それまでの時間 2
メモリは高層の家庭に生まれる。
彼女の母親は高層の住民で夜間の仕事、父親は中層の住人で仕事上ほとんど家に帰らない、家にいるメモリができるのは親が帰って来るまでの読書だった。
昔から運動は得意ではなく部屋で本を読んでいるような子で、教本を読み込んでいき知識を蓄え基礎学問の成績はすごくよかった。
しかし彼女は年を重ねるごとに本の外への興味を示さなくなっていく。
ギンセツとの出会いは彼女を変えた、若いこともあって周りの影響を受けやすく重症化する前に彼女は日常社会への復帰への道を進んでいる。
一般兵となって外へ行っている間に彼女が再び世界との壁を作ってしまわないか彼はそれだけが心配だった。
掃除を終えひとやすみしていると階段を下る足音が聞こえ廊下から部屋のなかを探すメモリがいた。
「きっ昨日はすまなかった、ちょっと突然の事だったからびっくりした。つい逃げてしまった」
彼はメモリに気が付くとすぐに声をかける。
「おはようございます。今日の夕飯何か食べたいものはありますか?」
彼女が下りてくるのはもう少し後だろうと、ギンセツはちょうど自分が飲むようにお茶を注いでいる途中だった。
「おおう、特にない。いつも通り適当に作ってくれ。そっ、それより、後先考えず髪切ったのは間違いだった、この服と合うかな?」
「にあってると思いますよ?」
顔は見れても真っすぐ目を見ることのできないメモリは、もじもじとし部屋に入っては来ない。
メモリの分を用意しようと湯のみを持ってくると廊下から電話のベルが鳴る。
「電話か、こんな朝早くに一体誰だ?」
「ちょっと出てきます」
ギンセツが電話に出ている間にメモリは部屋に入り椅子に座ると、今日の新聞を開いてメモリは机に置かれたお茶を冷ましながら飲む。
部屋の外からギンセツの相槌が聞こえその返事の声のトーンが低いことから嬉しい話ではないようだった。
少ししてギンセツが部屋に戻ってくる。
「シアさん……話があるから散布塔に来いと……」
「うぁ、忍び込んだのがバレてしまったか。意外とセキュリティがしっかりしていたのかというか今になってか……ああ、プロトの件でセキュリティの見直しか何かしたのか」
「どうしましょう」
「ん? どうにかって、一緒に怒られるしかないだろう。昨日の後だ、いまさら人なんて怖くなどないさ」
「人見知りは治りそうですか?」
「……いいや!」
その自信はどこからやってくるのだろうと不思議に思ったギンセツだったが、テーブルの上を見てもう一つ疑問がわいた。
「……僕のお茶は?」
「おいしく頂いた」
身支度を済ませメモリを車いすに座らせると呼び出しのあった散布塔へと向かうと、今度は水路からではなく正面の入り口から散布塔へと入る。
生体兵器を退ける特殊な液体の製造と散布を行うシェルターの周りにある数本の大きな柱。
発電所、基地などシェルターに複数ある民間人立ち入り禁止の施設。
そこに呼ばれるなど通常ありえないことだった。
「僕、一生鉄蛇で戦うとか嫌ですよ」
「少し怒られれば、すぐに帰れるさ」
「そんな簡単に……すみますかね」
散布塔は先日近くで事件があったため施設の中まで警備が強化されていた。
二人はその事件の当事者なのだが。
「この間来た時とは大違いだな」
「そのせいじゃないですかね」
メモリの車椅子を押しギンセツは近くの警備に話しかけると、施設内に連絡し確認を取りそのまま案内された。
そとは人が多かったものの依然来た時同様、昼間は塔の中は清掃員とすれ違ったきりほとんどいない。
施設の上の散布機の下の階ひとけのないフロアで案内役と別れる。
「さぁ、いよいよだ怒られる準備はできているかな」
「嫌だなぁ……」
自分の力で歩こうと松葉杖を持って車椅子から立ち上がるのを待ち、意を決し扉の前に立つとノックをして部屋に入る。
その後ろからゆっくりメモリが続く。
「失礼します」
「誰もいないな?」
窓のない広い部屋、目の前にある書類の積まれた大きな机には誰もいない。
二人が部屋の中央まで歩いたとき突然扉が閉まった。
「メモリ~久しぶり~会いたかった~! 連絡来たよ~怪我大丈夫? 髪切ったんだ~」
扉の陰から現れた長い黒髪の女性は、二人が条件反射で振り返るより早くメモリを抱きしめると彼女を車椅子から引きはがし抱きしめたまま席に着く。
メモリは動かせる手足をばたつかせ抵抗を試みるも痛みで涙目になるだけで無駄に終わった。
「心配はしてたんだからね~深夜に連絡あって大変だったんだから~。それで、怪我の具合は? なんであんな時間にあんなところにいたの?」
「心配する程では、見た目ほど大きくなくすぐに治るって後遺症もないって言われたし」
「そう、ならよかった、この若さでまともな生活ができなくなったらショックが大きいものね。で~、話変わるけど~、髪短くなるとお人形さんみたいに随分かわいくなったね~」
「そこは大きくなったというべきなのでは母様!? いい加減離して、ここに来た用事を思い出して」
「んー? ん~? メモリの顔見たら忘れたな~、ここに来たんだって~ここによってくれればよかったのに~。その場合その場で叱ったけど」
大人しくなったメモリは項垂れシア・ハクアの膝の上に収まる。
父親には会ったことがないがギンセツはハクアにはメモリの人り暮らしの件で何度かあっていて彼女の母親の顔は知っていた。
ハクアは娘の短くなった髪を興味深げに見て成長した体を服の中に手を入れて調べている。
「母様手が冷たい。痛っつっつ、くすぐったい!」
「ちゃんとご飯食べてる~? この辺がちっとも成長しているようには見えないんだけど?」
「ちょっちょ、服がはだける、ボタン外れてる!」
「病み上がりの私を困らせて、悪い子に育っていないか調べちゃうぞ~」
机の向こうに完全に存在を忘れられたギンセツは羨ましさを混じながらも、着せ替え人形のように遊ばれている主人の姿を見ないよう入って来た入口の方を見て立ち尽くしていた。