追駆する魔女 ーTracking,Witchー
青々しかった碧空はいつの間にか真っ赤に輝く日没寸前の空へと変わり、ほんの少し気温が低くなったと感じ始めた頃、小鳥遊冬也とリラ・ララ姉妹はとあるスラム街らしき地区を訪れていた。
スラム街と聞けば多くの人間が街外れに存在していると思いがちであるが、それは大いに間違いで実際は、都市の内部に位置していることが多い。例えば、ブラジルの首都・リオデジャネイロの中にあるロシーニャや、インド最大の都市・ムンバイにある世界でもっとも人口密度の高い場所のダラーヴィ―、さらに世界最大のスラム街であるキベラ・スラムでさえも、ケニアの首都・ナイロビに実在しているのだ。
しかしこれにはきちんとした理由がある。
田舎から上京したけれど満足に収入が手に入らず賃貸住宅に住めなかったり、紛争のせいで住む家を失い生活することが難しく難民となってしまったり――、そういった人間が、都市中心部を避けて放置された地区に住み着き、そこが密集地帯となることでスラム街は形成されてしまう。そのためスラム街は無秩序の無法状態となっており、治安や衛生状態は酷い状況なのだ。
「それにしても、また素朴な場所に来たなあ。本当にこっちであってんの?」
小鳥遊が疑問に思うのも無理はない。そこはなんとか崩壊を免れているボロボロな建築物や荒廃した大地など誰かが住める状況では無かった。スラム街と呼ぶには少しばかり難しい。
「私達のことを疑っているのかしら。別にいいのよ、帰っても」
道中で拾った木の枝を杖代わりにして歩いているリラは言う。
帰る場所も家も無い小鳥遊にとって、『帰る』という選択肢は無かった。というか街に帰ろうにも帰路を殆ど覚えていない。もしも、奇跡的に帰ることができたとしても、結局振り出しに戻るだけで何も進展しない。下手をすれば二度と誰からも相手にされないかもしれない。
そんなわけで小鳥遊は姉妹の後を付いて行くしかなかった。
「なあ、ちょっと気になったことがあるんだけどさ」
先導して歩いているリラに呼びかけた。ちなみにララは小鳥遊の隣を一緒に歩いている。
「何かしら?」
「えっと、道のあちこちに街灯があるんだけど、あれも魔法を使って明かりを灯しているのか?」
「違うわよ。あれは『マナ』を使っているのよ」
あ、『マナ』と言ってもわからないわね、とリラは杖代わりにしていた木の枝を振りながら、
「さっき魔法の説明をしたとき、魔法によって発達した技術があるって私は言ったわよね。その一つが『マナ』なのよ。いいえ、魔力から派生されたんだったかしら。まあ、どちらでもいいわ。とりあえず、機械の動力源が『マナ』なのよ」
そこでリラからの説明が終わった。
…。
「え、ちょっ、まって、まさかこれで終わり!?他に説明ないの!『マナ』っていったい何なんですか!!!」
「うるさいわね。説明なんてそれで終わりよ。そもそも『マナ』が何なのか、機械の動力源ってことくらしか知らないわよ。原理とか仕組みとか専門的なことは何も分からないわ。トウヤは私を物知り博士かなんかと勘違いしているのかしら?」
そう言われると何も言い返せなくなる小鳥遊少年。
電気と同じようなもの、と自己解釈するしかないようだ。
「それより、お姉ちゃん。もうすぐで日が沈んじゃうよ。どうするの?」
「どうしようかしら。流石にここで野宿ってのは嫌だわ。本当ならこの先にある街で宿を取るつもりだったのだけど、どっかの誰かさんと無駄話をしたせいで時間が無くなったのよね」
リラが小鳥遊の方を振り返り目線を向ける。その目線から逃れるかのように小鳥遊はリラとは反対側の方へ目線を向けた。
その直後リラは唐突に足を止めた。それにともない二人の足も自然と止まる。
「どうしたんだ?まさか歩き疲れたーとか餓鬼みたいなこと言わないよな」
小鳥遊がバカにしたのにも関わらずリラは何も言い返さない。代わりにジッと何かを見つめている。正確に言えば目の前の右手にあるボロボロな家を。
「なるほど。騎士のトラップを自己流で模倣したのね。さらに、複数の属性を絡めさせて、安易に破壊できないようにしている。こんな高度な魔法を組み込める魔女はあまりいないわ」
リラは呟き、そして、
「どうして貴方がこんなところにいるのかしら。トト」
ジッと見ていたボロボロの家に向かって大声で叫んだ。
するとそこから独りの女性が現れた。美しいがその本性は分からない。貴女であるが鬼女のように見えてしまう、そんな恐ろしい女性が。
「あら、バレてしまいましたか。騙せると思ったのですがね」
トトは顎に手を当てながら薄く笑う。
「私も随分と甘く見られたようね。この程度なら誰でも見破れるわよ」
