廃屋
忌まわしき生体兵器、設計または造った人間は死んでもそれらはこの世界から消えてなくならない。
奴らが人を襲うのは自分たちや他の生体兵器と比べると圧倒的に弱く食料として襲いやすいから。
たまに例外がいるがほとんどの人間は心も体も作る物も非常に脆い、前線基地は月に一つの頻度で破壊され、シェルターでさえたまに現れる特定危険種の上位種によって、五年に一つ程度の頻度で壊されている。
前線基地ならそこで働く人間は生きていればシェルターへと逃げ帰ることができるし、脅威を取り除き物資さえ集められれば壊されていても前線基地は再建できる。
しかしシェルターが破壊された場合はそう簡単にはいかず、ほかのシェルターに移動しなければならない。
生体兵器を阻む防壁が壊れただけなら修復が可能だが、ライフラインやシェルター運営に重要施設が破壊されたり、シェルター自体が生体兵器に乗っ取られたりすると再建は難しくそのシェルターは放棄しかなくなる。
放棄されたシェルターで済んでいた者たちは新しい家を探すため他のシェルターへと移る、移住権を買い、家を買い、仕事を探す。
逃げ出す際にお金を持っていなければシェルター入り口の門で文字通りの門前払いを受けることになる。
お金がなくてもいくつかの例外でシェルター側から受け入れを許可されることもあるが、それは逃げてきた人間の数パーセント。
そのため始めから他へのシェルター移住を諦めた者もいる、単純にお金がない者、親のいない子供、病気などで働くことのできないもの、そういうものを放っておけないもの。
破壊され放棄されたからと言ってすべてが使えなくなるわけでもない。
壊されても部品や材料さえあれば動くものなどたくさんあるのだ、ただそれには膨大な額のお金がかかるという話。
金で解決できるがそれが無理だという理由で復興できない廃シェルターは少なくない。
そんな放棄されたシェルターで人知れず、今日も死と隣合わせで生きる。
廃屋。
もとは豪華で煌びやかな旅館か何かだったであろう木造3階建ての館。
照明は壊れ窓や壁に開いた穴から射す外の明かりが照らす薄暗い屋内に、かなりの密度で蜘蛛の巣が貼り巡り、腐食し穴の開いた壁や天井からカビの臭いがした。
割れた窓から冬の冷たい風が力のない笛を吹くような音を立てて吹き抜ける。
そんな長いこと放棄され時間に蝕まれていくような場所に、長く伸びたボサボサの髪、目の下の濃い隈、いかにもまともな生活はしていない風貌をした男がいた。
彼はこの建物の一室で半年前に知り合った仕事仲間と待ち合わせをしている。
男は変色し風化した上の階に続く階段を上り、3階の通路を慎重に、腐った床を踏み抜かないようにかなり用心して歩いている。
何しろこの階に来る前に、すでに彼は二回ほど床を踏み抜いているのだから。
「あいつ、こんなところに呼び出しやがって……」
コートのポケットに手を入れポケットの奥の方を探る。
ここに来る前に渡された、何かしらのキャラクターがプリントされたメモ取り出すとそれをクシャッと握り潰す。
彼は絨毯だか苔の塊だかわからないものを踏みつけ、目的の部屋の前にたどり着いた。
部屋の扉には先ほど握りつぶしたメモと同じ何かのキャラクターの柄紙が貼られていた。
張り紙には「ここ」とだけ書かれている。
変形して押すのだか引くのだかわからない汚い扉を手で開けるのをためらい、彼は勢いをつけて蹴り開けた。
勢いで扉が縁ごと外れ、床に倒れた拍子に部屋中に床の埃が舞いあがった。
部屋の中はカーテンが閉められており薄暗い。
通路よりさらに暗く暗闇に目が慣れるまで時間がかかったが、かろうじて部屋の真ん中に椅子が置いてありその奥に大きな机があることがわかる。
ーーあいつが悪戯や脅かすのが好きでおそらくはどこかに隠れているのだろう。
「ここか。いるのかキンウ」
わざわざボロ屋に呼び出しておいて、呼び出した本人が姿を現さない仕事仲間に怒りを押し殺し、彼は袖で鼻と口を隠し舞い上がるかびと埃臭い部屋の中に入った。
数歩進むと先ほどの返事が返ってきた。
「はいはーい。ここいますよー」
暗闇の向こうから女性の声がした、だが声だけでその姿は見えない。
「時間通りだね、さっすが。ん、ちょっと早いかな? 暗くて時計よく見えないや、あはは」
少し間が置いて、また暗闇から声が聞こえる。
「セーギ、セーギィ。間の抜けた悲鳴と腐った床が抜ける音、ここまで聞こえてたよ」
ククッと笑いをこらえている彼女はなおも暗闇に隠れ姿を現さない。
彼女の序妙に機嫌のいい声に我慢の限界か、頭に血管を浮かべセーギは暗い部屋の中を進み声の主を捜す。
「ふざけてんのか。ぶん殴んぞ、でてこい」
「あはは、ふざけてるけど、殴らないでよー。暴力よくないよ。セーギー」
セーギは扉からまっすぐ進み足元に気を付けながら声の聞こえる方へと進む。
「どこにいる、出てこい」
「さぁさぁ、私を見つけてごらんよ」
挑発じみた言動に腹を立て、床が抜けやすいことを忘れ大きく力を籠め一歩踏み出し、再びバキリという音と共に本日三度目、彼は床を踏み抜く。
思った以上に腐っていたのか踏み抜いた床の穴は大きく開き、彼はそのまま下の階に落ちそうになる。
とっさに下の階に落ちる直前で何とか腐っていない部分の床にしがみつき、半身を下の階にぶらつかせながらも、どうにか三階にとどまった。
「あはぁ」
声の主、細身の女性、キンウはセーギの居た階よりさらに上の階、この建物の屋根裏から降ってくるように降りてきた。
軽やかな着地に失敗し少しよろけたが、彼女は腐った床を踏み抜くことなく降りたった。
「おっととあぶね、普通に着地して踏み抜くとこだった。さて、フム……よく見えないな」
彼女は今にも床板と共に下の階に落ちそうなセーギを放置しカーテンの閉まった窓へと向かう。
ぼろ布で腐りかけのカーテンを彼女は落ちていた棒かなにかで左右に分ける。
眩しいばかりの光が差し込むとキンウは窓いっぱいの光を浴びた。
後ろ髪の一部を三つ編みにしたワインというより血の色に近い黒に近い赤毛の女性。
彼女は見える範囲で自分の防寒着についた埃は払いながら振り替える。
「これでよく見える」
振り返り視線を下に向けキンウは床に必死につかまっている今にも落ちてしまいそうなセーギを見下ろした。
細工をして床の一部が予定通り2メートル四方の正方形に抜けていて、その角にセーギがぶら下がっている。
「おお、セーギ、割と怒ってる感じだね。でも、ぶら下がるのに必死で私には手も足の出ない」
笑みを浮かべ、なおも小ばかにした口調で窓から離れ床を踏み抜かないように、ゆっくりとこちらへ来る。
ヘラヘラと近寄るキンウは内心すごく怖かった、咄嗟に自分の足をつかまれるかもしれない、実は上がってこれるが落ちそうなふりをして近づいてくるのを待っているのかもしれない、彼を怒らせたのは自分なのだから、などと用心し一歩一歩近づいていく。
反撃らしきものが来ないのでキンウはセーギの目の前まで近寄った。




