悪 2
セーギと別れたキンウは一人で、速足でトンネルにとめてきた車の元へと向かっていた。
荷物を取りに行くといって移動したけど、渡す荷物などない。
一人になりたいがための嘘。
――ここでの用は済んだんだから私たちさっさと帰ればよかったのに、何であんなこと言ったかなぁ……。
キンウは自分の歩いてきた道を振り返る。
そこは白い床と緑色の壁しか見えないが背後から追ってくるものはいる、しかし追ってきてほしい人でないため今はそのまま放っておきまた歩き出す。
――さっき飲んだお酒のせいかまだまだ顔が熱いし心臓の鼓動も早い……たぶん違うな、お酒のせいじゃない……。
次第に夜が近づき冷たい風が吹き始め肌を切る様な寒さがキンウを包んで吹き抜ける。
――大体何で同伴者の敵か味方かの判断の合言葉が、家族なのかな……あれを決めた時は、私は何とも思わなかったけど、今となっては……恥ずかしい限り。
思い出したくない過去の中でわずかにあった楽しかった思い出、子供時代の思い出を頭を掻きむしって追い払う。
――なれないことで動揺してるんだ、こんなものただの吊り橋効果、一時的なもの、絶対そう。ああもう、しばらく一人になって気を落ち着かせよう……私が戻ってくる様子がなければそのうちセーギはしびれを切らしてこっちに来るはず。来なかったらおいていけばいいし。今頃警戒を解いたヒナたちに質問攻めにあっているか、何かして警戒レベルあげて身動きを封じられているのでだろうけど。
後者の状況を思い浮かべ思わず笑いが漏れる。
騒げば騒ぐほど他のヒナたちが集まって来る、そうなれば彼は私に救いを求めるだろうその姿が想像していて面白かった。
「信じさせて裏切る……ねぇ……あはは」
半年前、前の仕事仲間を失いちょうどよくセーギを見つけた時に、危険な仕事を請け負った時の囮役に使おうと話しかけたことを思い出す。
無意識に三つ編みの部分をいじっていて、それに気が付いたキンウは髪を後ろに回した。
――ここまで来ればいいかな、ヒナを含めたここに住む人の名前は他の人にむやみやたらに教えてはならないって先生が言ってたし。ここまで離れれば名前を呼んでもセーギにも聞こえないでしょう。一人でいるつもりだったけど、考えても余計に熱くなって来るだけだし話し相手がほしい。
駐車場への扉が見えるとキンウは立ち止まり、誰もいない空間に向かって話しかける。
「ホマレ、おいで」
名前を呼ばれキンウの背後からこっそりと後をつけていた一人のヒナがやって来た。
キンウはその存在に最初から気がついてはいたがあえて無視をしていたため、気づかれていないと思っていた彼女は少々驚いてはいたがすぐに笑顔になった。
マフラーを巻いて泥だらけの大きな手袋をはめたヒナが、キンウの前まで走ってくるとわざと懐にぶつかって来た。
「ホマレ、その……体当たりは痛いのだけど」
「それは胸がないのが悪い」
嬉しそうにキンウに体を擦り付けるホマレと呼ばれたヒナは、彼女の問いに即座に答えた。
「ひどい、少し気にし始めてるんだからやめてよ」
「え、なんで? いつもは動きやすいから胸なんかいらないって言ってたのに?」
土仕事で汚れた手袋を取り強化繊維の赤いコートの防寒着の上からキンウの胸を撫でまわすホマレの頭を優しくなでる。
「そうだっけ? 私も大人になったってことだよ、成人したしね」
「嘘ばっか。もしかしてあの一緒にいた男と暮らして少し変わった?」
「ないない、今まで通り私が窮地に陥ったときの保険でしかないよ。裏切りそうなら首だってすぐに掻けるし」
「なら別にいいんだけど。優しくされたからって気を許しちゃだめだよ、だって……」
「だって、この無法のシェルターでは疑うこと辞めたら利用されて使い捨てられる、でしょ。ここでの暮らしでの常識、常に疑い不審な動きがあれば先に裏切る、大丈夫わかってる。言われるまでもない。というか先生の教えでしょ」
――でもそういうことじゃない、生体兵器につかまって彼が助けに来た時確かに嬉しかった。でもそういうことじゃない、仕事以外の話していると嬉しくなってくる私がいる、それでセーギが笑えばなおさらだ、たぶんこの気持ちは恋だろう、それがわからないほど私はそこまで鈍感じゃない。自分の気持ちの確認に今夜……。
多少言葉を交わすとホマレの歩く速度に合わせ再びキンウは車を止めた場所に向かって歩き出す。
この高級住宅だった場所は元は車両通行禁止だった名残で今も車両は通れない。
トンネルと住宅街に壁があるのも生体兵器が侵入してきたときの時間稼ぎとかという意味あいより、不審者の乗った車両が高級住宅街に現れないようにするための目的の方が強い。
それに加えこの廃シェルターはキンウが入って来た以外の場所の出入り口はすべて破壊しトンネルは埋まっているため、この場所以外から人が入ってくることはできずここの人の出入りさえ管理できればヒナたちが危険にさらされることはない。
キンウと一緒に歩いているホマレも彼女を見送りについてきているわけではなく、彼女自身も警戒対象として見張られていたのだがホマレは彼女に気を許し監視の仕事を放棄していた。
「じゃあまた来るから、ここでお別れだね」
「また近いうちに来てね、できれば一人になって」
ゆっくりと歩いていたがトンネルにつながる扉の前までたどり着き、ホマレは最後にもう一度抱き着いてからキンウから離れる。
「あはは、どうかな。もしかしたら、また新しい人と一緒かもよ」
「あなたの助手はいつか絶対私がするんだから、絶対死んじゃだめだよ」
最後に一言別れの言葉を交わしキンウは扉に手をかける。
開けられた鉄の扉の向こうにきらりと光を反射するものがありキンウがそれに気が付き身構える、扉を開けた先にガスマスクをつけた女性が立っていた。
「どうも、こんにちは。時間帯的にはもうすぐこんばんわですけど。また会いましたね。いきなりで失礼で申し訳ないですけど、少しあなたをお借りしてもいいでしょうか」
「え、だれ?」
そういうと手にしたスプレーを容赦なくキンウに吹きかけた。
そのスプレーから噴き出たガスを吸い込んだキンウは一度体を硬直させるとそのまま意識を失い力なく地面に倒れた。
動かなくなったことを確認するとガスマスクをつけた女性は背後に控えていた中身にキンウを運ぶように指示を出す。
怯えた様子でホマレはキンウが運ばれるのを少し離れた場所で見ていた。
ナイフを抜いて助けに行こうにもガスマスクをつけた人影の後ろにもう何人かいて、相手はガス兵器らしきものを持っている。
キンウが扉の奥へと消えていくのをホマレはただただ見ていることしかできなかった。
「壊れた防壁のところで待っていますと男性の方に伝えていただけませんか? よろしくお願いしますね」
立ち尽くすホマレの姿を見ながらガスマスクを外しカガリは開けられた扉を閉めた。