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83 芸能人の偶像視について思うこと

 

 はいこんにちは。

 今回はまた、有名お笑い芸人M氏に関連するお話です。


 その後、M氏は告発してきた雑誌社を相手取って名誉棄損の訴訟を起こしました。

 が、M氏を擁する芸能事務所Y社は、最初のうちこそ速攻で「そんな事実はない、事実無根だ」と突っぱねていたにも関わらず、ほかの証言者の女性たちの声がつぎつぎに雑誌に掲載されていき(今のところ8名ほど)、さらにはとある芸能人女性が顔・名前を出してまで過去にM氏からされた性的な強要の事実を暴露するに及んで「事実関係を確認します」と態度を豹変させました。

 まあ手のひら返しですわな。

 いま現在でわかっているのは大体ここらへんまで。

 いわゆる証言だけで「物的証拠」がない状況ではあるので、まだ彼が「有罪だ」なんて拙速には申しませんけれども、だいぶ立場は厳しくなっていると思われます。


 と、いうことで。

 前回もそうでしたが、ここではその事実があったかなかったかには言及しません。

 むしろ、この件で最初のうちからずっと疑問に感じていたことを論じたいと思います。


 SNS上では、匿名の人も匿名でない人も、M氏を必死に擁護するアカウントは最初からたくさんいました。

 個人的に彼と付き合いがある人と、ファンである人が中心だったと思います。

 ファンである人の言い分としては、


「Mちゃんがおらんようになったら、もうテレビは面白くなくなってまう」

「Mちゃんを返して!」

「Mちゃんは天才なんや」

「Mちゃんは悪くない、悪かったはずがない、告発した女が金目当てに嘘をついているに決まっている」……というもの。


 まあファン心理としては当たり前なものやとは思うけども……しかし……。

 ええとね、どうやんやろ。

 そら、有罪か無罪かはまだわかってない。せやからそこはなんとも言えませんけどもね。

「有罪や」とは言えないのと同時に、「無罪や」とも言い切れない中で、ようそんだけ盲目的に擁護やら告発者への攻撃に回れるなあと。


 Mさんかてエエ大人の人間やろ。

 もしも万が一、本当によろしくないことをやらかしていたんなら、当然、その責任は取らなくてはならない。そんなもん、有名人だろうが人気絶頂の芸能人であろうが関係ありませんわな。


 だというのにファンを自認する人たち、擁護する人たちは「Mさんは無実」と盲目的に叫ぶにとどまらず、告発をした女性のことを、ありとあらゆる汚い言葉を使って侮辱し、こきおろすことまでやってしまっている。

 これはさすがにやりすぎや。問題が大アリや。


 なんやいうて、要するに「Mさんがおらんようになったら、つまらん。オレ(私)の人生が楽しくなくなる」みたいな、ものすご──く個人的で身勝手な欲求、自己都合のために言うてることやし。

 その人個人の楽しみのためなら、他人の女性がどんな目に遭っていようが(またはその可能性があろうが)どうでもええ、っちゅうのはあまりの暴論やと思います。


 本来であれば「自分は彼のファンやけども、彼が本当にそうやって道を踏み外していたんやとしたら、しかるべく責任をとって謝罪もして、それできちんと出直してほしい」って、マトモなファンやったらそう言うもんとちゃうの?


 別にこの件に限りませんけども、だれかのファンである人たちというのは、時として非常に近視眼的で視野狭窄に陥りがちなもんであるようです。

 先日の旧ジャニーズ・現スマイルアップという事務所についての事件のときも、非常によく似たコメントが見られていました。現在も活動されているタレントさんたちを擁護するあまりにひどい言説をふりまくファンのアカウントが大量に湧いていたわけです。

 勇気を出して告発した被害者を名乗る人が、かれら、彼女らのあまりにひどい誹謗中傷のために自殺してしまったことは記憶に新しいところです。本当に恐るべきことが現実に起こってしまったのです。

 人は言葉によって人を殺せる。これは恐ろしいことです。


「アイドル」とは、もともと偶像を意味する単語です。

 ちょいとGoogle先生にお訊ねしたところ、英語では「idol」であり、ギリシャ語では「eidolon(エイドローン)」ラテン語の「idolum」からきた言葉だそうな。


 偶像とは何か。

 もともとは宗教的な目的をもって、たとえば神さまの姿をかたどって祈りや祭りの対象にするために造られたものを指しますよね。

 抽象的な思考にはなじまない、文字も読めないような一般民衆に信仰を持たせるためには、わかりやすい表象があるほうがよい、と時の権力者が判断することで作られることが多いように思われます。

 キリスト教やユダヤ教の聖典にはいわゆる「偶像崇拝」を戒める聖句があるわけですが、世界にはそれを固く守っている宗派がある一方で十字架やマリア像、キリスト像などの表象に祈る人々も世界にはたくさんおられますよね。


