幼い僕の罪
後悔は人それぞれ。
やってもやらなくても後悔してしまうなら。
もう、僕はしない。
今を大切にするために、しない。
幼さは罪か。
子供は良いも悪いも分からない。
だから、自分の思うままに行動する。
罪なのは幼さではなく、無知な事だ。
でも、罪ではない。
厳密には罪意識の生まれを誘発する。
厳密には自分以外の人間へ悪するのみ。
幼子はいとも簡単にやってのける。
それは自分の過去にも思う。
何も知らない故に、
自分に伸ばされた手を振り払う。
結果、今になっても罪の意識は僕を苛む。
無意識に素通りした道の数々に
無知ゆえに気が付かなかったことも今、分かる。
こうしておけば良かったと
後悔する。
やって後悔するより、やらない方が良い。
僕はそう思う。
やらずに後悔するより、やって後悔した方が良いとした事は
自分の大切な物を手放す、トラウマまがいの物ばかりだった。
それには前提条件が付いたのだ。
何でもではない。
だから、人は考えて、選択するのだ。
こんな、言葉は呪いでしかない。
良く考えて、優先順位を決めて、後悔してでもやりたい事か。
大切なものを犠牲にしても突き通さなければいけないのか。
時間が無いのなら、こそ、立ち止まるべきなのだ。
知識を付けろ。
先人が後悔したことを自分も後悔する必要はない。
それでもやりたい事だけを選んでやるんだ。
それだけのために。
幼いことに胡坐をかいて、
のちの人生の方が圧倒的に長いのだ。
圧倒的に長い年月を
抱えて生きていくのか。
幼さは罪ではない。
ただ、幼いことは、無知な事は
自分の大切なものを壊すトリガーとなりうる。
だから、人は大人になる。
自分以外の大切な何かを見つける。
私は、無知なことが罪とか、後悔するならやらない方が良いとは思ってないです。
人それぞれ、自由に選択していいと思います。
この人は、勢いでやってしまう前に、考える時間を見つけてほしかったんだと思います。
やってしまったら取り返しつかないこともありますので。




