希望の光 ーHope,Lightー
神谷嶺と名乗った黒髪の青年は黒の燕尾服(本来は蝶ネクタイなのだが、異世界特有なのか帯ネクタイをしている)を着て、真っ白い手袋をしている。騎士団長というよりは執事としての印象が高い服装である。
…、というか本当に騎士団長なのか?なぜか腰にはヨーロッパのような剣ではなく日本刀のように細くて長い刀を差しているし、鎧は着ていないし、で小鳥遊冬也の想像していた騎士団長とは全く異なっていた。
しかし、本人が騎士団長と言ったからには信じるしか他にない。それに小鳥遊の『いる』世界は小鳥遊の『いた』世界とは別である。何が正しかろうと起ころうと何の不思議ではない。
「あんたが、ララの言っていた小鳥遊冬也?こーんな少年に護衛を頼むなんて、ララも何を考えているんだか」
なんか聞こえた。
神谷の黒髪の中から、正確には後頭部からゴソゴソと…。
なんか出てきた。
恐らく…、人?いや、小人といった方が正しいのか。僅か十五センチにも満たない少女が現れた。
緑のミニワンピースに薄い桃色のヒール。腰まである長い髪には花形のコサージュをつけていて、まるで童話やおとぎ話に出てくる妖精さんのようだ。
「で、そこに倒れているのはリラ?全く、どうやったらそこまで瀕死の状態に追い込まれるのか気になるところね。てか、吸血鬼種なんだから昼間じゃなく夜間に出歩いてよ」
ブツブツと文句を言いつつ、身長十五センチの少女は頭の上で立ち上がり、どこからともなく四枚の羽が現れ空を飛んだ。
…どこからともなく四枚の羽が現れ空を飛んだ⁉ということは、この身長十五センチの少女は童話やおとぎ話に出てくる妖精さんそのものというわけなんだが…。
驚きの事実に小鳥遊は放心状態へと陥る。いや、正確には助けが来た『安心』が八割、少女が妖精さんだった『驚き』に一割、その他の『感情』が一割を占めた結果、一種の放心状態へと陥ったのだった。
「リィー、愚痴はいいから早く彼女を治癒してくれないか。ギリギリで間に合ったのにこれで死んだら洒落にならない」
「嶺は心配性すぎー。まず、この程度の傷で吸血鬼種が死ぬわけないじゃん。夜になればすーぐ復活するっての。ま、それまでに死んだら復活もクソも無いか」
なんか違う。コレジャナイカンガアリスギル。リィーと呼ばれた少女は、確かに見た目は妖精さんそのものだ。なんだけど、言葉使いが違う。敬語で綺麗な言葉を使うイメージがあって、もっと、相手を敬うはず…。やはり、フィクションはフィクションで『異世界』は『異世界』なのか。
リィーはぐったりとしたリラのおなかの上にゆっくりと着地をして、その場で屈み、指でなにやら書き始めた。
「これくらいで良いよね」
そう言ってリィーは片手を先ほど書いた場所に当てる。すると幾何学的模様が宙に浮きあがり、
「ちょっと、出力高めだけど我慢してね♡」
悪魔のような微笑みを浮かべながらリィーは唱えた。
「強制治癒」
その瞬間、幾何学的模様を中心にリラの体がビクンと飛び上がった。そして、リラはゆっくりと目を覚ました。
「この感覚は…、リィーの強制治癒。成程、なんとか間に合ったようね、リョウ」
リラは上半身を起き上がらせながら、先ほどリラの体が飛び上がった際に、空中へと投げ出され、仕方がなく空を飛んでいるリィーに向かっていちゃもんをつける。
「それにしても、相変わらずの荒療治ね。もうちょっと優しく治療できないのかしら。少しくらい患者のことを考えても.良いのよ」
それに対し、リィーは鼻を鳴らしながら腕を組んで喧嘩腰で言い返した。
