何も変わりませんよ。負の悪循環?そのような物はこの世界そのものなのではないのでしょか。不幸な方、貧困な方、この世界は不平等の上で成り立っています。ですが、それは最初から負の悪循環が存在したからこそ、不幸な方は不幸なまま、貧困な方は貧困のままなのですよ。最初から存在するものはどうにもなりません。なので、誰かを殺したとしても世界そのものが負の悪循環ですのでそれをきっかけに負の悪循環が発生することはありませんよ」


 結局のところ、世界そのものが負の悪循環の塊なのだ。殺人が起こったから、何かを奪われたから、それらをきっかけに負の悪循環が生まれるわけではない。世界に生まれた時からすでに始まっているのだ。


「それに山賊の方達も私と同様に多くの方を殺して強奪を行っていました。金に困れば金品を、気に入らなければ命を、といった具合に自身の利益のためだけに殺していました。その上、依頼があれば略奪から殺しまで何でもしていました。現に貴女達も襲われましたよね」


 まあ、あれは私からの依頼でしたので仕方がなかったのですが、と付け加えて、


「ですから、自分の私利私欲のためだけに動く彼らを殺したところで、誰一人悲しみません。逆に喜ばれるのではないでしょうか。殺された方々や遺族の方々の無念を晴らすことができるのですから」


 トトは笑っていた。

 自身の了見(りょうけん)に対して反論できないだろ、山賊を(あや)めても別に良いと納得せざるを得ないだろ、と言いたげな笑みを浮かべていた。

 実際トトの言い分には納得できる部分がある。現実世界でも悪党を殺したところで、迷惑だと思う人間は誰一人としていないし、もしかしたら喜んだり安心しだしたりする人間もいる。自分の街で通り魔や無差別殺人犯が逮捕された時、ホッとしないはずがない。

 しかし、


「勝手にあいつらを殺しても良い理由を作るんじゃねーよ!!」


 小鳥遊は反論する。


「それはただ単に、お前にとって都合のいいように考えているだけだろ。確かにあいつらは俺達から物を奪おうとしていた。だけど、実際は何一つ奪っちゃいない。失敗したんだから当たり前だ。だったら、それでいいじゃねーか。俺達があいつらを許せばそれで解決だろ。それに、もしかしたら、あいつらは誰からも強奪をしていないかもしれないし、誰も殺していないかもしれない。俺達が初めての仕事だったのかも知れない。そもそも、山賊だっていう証拠も確証も根拠もない。お前の憶測だけで理由を作り出すんじゃねーよ!!」


 悪事をしてそれがバレた時の子供の言い訳と同じだ。自分の都合の良い様に物事を構成し他者のせいにする。さもそれが真実であるかのように。自分が正しいと第三者に思わせるために。だけどそんな事が許されるわけがない。許されていいはずがない。

 小鳥遊は思う。

 彼女は命というものを軽々しく考え過ぎている。簡単に奪っても良いとものと見なしている。だけど、本来、命とは尊いものであり神秘的なものだ。決して人工的に生み出すことができない、神様から与えられた贈り物。だからこそ、トトみたいな思想を持ってはいけない。たとえどんな事情があろうと、どんな理由があろうと、そんな考えは破棄すべきだ。

 強く竹刀を握りしめる。そうでもしなければ気が済まなかった。

 トトは溜息を付いた。そして呆れたように言った。


「貴方とは全く話が合いませんね。まあ、合いたいとも思いませんが。これ以上、貴方と口論したところで無意味です。助けも呼ばれていることですし、さっさと『禁忌の箱(パンドラ)』を奪って逃げましょうかね」


 トトは薄笑いを浮かべた。殺気を放つ。

 小鳥遊はそれを本能的に感じ取ったが、なぜか恐怖や怯えは無かった。不思議と心が落ち着いている。多分、トトが子供の心を持った大人と分かったからだろう。不良やヤンキーと何一つ変わらないただのお子ちゃま。だったら恐れる必要など、どこにもない。現実世界のおかげでこういった状況には慣れている。