「それは流石に無いと思いますよ。今の今まで一度も見破られたことも感知されたこともありませんので。貴方が初めてですよ。リラ。どうして貴方は気付くことができたのでしょうかね」
勘かしら、とリラは適当に答えた。
どうやらリラとトトしは顔見知りらしい。けれどもそれは親密とは言えず、だが、なにか深い関係にあると思われる。
そういえば、先程からララは一切会話には入っておらず、またトトもララに対して何一つ発言していない。おそらく初対面のようだ。
「それで、私達に何の用かしら。まさか殺し屋にでも転職して依頼を遂行しに来ましたとか言わないわよね」
「残念ながらそのような汚れ仕事にはつかない主義ですので」
「あら、そうだったかしら。でも案外似合いそうよ。一度くらいなってみればいいじゃない」
「遠慮させてもらいます。そんなことをしている暇があったら、まだ別のことをしていた方が有意義な時間を過ごせそうです。まあそんなこと今はどうでもいいのですが」
さて、とトトは付け加えて、
「何の用か、とリラは聞きましたけど、気付いていますよね。それをわざわざ私に言わせる必要性はあるのでしょうか。貴方の悪い癖だと思いますよ」
「それはどうも。気が向いたら直しておくわ」
風が吹き木の葉が舞い土煙が起こる。
ほんの少しの間、沈黙が訪れる。
「『禁忌の箱』を狙っているんでしょ」
リラはサラッと緊張感無く言った。
そして、
「誰に依頼されたのかしら?白状しなさい」
その言葉を聞いてトトは不気味な笑みを浮かべる。
「私、個人でそれを狙っている、という考えはないのでしょうかね」
「その可能性は低いわ。だって貴方が『禁忌の箱』を得る理由が全く見当たらないのだから。力を欲するため、なんてくだらないことを考える女ではないでしょ」
トトは何も言い返さない。ただ、薄く笑っているだけだ。
「もう一度言うわ、トト。一体、誰に依頼されたのかしら?」
叫ぶようにしてリラは問いかけた。
どうしてそこまで必死になるのか。小鳥遊には理解できなかったが、きっと深い何かがあるのだろう、と勝手に推測を立てるしかない。
「リラはバカですか?そんなこと答えるわけがないでしょう」
「そう。だったら、なおさら渡さないわ。元同僚でも」
「最初から渡してもらおうとは思っていませんよ。そんなことをするより手っ取り早い方法がありますしね」
コツッ、コツッ。
足音を立てながらトトは小鳥遊達の方へ近づいて来る。
そんな彼女を目の前にして小鳥遊は恐怖心を抱いていた。まるで命を狙われるかのような、捕食されてしまうような。だけどどうして自分がそんな感情を持ってしまったのか、分からない。
本能的なのか。
防衛的なのか。
反射的なのか。
だからいち早く逃げ出したかった。彼女に背を向けて全力で走り去りたかった。だけど、彼女達姉妹を置いて一人だけ逃げるなんてことはできない。
「ふーん、私達を戦闘不能にさせて奪おうってことね」
小鳥遊が恐怖している一方、リラはのんきにトトの返しを自分なりの解釈で納得している。
独りと三人の距離が段々と縮まっていく。
それと並行して鳥遊の心拍数が徐々に上がっていく。
「ま、そう簡単にはいかないのが現実なんだけど」
ララお願い、とリアが言うとララは返事をして、
「『偽りの灼熱、猛る炎、全てを灰と変貌させよ』」
手の平を前に出してその名を発した。
「擬似の業火」
その瞬間、ララの前面に猛炎が現れ一気に広がり、それがウェーブを描いてトトを呑み込みこむかのごとく襲い掛かかってきた。
距離が開いているのにもかかわらずとんでもない高温が触覚を通して伝わってくる。空気中にある水分が少しずつ蒸発していく。
そんな光景を目にしながらもトトは避ける素振りが全くない。
呆れたように彼女は溜息を漏らして右手を前に出し人差し指を真上に上げた。すると、周囲の地面が盛り上がりトトを中心にドーム状を形成して覆い被さった。しかしそれだけでは、炎熱の猛威を防ぎ切ることはできない。土の表面温度と内部温度の差によって壁面にヒビが入り始めている。そのことを理解したのか今度は右手を横に振るう。
轟‼と外部から音が響き渡たった。数秒後、トトは鎮火したと判断して土の壁を解除した。
目の前に広がる景色はさっきとは全く異なっており、建築物や木々の殆どは灰や木炭となり、爆撃でも浴びてしまったのかと思わせるほどだった。
だが、そんな大地にあの三人はいない。
「どうやら、空間系魔法でも使って逃げたようですね。賢明な判断です」
トトは呟く。そして薄く笑った。
「けれども、それだけでは私から逃げられませんよ」
つま先で軽く地面を蹴る。すると地面がほんのわずかに揺れた。どうやらそれだけで小鳥遊達の居場所を割り出したらしい。
いつの間にかトトの姿はなくなっていた。
「鬼ごっこは得意なんですよ」
そう言い残して。