それまでの時間 3
メモリの母親が働く散布塔の一つに呼び出しを受け、彼女を膝の上に乗せた状態でしっかりと怒られた二人は散布塔を後にする。
「怒られたな」
「シアさん乗せた状態でまじめに怒られて、どういう気持ちで聞けばいいか困りました」
「君はまだいい方だろう、私なんか逃げ場のない真後ろで表情が見なくてもわかる機嫌の悪い声を聴いていたのだぞ」
「シアさんのお母さんってどんな立場の人なんですか?」
「塔を預かり管理する幹部の一人だったかな、風や天候での霧の濃さの調整をしていた気がする」
「霧の原液とか作る人じゃないんですか?」
「あれはある程度の資格があれば作れるよ、レシピがあるからなそれ通り混ぜれば私でも作れる」
「でも作ったらまた怒られますよ。それでええと、お父さんの方って何しているんですっけ?」
「私の家族に興味があるのか。ふむ、その前に私へのプロポーズが先なのでは?」
「ちっ違います! そういうことじゃないんです」
「冗談だよ、ほんとからかいやすな君は。しばらくはこうやって君をからかえないとなるって考えるとつまらなくなるな。父さまはたしか、軍の指揮官だったかな? 一般兵との結構を母型の両親が反対してたらしく、実家にもあまり帰ってこなかったからほとんど会っていないし、あまり深く聞いたことがないからわからない。手紙のやり取りはしているが仕事のことは書かない人だからな」
車椅子を後ろむきにしてゆっくり坂を下っていると後ろから声がかかる。
振り返ると下層で売られている質の悪い服の上にジャージの上だけを羽織った、ジガクが箒と塵取りを持って立っていた。
「あれ、ジガク、こんなところで何やってるんですか?」
「掃除だよ掃除、見りゃわかるだろ。職のない最下層の人間はその日暮らしなんだよ。これだって昼飯の分でこの後北区の道路のレンガの敷きなおしに行かないと夕飯と朝飯の弁当がなくなる。早く終われば煉瓦焼きの工房にでも行って作り方学ばないと一生一般兵で働かないといけなくなっちまう……それはそうとその子は?」
「この人が僕を雇ってくれているシア・メモリさんです」
ジガクが車椅子の正面に回り込む。
「……はじめまして」
ギンセツの後ろに隠れることができずメモリはあたふたして俯いて小さく返事を返す。
「初めまして、ギンセツから話は聞いています。俺はヤソバ・ジガクって言います、ギンセツとは最近知り合って……まぁ友達です」
「……お、おう、おねがいします」
顔を覗き込もうとするジガクに完全に固まってしまうメモリ。
人と話すのが人見知り解消につながると思ったが、通常会話はまだ無理そうであんまり精神的に無理をさせないように彼女から彼の相手を引き受ける。
「コトハさんも近くにいるんですか?」
「いいや、あいつは中層だからな。今の時間は家でゴロゴロしているか仕事してるはずだぜ」
「ああ、整備士でしたね」
「あいつは手先が器用だからな、メモリさんも整備士なんでしたっけ」
「あ、ああ、うん、そう」
突然話をふられ慌てて返事を返すメモリ。
通行人を遠くから眺めるだけじゃなくてこれからは話すことに免疫つけてもらわないといけないと困りそうだなと、また一つギンセツの彼女を一人にする不安が増えた。
「それじゃあ、また今度。今はシアさんも疲れていますので、掃除頑張って」
「ああ、そっちも頑張れよ」
坂を下り家への曲がり角を曲がって人気が少なくなってからメモリが口を開く、知らない人間と突然会話させられたのが嫌だったのか不機嫌そうな声色だった。
「さっきのは、君の友達か」
「はい、もうすぐに迫った兵役で一緒に鉄蛇で働こうって約束してます」
「そうか、知らない間に友達ができていたか。随分親しそうだな」
「知り合ったのはついこの間ですよ。そうそうジガクにはコトハって妹がいて、シアさんと同じ整備士やってるんですよ。シアさんの話したらいつかシアさんに会いたいって」
「……下の名前」
寂しそうな声でメモリは小さく呟いた。
「どうかしました?」
「何でもない、君がいなくなったら家が広く感じるだろうと思ってな」
「僕がいない間ちゃんと生活できますか? ちゃんと栄養のあるもの食べないと、カップ麺だけじゃだめですよ」
「そういえば書類は書いたのか? 期限はもうすぐだろう」
「もう書いてあります後は送るだけです、話をずらさないでください」
「君の希望が通りやすいように私のサインもしておいてやろう、年齢はさておき高層の人間だからな」
「ありがとうございます、でも話をずらさないでください」
「ふふん、君のためにできることなら簡単なことだよ」
「僕が一般兵として働いている間ハクアさんの家に戻ることはないんですか?」
やはり彼女だけでは一人暮らしは無理なのではないだろうかという不安からギンセツは自分のいない間の心配を口にする。
「ない、私は一人暮らしをすると決めたんだ。結果的に君と暮らすことになったが君がいなくなって初めて私の一人暮らしが始まるんだ。どうする、帰って来て人見知りが治って掃除と洗濯、完璧に自炊ができる私のせいで君の居場所がなくなってるかもしれないぞ」
怪我をし移動すら困難なうえ重度の人見知りで買い物に行くことすら困難そうなのに、どこからその自信は出てくるのだろうかと彼女の強がりを信じるギンセツ。
「君は私のこれからじゃなくて君のこれからを考えたまえ、死亡率が少ないとはいえシェルターの外に出ればその確率いつもすぐそばにある、運の悪かった一人にならないでくれよ」
「僕は自分のことは自分で出来ますから、僕に頼りっぱなしのシアさんが心配なんです」