 深く息を吸い込み、目の前にいる強敵に対して小鳥遊は言い放った。


「一撃入れてやるからかかって来いよ!!」


 トトはクスッと笑いナイフを空中で回転させて逆手に持ち替えた。

 それが合図だった。

 トトが消えた。いや、違う。彼女は目にも止まらぬ速さで疾走したのだ。時間にして数秒。一瞬のうちに小鳥遊の右隣に辿り着き、そこから腹部に向けてナイフを突き刺さそうとする。が、残念ながら失敗に終わった。なぜなら小鳥遊が体全体を右に半回転させ、(こす)るように竹刀をナイフに当て、軌道をずらしたからだ。そのままの勢いでトトの頭めがけて突きを放つ。しかし、トトはそれを紙一重で避け、左足で小鳥遊の脇腹を蹴った。

 女性の力とは思えないほどの強い力だった。小鳥遊の体は、くの字に曲がり数メートル飛ばされた。地面に強く打ちつけられ冗談抜きに息が吸えなくなる。蹴られた箇所を中心に痛みが広がっていく。

 それでも竹刀を杖代わりにして、なんとか立ち上がった。


「あらあら、たったの一撃で、もう立つのがしんどいようですね。別に逃げてもよろしいのですよ。『禁忌の箱(パンドラ)』さえ渡していただければ。別に貴方を痛めつけることが目的ではないですし」


 トトは余裕の笑みを浮かべる。

 誰がどう見ても力の差は歴然だった。

 けれども、


「うっせーな。余裕ぶっこいている暇があったら、さっさとかかって来いよ。それとも、この程度で終わりか?」


 目の前の強敵に少年は怯まない。


「全く、口が減りませんね。なら、お望み通りに」


 その瞬間、トトはトップスピードを叩き出し、今度は小鳥遊の真正面に現れた。手を伸ばせば届きそうな程の近さだ。そこから心臓めがけてナイフを突き出す。それを小鳥遊は杖がわりにしていた竹刀で先程と同様にナイフの軌道をずらした。

 するとトトはナイフを離し、右手で胸倉を掴み、小鳥遊を自分の方へ引き寄せた。


「予想通りですね」


 彼女は薄く笑いながら、もう片方の手で小鳥遊の溝を殴った。呼吸が数秒間止まる。それほどの一撃だった。


「が、はっ」


 手を離すと小鳥遊の体は右足から崩れるようにして倒れた。

 片手で溝を抑えてうずくまってしまう。


「もう、終わりですか。あっけないですね」


 横になっている場合ではない、と頭の中では分かっているが体が言うことを聞かない。痛みで手先が小刻みに震える。口の中から赤い塊が吐き出る。


「それにしても私の初撃を二度も防ぐとは驚きです。大体の方々は何をされたか分からずに亡くなるのですが。凡夫(ぼんぷ)にしては頑張ったと思いますよ」


 トトは常人の肉眼では捉えきれないほどの速さで疾駆した。つまりは常人にはトトの姿が見えていないし、見ることができない。

 小鳥遊は普通の高校生だ。常人と同等、いや、下手をしたらこの世界の常人より弱いかもしれない。そんな少年がトトの初撃を避けたり防いだりすることなど不可能に近い。もし仮にできたとしてもそれは、運や偶然、奇跡といった類いでしかなく、二度目は無いはずだ。

 しかし、小鳥遊にはそれができた。

 一体なぜなのか。


「洞察力。随分と長けているようですね」


 そう。

 全てのカギは洞察力だった。

 彼はトトの些細な動作や周囲の状態から次に何をするのか事前に予測し行動していたのだ。先ほどの戦闘を例に出すならば、トトが重心を右足に移動させたことに気付いた小鳥遊は彼女の動きに対応できるように身構え、そして、トトが疾走したと同時にそのときに生じた塵や砂埃を目印に進路先を予測した。だから小鳥遊はトトの動きに反応できたのだった。


