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49 ペドフィリアについて考える

 

 こんにちは~。

 今回は、特に子供を対象にした性愛を好む人について語ろうかと思っていたところ、例の芸能事務所の件が大きく報道されはじめまして。そちらについては今回はあまり触れませんが、近い話題なのでちらほらと内容に混ざるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。


 今回この話題で語ろうと思ったのは、またもやSNS上でとあるタグが回っていたからです。その名も「#ペドフィリア差別に反対です」。

 ペドフィリアというのは、厳密に言うといろいろ細かくあるわけですが、とりあえず、子供を性的な対象とする人々の総称、と思っておいてください。未成年の、それも特に性的に未成熟な子供を性的な対象とする人たちのことですな。


 さて。

 このタグが回りはじめて、当然のようにSNSは炎上しはじめました。当たり前ですわな。私も含めて子供の親である人、過去、未成年のときに大人の性対象にされて性被害に遭ったことのある人、みなさん大反対でした。

 もともとは「#LGBTQ差別に反対です」みたいなほかのタグがあって、そこから派生した感じでできたものだったかと思います。


 しかしですね。

 そもそもソレとコレとでは問題に大きな差がありすぎると思うんですよね。

 人が「私はレズビアンです」とか「ゲイです」とか「トランスジェンダーです」とか公言したからといって、別に差別するには当たりません。今までは到底そうではなかったとはいえ、今後は「ああそうなのね」と、社会も自然に受け入れていくほうがよいと思われる。だって実際にそういう方々は存在しているわけですし、それで誰かを害しているわけでもないので。


 同性愛の人たちの恋愛は、基本的に成人同士のものであって合意の上で進行するものでしょうし、そこに犯罪の臭いはしません(もちろん違法な売春行為や、強姦など犯罪行為が関係している場合は除きます)。


 ですが、子供を対象にする人たちをかれらと同列で語ることはできない。

「私はペドフィリアです」と表明するのは自由かもしれませんが、そう言う人から大人たちが子供たちを遠ざけ、距離を取らせ、いわば「差別」してしまうのはある意味やむをえない。また、ペドフィリアを自認する人たちが子供と接する機会の多い職業にはつけないようにされるとしても、それは仕方がないことです。

 なぜか。

 彼らの「恋愛」は、どうしたって未成年を対象とするために、実行するだけで犯罪になってしまうからです。


 未成年は、自分で自分のことを決めるための知識や経験が圧倒的に足りず、だからこそ社会からしっかりと守られなければならない存在です。ペドフィリアである大人の側がいくら「彼(彼女)とは合意だった、自由恋愛だった」と主張しても通らないのはそのためです。

 大人はあの手この手で知恵をしぼって、いくらでも経験のない子供たちを言いくるめ、体力や権力で圧倒して従わせることができる。できてしまう。それゆえに非常に危険だし、子供の人権がしっかり守られる状況にないと言える。


 冒頭で少し例として出した芸能事務所の社長などはまさにそれでしたよね。被害者が語りはじめた詳しい状況が出てくるのを見るにつけ、吐き気を催すほどのひどさです。

 その被害の後遺症として、鬱になり、体を壊し、何十年も前の被害のために人生そのものを狂わされ壊されて、今も苦しんでいる人が大勢いるのです。


 ペドフィリアが心の中でどんな妄想をしていようがそれは自由ですが、実際に生きた子供に手を出してしまったらそれは犯罪でしかない。いくら「合意だった」と双方が主張したとしてもそれは変わらない。

 だとしたら「私はペドフィリアです。でも差別しないで」と公言する必要性はまったくない、ということになる。殺人衝動のひどい人がわざわざ「私は人が殺したくてたまりません」と主張しないのと似たようなことです。

 他人に認めてほしい気持ちはわからなくはないけれど、それはやっぱり公言しないほうがいい性癖でしかないのではないかなと。


 SNSは匿名性が高いためか、とてもひどいことを主張する人も中にはいます。

 散見された中で最もひどいなと思ったのは、こんな言説。


「トロッコ問題ではないが、一人の幼女に我慢してもらえば100人のペドフィリアが性的満足を得られるとするなら、『幼女に我慢してもらったほうが人類の全体的幸福量は増える』のではないかと思う。弱者男性をさらに虐めるより、そういった解決策のほうがいいのではないか。」(SNS「X」からの引用)


 これはいくらなんでも酷い。

 最初に見たときは、本気で目を疑った。

 いやもう、あまりにも身勝手が過ぎる。100人の「自称弱者男性」たるペドフィリアが性的満足を得るために、人権のある一人の女の子を生贄に差し出すべきだと言っているわけで。そのほうが世界が平和になるぞと。

 いったいどんな人権感覚なんだろうと。

 その子の人格が、人生が、めちゃめちゃに壊されてもどうだっていいと言うのだろうか。かれらの性的な欲望を満たすためだけに?

 それこそシャバに出しておいたらダメな人たちなのでは???


 そしてこんなことを言うアカウント、またやんわりとでも擁護しているアカウントの多くが、二次元萌え絵美少女の顔を自分のアイコンにしているのがまた象徴的だなと。


 ことほど左様に、ペドフィリア的傾向のある人たちは二次元の美少女たちを愛でて自分の欲望をひそかに解消している人が多い模様。少し前には、いわゆるダッチワイフの子供体形版が販売されている、と報道されたこともありましたね。

 まあ何を利用するにしろこっそりやるならばいいのですが、このところそれを大っぴらに公的な場所でも公開したがる場面が増えてきたことで、いわゆるフェミニストさんたちと衝突することが増えてきたという印象があります。


「こっそりやることを問答無用で強要される」のもまた差別されている気がして鬱々とした気持ちになるのはわからんこともないのですが、やはりペドフィリアは社会的に見れば危険な存在とみなされても仕方がないのでね……うん。

 これからも今まで同様、こっそりとそうした二次元のものや人形など「人格も人権ももたない対象」で自分を慰めて生きていっていただくのがよいのかなと思います。

 ついでながらそのことを、公言も公開もしないほうがいいよと。


 今回はこんな感じですかね。

 ではでは。


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― 新着の感想 ―
[一言] 幼女への愛情をロリコン と混同誤解してるのが一般的ですが ロリータ(同名の映画のヒロイン)は 確か中学生ぐらいで 中年の親父と駆け落ち逃避行を扱ったらしいです 確かハッピーエンドにはならない…
[一言] "自由"を履き違えてますね(^_^;) ムカムカしました(-_-メ)
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