「強制治癒なんていう危険な治癒魔法、リラ以外に使うわけないじゃん。下手すれば体が持たなくて死ぬっつーの。でもあの状態だとこの魔法じゃないと、夜だけにしか使えない自己再生能力を強制的に発動させることができないじゃん。だからしょうがないんだしー。ほんっと、その体だと不便だよねぇー」
「うるさいわね。好きでこんな体になっているわけじゃないわ。それに、わざわざ、自己回復を発動させる必要がどうしてあるのかしら?リィーの救済)を使えば、ゲホゲホゲホ…」
途中、リラは咳き込み赤黒い塊をいくつか吐き出してしまう。
「あーあ。興奮しちゃダメなんだゾ。まだ、完治ってところまでいってないし、そもそも、今回は応急処置みたいなもんなんだから、内臓あたりは全然治ってないはず。だからおとなしくしてなきゃね♡てか、自己再生がどこまで進んでいるか自分が一番分かってるっしょ」
なんだか、二人の間の雰囲気が悪い。まるで犬と猿。犬猿の仲なのか。
にもかかわらず、そんな空気をとある少年がぶち壊す。
いきなり小鳥遊はリラを抱きしめた。
「良かった。元気になって本当に良かった」
何度も何度も繰り返す。
「全く大袈裟ね。あの程度で私が死ぬわけないでしょ。…、まあ、確かに危険な状態ではあったことには違いないけど。だけど吸血鬼種は割と頑丈だからそこまで心配しなくていいわ。どうせ、日が落ちればすぐに回復するんだし」
リラは小鳥遊を押し返す気力がないため、されるがまま、なすがままだ。
「それでも、助かって良かったよ。本当に…さ」
小鳥遊は強く彼女を抱きしめる。
きっと、リラにとってはこの程度の傷、日常茶飯で当たり前のことなのかもしれない。
恐らく、リラにとってはこんなこと、常日頃のことでいちいち気にしないのかもしれない。
だけど、傷ついていることには変わりなくて、そこに痛みや苦しみが確かにあって――、そんなことを分かっているのに『心配しない』なんてことはできるはずがなかった。
「あのー、感動的なところ、水を差すようで悪いんだけどさ、今の状況的にそんなことをしている場合じゃなくないっすか。さっきの絡み方的に私が言うのもどうかと思うけど、一応、ここ、戦場だから、ファイティングなうだから。分かってます?」
口の前で両手をメガホンのような形にしてリィーは申し訳なさそうに割って入る。
実際リィーの言う通りだった。
リラ達が仲良く抱き合っている一方で、神谷とトトは無言のまま対峙していた、
重苦しい空気が二人の間を漂う。
どのくらいの時が経ったのだろうか。恐らく、たったの一、二分程度だろう。だが。体感ではその何倍もの時間が過ぎたような気がした。
「助けに来るの、意外と早かったですね。もう少し遅いかと思っていたのですが、全く、貴方という方は。今も昔と変わらないですね」
最初に口を開いたのはトトだった。それは、淡々としていて、ふっくらと艶のある声だった。
「嘘は良くないよ、トト。僕が間に合うと君は分かっていたのだろう。君の索敵能力は、王都の中でもリラに次いでいたし、どうせ、僕が間に合うと予想していた上で、だらだらとしていたんじゃないかな。どうしてそんなことをしたかは分からないけどね。君こそ、そういったところは、今も昔も変わらないじゃないか」
神谷もまた、淡々とした声だった。まるで、昔からの知人に話しかけるような、そんな軽い調子だった。
「なあ、二人ともお互いのこと知っているような口振りだけど、どんな関係なの?まさか、昔は友人だったけど今は敵同士―みたいなベターな展開じゃないよね」
と、少し離れた場所に移動した小鳥遊が何気なく聞くと、
「へぇー、意外と勘がいいのね。まあ、そんな感じよ。ちょっとだけ違うけど」
小鳥遊からようやく解放されたリラはあっさりと言った。
「あの二人は夫婦なのよ」
…。
はい?