「もしかしたら魔法とか、お前の知らない未知なる力を使ったかもしれないぞ」


 勿論、だからといって小鳥遊の洞察力がずば抜けているわけではい。予測できるといってもほんの数秒先で、しかも、大まかな予測でしかない。剣道やただの喧嘩だったらそれだけでも十分だった。その力さえあれば十分戦ってこれた。


「それはありえません。だって貴方、避けた後の攻撃を防ぐことができなかったではありませんか。もしもそんな力があるならば、素直に攻撃されないで何とかしていたはずですよ」


 それに、とトトは薄ら笑いをして、


「隠そうとしれませんが、貴方の洞察力は全く脅威ではないです。あっても無くても関係ないです。それはあなた自身が一番分かっていますよね」


 彼女の言う言葉は真実だった。

 正直なところ、今の状況では――トトとの対戦では、あまり小鳥遊の予測能力はあてにならないのが現実だった。なぜなら、小鳥遊の場合、トトの速さに動体視力が追い付かないため最初の攻撃しか予測が一切効かない上、予測したとしてもトトは急激に動きを変えることができるため、予測した意味が殆どないのだ。

 さらに、予測能力はあくまで予測の範疇であり決定的ではない。最終的には勘を頼りにするしかなかった。


「さて、無駄話は御終いです。最初から分かっていましたが、貴方は『禁忌の箱(パンドラ)』を持っていませんね」


 そう言うとトトはリラの方へ歩き始める。しかし右足に何かが引っ掛かり踏み出せない。足元を見ると小鳥遊がトトの足首を掴んでいた。


「まだ、勝負は終わってないぞ」


「何を言っているのか理解できませんね。動くことさえままならない癖に、まだ勝負が続いているとか、貴方は馬鹿ですか。誰が見ても決着はついていますよね」


 振り(ほど)こうとするが強く掴んでいるせいか、なかなか離れない。


「うっせ、俺は、まだ、抗えるぞ」


 頭上から溜息が聞こえた。

 そして、


「面倒なので腕を切り落としましょうか」


 いつの間にかトトの右手には手放したはずのナイフが握られており、小鳥遊の肩目掛けて振り落とされた。

 その直後の出来事だった。

 トトは消え、右手にあったボロボロな空き家が勢いよく倒壊した。

 どうやら吹き飛ばされたらしい。

 しかし小鳥遊には何が起こったのか分からなかった。ただ、目の前に姿を変えたリラが立っていることだけは認識できる。

 目は赤く染まり、犬歯が鋭くて大きくまるで牙のようだ。腰まで伸びた髪は艶のある黒へと変わり、大人っぽさが滲み出ている。さらに、特徴的なのが背中に生えた黒翼。外側に連れて少し赤みを帯びている。

 見覚えのある容姿。フィクションの中でしか存在しない西洋の怪物。


「成程、吸血鬼種(ヴァンパイア)でしたか」


 倒壊した建造物の中から頬や腕を軽く怪我したトトが現れた。


「それでしたら先程の行為に関して納得がいきます。吸血鬼種(ヴァンパイア)は本来の姿以外の時は魔力や身体能力が著しく低下する代わりに感知能力が高まりますからね」 


 薄暗い空間の中、殺気と殺気が交差する。

 そんな緊迫した空気だというのに、トトはうっすらと笑っていた。


「では、私に吸血鬼種(ヴァンパイア)の相手をできるほどの力量はあるのですかね」


 するとリラが動いた。

 同時にトトも疾走する。

 二人が激突した。

 まず先手を打ったのはトトだ。彼女はリラの眼前にナイフを突き出す。しかしリラは側顔ギリギリで避け右手で顔面を狙った。瞬間的に、トトは左手でリラの肩を掴みそこを基点に側転のようにして一回転する。そしてナイフを逆手に持ち替え、振り向きながら相手の首筋を切り裂くように突き立てようとするが、すでにそこには誰も居らず空を斬った。その次の瞬間、頭上から殺気を感じ咄嗟に後方へ避ける。だが、僅かに遅かったらしくトトの右肩が赤く滲んでいる。

