97 王子動物園のタンタンさんに思う
こんにちは。
今回はちょっと湿っぽいお話になってしまうかと。それでもよろしければお付き合いいただけましたら幸いです。
神戸市灘区にある動物園、王子動物園。
2000年、あの1995年の阪神・淡路大震災のあと、その1995年9月16日に中国で生まれたパンダが中国から日本へ貸し出しされることになりました。
メスのパンダの名は「旦旦」。
日中親善の一環として、大地震に傷ついた神戸市民、そして日本国民のためにやってきたタンタンは、本来ならもっと早くに中国に返還される予定だったところ、コロナの関係で飛行機が飛ばない時期があったり、その後心臓に疾患が見つかったりして何度も滞在を延長していました。
2022年からは一般公開もとりやめられ、ひたすらに闘病の日々でした。
そうしてこのほど、ついに2024年3月31日に亡くなったとのことです。
私を含む神戸市民はもちろんのことですが、パンダが大好きな人たちの悲しみは一通りのものではなく……。
タンタンの死が報じられた翌日から、王子動物園のパンダ舎には献花台が設けられ、多くの人が献花に訪れる姿がニュースになっていました。
かく言うわたくしも、仕事のあとでなんとか出向きたいと思っておりましたが、本日4月5日、ようやく花を持って動物園を訪れることが叶いました。
道々、花束を持ったお客さんを何人も見かけたことは予想通りだったのですが、いざパンダ舎に入って、そのあまりの献花の多さに驚きました。いかにタンタンさんが愛されてきたかがよくわかる光景でした。
私も手を合わさせていただき、タンタンに「ありがとう」を伝えて参りました。やっぱりその場では、泣けてくるのを我慢するのが大変でした……。
王子動物園は桜の通り抜けをするほどの桜の名所のひとつ。折しも、例年よりは少し遅咲きの桜がちょうど美しく花開いており、タンタンさんを送るかのようにも見えました。
とは申せ、動物園の動物については人間の勝手な意向で不自由な動物舎に囚われている状態である、という事実を忘れるわけには参りません。
パンダの28歳は人間で言う100歳にも相当するという報道もありますが、それほどの年数を生き延びられたのは人の手による手厚い保護があったからとも言えますけれども、それは彼女の自由を人間の勝手で奪ったことの対価のようなもの、ともいえるわけで。
タンタンさんの死を悲しみつつも、私個人はそういう事実をきちんと噛みしめておきたいものだと思っております。
彼女を手厚く看病し、健康管理に尽力されてきた王子動物園の「チームタンタン」のみなさんには心から御礼と「お疲れ様」を申し上げたく思います。長い間、まことにありがとうございました。
そしてタンタンさん、つらい闘病生活、よくがんばったね。
もうこれからは苦しむこともなく、そちらで楽しくおいしいものを食べ、ひなたぼっこをして、仲間と一緒に過ごしてほしいなと思います。
長い間、神戸にいてくれて本当にありがとう。そしてお疲れ様……。
お読みくださったみなさまにも感謝を。
どうもありがとうございました。