 木石で造られたただの「像」であったなら、私は個人的には別に構わんかなとは思うんですが、いわゆる日本で言う「アイドル」は生きた人間ですわな。

 人間を崇拝し、ファンになり、ほとんど偶像崇拝のように盲目的に愛して、彼ら彼女らの行動の何もかもを許し(あるいは罪さえ甘く裁量して)擁護してしまうこと、これって実はものすごく危険なことでもあります。


 なんや言うて、人間は決して「完全」ではないから。

 これは自分も含めて言うのですが、人間は不完全ゆえに、どこぞかに思考の偏りやら欠点やら、差別的な考え方を潜ませて生きている存在にすぎないものだと思う。それゆえ、必ず失敗もやらかす生き物です。

 つまり「善き人」であるのと同時に「悪しき人」たり得るのが人間という生き物なわけです。


 過去にどんなに善行を積んだとしても、なにかのきっかけでついうっかりと失敗したり、悪行をやってしまったりすることもある、それが人間。

 悪行をしてしまったのだとはっきりしたなら、きちんとそれに関しては反省や改善、傷つけた相手があるならその人に対する謝罪や賠償、そして罪をつぐなうなどする必要が必ずある。

 それは生きた人間である以上、どんなに大勢の人々から好かれていて、偶像視されていたって関係のないことです。本来はね。


 ですから、今回の件に限らず、いわゆる「ファン心理」というのは非常に危うい面を持っているなという危惧を抱きます。

 極端な人は、ほとんどカルト教の信者のように狂信的で排他的であり、自分が信じるそのアイドル、偶像以外のものはすべて「悪」だと「嘘をついているに決まっている」と決めつけて断罪さえしようとする。

 昔ながらの宗教が戒めている「偶像崇拝を禁じる」っていうのは、要は当時の賢者と呼ばれた人たちも、そういう危なさを感じたからこそ教義に入れたんやなかろうか。


 別にね、ファンになることは構わんと思うのですよ。私だって、好きな芸能人やクリエイターはいろいろいますしね。

 必死に努力して、なにか素晴らしい作品を作り上げた人とか、素晴らしい歌が歌える、踊りが踊れる、演技ができる、スポーツの才能があるなどなど、才能豊かな人たちは大勢います。そういう人たちを「よく頑張っててえらいな、応援してあげたいな」と思うのは人間として普通の感情だと思います。

 だけどそれと、芸能人やスポーツ選手などを「偶像視」することとの間には、きちんと一線を引いておかねばならないのではないか。


 人はだれだって間違いを犯す。

 だったらそれをきちんと認め、傷つけた人がいるなら謝罪して罪をつぐなった上で、また自分の仕事に邁進できるようになったらええこと。

「ファン」である人たちは、そうやって間違いを犯してもまた立ち上がろうとする人をまた、応援してあげればええ。

 それを最初から「あの人はええ人なんやから」「才能があるんやから」「だから罪を犯したはずがない」と決めつけて騒ぎたてるのは、ましてや告発した被害者を名乗る人を誹謗中傷までしてしまうのは、やっぱり間違っている。


 最近ではM氏について「〇年前に、彼のテレビ番組をみて救われた」というような、また別方向からの援護・擁護のコメントが増えてきました。

 彼は被災地への援助なども惜しまずする人らしく、そういう行動について「感謝を忘れない」と言って擁護する人も見かけました。


 でも、だからそういうことではなく。

 さっきも言うたとおりです。

 ひとりの人の中に、「善いこと」と「悪いこと」は同居し得る。「善いこと」をする人、した人やから「悪いこと」はしない、なんて誰にも保証できない話なのです。


 もしも本当にそれが「やったこと」で「マズイこと」やったんなら、きちんと贖罪を果たす機会がなくてはいけない。周囲の擁護者たちで囲いこんで、まるで彼がなにもしていなかったかのように喧伝してしまうのは非常にまずいことですし、ましてや被害者と目されている人を誹謗中傷するなんてもってのほか。

 今のところは白黒はっきりしないわけなので、どちらに対しても過度に擁護したり、攻撃したりするべきではないと思う。いや、黒やとはっきりしたってそれは結局、刑事や民事で裁かれていくべきことであって、外野がワイワイと責めたてるようなことでもないけども。


 人間はどこまでいっても「人間」。

 やっぱり、偶像視してはならないものなんやと思いますわ。


「応援」するんはええ。

 本人が一生懸命頑張っていることを、「頑張ってるね、すごいね、えらいよ! よくやったね!」と褒め称えるのもええでしょう。

 でも、決して偶像視して、「本人の行動全部をまるっと盲目的に何もかも許す」みたいな応援の仕方をするのはよろしくない。それではカルト信者と同じことになってしまう。非常に危険な応援の仕方であり、結局は本人にとってもよくないことになるでしょう。


 ……と、そう思いますな。

 ということで、今回はここまで。

 ではでは!


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