 ここまで約数秒。

 もはや小鳥遊が手出しできる領域を超えていた。


「改めて実感するわ。トト、貴方は強い」


 口から血を吐きながらリラは元同僚を賞賛する。


「それはありがとうございます」


 そう言うと、トトはナイフをリラの方へ投げ、さらに自分自身も疾走した。

 飛んできたナイフの柄の部分を回転しながら右手で掴み、回転力を失わないようにしてリラは投げ返した。倍の速さとなったナイフを避けたと同時にトトは、それを掴み、速度を上げトトの懐へと入る。

 後ろへ跳んだが、避けられない。

 リラの溝を全力でぶん殴る。

 しかしそこからリラが下半身を無理やり捻じり、トトの腹部へと強烈な蹴りを放った。

 その結果、トトは近くの古民家へと吹き飛ばされ、リラは地面に強く叩きつけられた。

 その場で横にぐったりとなったままリラは動かない。

 そんな彼女を見て、小鳥遊はまだ痛む体を強引に動かし近寄った。

 すると、どういうわけか、血を二、三回吐き出すとリラは吸血鬼から、見覚えのある少女の姿へと戻ってしまった。


「…、おい、大丈夫…か?」


 小鳥遊は問いかけるが、返ってくる言葉はうめき声だけだ。

 額からは大量の汗が流れ出て、呼吸は乱れ、蒼白な顔をしていて、少女は虫の息だった。今にも死にそうな状態だった。

 だけど少年は何もできない。どうすることもできない。

 ただ茫然と苦しんでいるリラの姿を眺めることしかできない。


「ちく、しょう。なんで、なんでだよ!なんでこうなるんだよ!」


 小鳥遊は自身の拳を地面に強く打ちつけた。

 己の無力さを痛感してしまう。


「大分負傷されていますね。このままだとリラは死んでしまいますよ」


 後ろから声が聞こえ、振り向くと、そこには吹き飛ばされたはずのトトが立っていた。

 彼女もまた無傷では済まなかったようで体中のいたるところから血を流している。


「トトォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!1」


 小鳥遊は大声で叫んだ。

 しかし、


「そうなってしまったのは彼女の自業自得ですよ」


 淡々と言った。


吸血鬼種(ヴァンパイア)は太陽の光に滅法弱いそうですからね。この程度の夕陰(ゆうかげ)でも体には相当な負担があったはずですよ」


 吸血鬼と言えば、不死の体で身体能力が高いというイメージが定着されているがその分、弱点も多いことで有名である。代表的なもので言えば、十字架や太陽の光、銀の弾丸シルバーブレッドやにんにくといったところであろうか。

 だからこそ、リラの姿を見たときから小鳥遊の脳裏には『もしかしたら』があった。――もしかしたら太陽の光に弱いのでは、と…。にもかかわらず、それを無視した、見て見ぬ振りをした、異世界だからそんなことはないだろうと、勝手に思い込んでいた。それこそが小鳥遊冬也の決定的な『弱さ』であり『逃げ』なのかもしれない。


「馬鹿な女ですよね。こんな男などほっといてほんの数分、日が暮れるまで待っていれば本来の力を発揮できたというのに」


「…な、、、」


「気付かなかった、とは言わせませんよ。誰がどう見ても貴方を助けるために、守るために、リラは元の姿に戻っていましたよね。たとえ、体が傷つこうと、(むしば)まれようと貴方を助けました。本当に馬鹿だと思います。私にはそこまでするほどの価値がある男には見えません。力が無い癖に、何も救えない癖に、意気がって、何とかできますよオーラを放って…、くだらないです。馬鹿らしいです。恐らく貴方さえ居なければこんなことにはならなかったでしょうね」