思考が止まった。
「ん?どうしたのかしら。そんな、思考が止まったような反応をして」
リラが首を少し横に傾げながら小鳥遊に問いかける。
「いやいやいや、意味が分からないですけど!!なんで夫婦なのに戦ってんの!?夫婦喧嘩の類いかその延長なの?」
小鳥遊が驚くのも仕方がない…、というか当たり前の反応だろう。常識的に考えて、状況が突飛すぎる。どういった経由で、今の状態に―――いや、一応『奪う者』と『守る者』としての単純な構図にはなっているのだが、問題はどうして『奪う者』=『妻』、『守る者』=『夫』となっているのか…、理解に苦しむ。
「そんなことより、始まるわよ。王都最強の夫婦同氏の戦いが」
小鳥遊の疑問は、そんなことより、の一言で片づけられた。
「ねえ、旦那さまぁ♡余裕ぶっこいている様子ですけれど先ほどの空いた時間、私が何もしていないとでもお思いですか?もう少し警戒心をお持ちになっても宜しいのでは?」
それは相変わらず、甘く誘惑的な声だった。
「大丈夫さ、君がさっきの間に何を仕掛けていようと関係ない。僕の力、知らないわけではないだろう。それに僕が警戒していたからこそ、君は攻撃できなかった。それならそれ以上に警戒する意味なんてないんじゃないかな」
それは相変わらず、落ち着いた声だった。
トトと神谷。
神谷とトト。
二人の間に何があったのかさっぱり分からない。
だけど。
二人は夫婦で。
二人は家族で。
二人は敵同士。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
そんな二人が激突した。
最初に動いたのはトトだった。といってもリラとの戦闘のようにトップスピードで突っ込んで行ったわけではなく、指を軽く鳴らすだけの簡単な作業だった。それだけで、神谷の周辺の地面が盛り上がり、数体の土の竜が形成され神谷に襲い掛かった。にもかかわらず、神谷は顔色を一つも変えずに手を横に振るう。それだけだった。それだけですべての竜が破壊された。が、すぐに再生され、再度、神谷へと襲い掛かる。だから先程と同じように、竜を破壊するかそれとも回避するかと思われた。
神谷はどちらも選択しなかった。
理由は明白だった。
トトが神谷との距離を一気に詰めており、そちらを先に対処しなければならないと優先順位を変更したからだ。結果として、神谷のその判断は正しかった。トトは神谷の正面に現れたと思った途端に消え、いつの間にか神谷の背後に回り込んでいた。そこから神谷の首元をボウイナイフで切り裂こうとする。それをスレスレで神谷は避け振り向くが、既にトトはいなかった。その直後、竜が一斉に神谷に攻撃してきた。しかし、その全ての竜がリィーの魔法により一瞬にして氷漬けにされてしまった。すると、今度はその竜の内部が真っ赤に染まり、爆発をして、猛煙に包まれた真っ赤な大蛇が現れた。その大蛇からありえないほどの高温が伝わってくる。喉が焼けそうだ。さらに、先程と同様に地面が盛り上がり。今度は土の壁が至る所に形成された。
そんな状態でも神谷の顔には焦りの一つもなかった。
「相変わらず、僕の妻は凄いな」
その瞬間、複数の真っ赤な大蛇が四方八方から神谷に襲い掛かる。と、同時にトトも、複数の土の壁を利用して、狙いを定めさせないように移動しながら物凄い速さで近づいてくる。その速さは小鳥遊やリラと戦った時とは比べ物にならないほどのものだった。多分、魔法により肉体強化を行っているか、それとも、魔法により限界を超えた速さを出せるように環境を調整しているのか。
これには流石の神谷でも回避を強いられたようで、後ろに数歩だけ下がった。直後、頭のすぐ上で何か音がした。見上げてみるとそこには巨大な水の塊が一つ、ゆっくりと、でも、確実に落下していた。
そして。
そして。
そして…。
全方位から、神谷は狙われ、襲われた。
物凄い音と衝撃が神谷から離れた場所にいる小鳥遊達でさえも感じ取れる。
小鳥遊達の方からは砂埃や土埃などのせいで神谷がどうなったのか判断できなかった。
「まさか、死んだりは…してないよな?」
隣に座っているリラに聞いてみると、
「この程度でやられる男なら、騎士団長っていう地位にはついてないわ」
すると、いきなり土埃や砂埃が一気に晴れた。そこから神谷の姿が現れる、――――無傷の彼が。
神谷は小鳥遊達の方を見ると、軽く言った。
「悪いね。取り逃がしてしまったようだ」
本当に軽い調子だった。