 何も言えなかった。

 何も言い返せなかった。

 何も反論できなかった。

 自分の中で分かっていたから。

 ただのお荷物だと。ただの邪魔者だと。ただの無能だと。 

リラを守るためにトトに立ち向かっだ。だけどそれは自己満足の領域で、結局はリラの身を犠牲にして守られてしまった。

 本末転倒だった。


「さてと、応援も呼ばれていることですし『禁忌の箱(パンドラ)』を回収させて頂きますか。嗚呼、心配しなくても貴方は殺しませんよ。殺すほどの価値は無いので。ですが、リラは論外です。吸血鬼種(ヴァンパイア)と分かった以上。日が完全に暮れた途端、何をしでかすか分かりません。身の保証を考えると弱っているうちに殺すのが妥当ですかね」


 そう言うとトトは静かに、だけど一歩一歩、確実に小鳥遊達の方へ近づいて来る。


「…」


 どうしようもなかった。

 あれだけ圧倒的な力量を見せられたのだから仕方が無い。

 小鳥遊冬也は普通の高校生だ。異世界に来る前は普通に学校に行き、普通に勉学や部活に勤しんでいた。普通に友人達と遊んだり時には喧嘩をしたりした。本当にどこにでもいる普通の高校生なのだ。百人中百人が、『彼は普通の高校生だ』と断定するほどの。

 だからこのままリラが殺されてしまうのも仕方が無かった。

 だって少年は普通の高校生なのだから。

 だけど。


「殺させない。リラは絶対に殺させない!!」


 小鳥遊は言い放つ。


「確かにお前の言う通りだよ。俺には誰かを救えるほどの、守れるほどの力なんて持ってない。多分、俺が居なければこうはならなかった。リラが瀕死になるほどの重症を負うこともなかったし、そもそも、ここまで酷い状況にはならなかったと思う。だけどさ、でもさ、そんなこと、今、後悔したって、しょうがないだろ!何も変わらないだろ!後からリラやララには土下座でもなんでもしてやる!!俺のせいでごめん、って何度でも謝る。だから、絶対にリラを殺させない。殺させてたまるか。力の差がなんだ、確率論なんて知るか。俺は絶対にリラを守ってみせるぞ!!」


 今度は、『怯え』も、『恐怖』も、『怒り』もなく、純粋に『守りたい』という気持ちだけがあった。それだけあれば、十分だ。

 少年はもう一度、竹刀を両手で握り締めトトに立ち向かう。


「そのせいで、守りたかった誰かを傷つけたというのに懲りない男ですね。だったら実際に見せてあげましょうか。何一つ救えないことを。誰も助けられないということを」


 トトは躊躇(ためら)いもなく疾駆した。

 そして小鳥遊との距離の差を一気に縮める。

 トトが直進してくる、と予測して小鳥遊は攻撃を防ごうとする。しかしどうやらそれは陽動だったようで、トトは小鳥遊の背後──リラが横たわっている方へ回り込んだ。小鳥遊も一瞬遅れで気付き、体を回転させて対応しようとしたが、遅かった。今まさに、リラの心臓へとナイフが突き刺さる寸前だった。

その途端、トトはいきなり後方へと大きく跳び、数メートル後ろにある建物の屋根に着地した。まるで何かから避けるかのような動作だった。

 勿論、小鳥遊にはどうしてトトがリラを殺せずに距離を取ったのか、さっぱり分からなかったが、ただ、いつの間にか目の前に立っている黒髪の青年のお陰であろうということは直感的に理解できた。どこから現れ、何をしたのか、皆目見当もつかず、味方なのかどうかさえも判断に迷うところである。

 だからこそ、小鳥遊は(いぶか)しげに問いかける、


「あんたは…誰、だ…?」


 黒髪の青年は答えた。


「僕は、騎士団長の神谷嶺(かみやりょう)。君の味方だよ」


 今の絶望的な状況で彼─神谷嶺の背中はとても頼もしかった。



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