28 SNSについて思うこと
こんにちは。
今回はわりとすぐに更新となりました。
連載が終了して、ちょっとエアポケットに入っちゃった感じで、せっかくなのでしばらくエッセイ中心にやっております。
今回の話題はSNS。
私はこちらのサイトで小説を掲載させていただきはじめてから、物書き仲間さんから勧められて、小説の宣伝のためにアカウントを作成しました。みなさんご存知、最近あまり評判のよくないあの青い鳥さんのSNSです。
小説の宣伝という意味では、一体なにがどれほど益になっているのかよくわからない状態のまま、気が付けばもう何年もやっているのですが、小説の宣伝よりは小説書き仲間さんや司書のかたなどと情報交換したりコミュニケーションできるのが楽しい、っていう感じになっております。
自分の小説を更新したときに告知をする以外は、ぽろっとそのとき思ったことをつぶやいてる感じかな~。
もはや小説アカウントというより雑多垢。
このごろはインド映画「RRR」のツイも多めやし(笑)。
なにかよくわからないことがあって「どなたか有識者にお訊ねしたい!」みたいなときに役に立つのはいいですよね。あと、体調を崩してるときとか優しいかたが心配してくださるし(甘えん坊です)。
テレビや新聞のニュースよりも早く事件を知るきっかけにもなっております。
とはいえ新聞は大切ですけども!
それで。
今回書きたかったのは、こういう「SNSの利点」に対して「ちょっとこれはどうなんやろ」と思っていたことです。
リアルで普通に生きているだけでは決して交わらなかったであろう人と言葉を交わせるツールであるということには、利点ばかりがあるわけじゃないなと。
例として挙げたいのが、いわゆる「男さん」と「女さん」たちによる男女差別や性被害、女性蔑視などなどにまつわる話題での炎上です。
私は基本的には端から見ているだけなわけですが、これがどんどん攻撃に対する攻撃の応酬になってひどいことになっていく。お互いのコミュニティに対する憎しみが増幅されていく。どんどん冷静さを失っていく。
どちらも「自分は被害者」「虐げられているのは自分」だと思っているし、それに対して「相手の態度や認識がまちがっている!」ときつい言葉でお互いに責めあっているだけなので収拾がつかない。
SNSというのは、文字数に制限もあったりしてつくづく議論には向かないツールだなと思いながら見ています。むしろ最近では、こうした性別の違い、世代の違い、社会的な地位の違いなどなど、いろいろな異なるグループ同士の溝を深めてしまう危ういツールだなという気がしています。
一応「匿名」であるのをいいことに、若者は年上の人を「BBA」だの「おっさん」「ジジイ」だのひどい言葉で表現するし、年上の人は「小僧」とか「青二才」とか「ガキ」とか「お嬢ちゃん」などと蔑称として使っています。
無闇にバカにされたり軽んじられたりして嬉しい人なんていませんよね。お互いに嫌悪感ばかりが増幅されてしまっている。
これ、思ってる以上に危ないことなんじゃないのかなと思っていて。
SNSはひとの深層心理に、特定のグループに対する憎しみを植え付けることを応援するツールになってしまっている。
もちろん、あまりにもひどい言葉での攻撃については、管理者に申告されてアカウントを停止されたりもするわけですが、それが追いついているとは思えない状況です。
世代の違い、性別の違い、貧富の差など社会的なステータスの違いによって、互いに憎みあい、断絶することに意味があるとは思えないんですよね。むしろ大いに害悪になっている。
お互いに状況を知らせて理解しあうツールにすることもできるはずなんですが、どうもSNSはそういう建設的な話し合いには向かないツールのようで。
相手への敬意を欠いた言葉、とくに初めて言葉を交わした相手に対して最低限の「です・ます」さえ使わないで話しかけるのは、私は個人的に無礼なことだと考えるほうですが、SNSではそれがまかり通ってしまっているし。
そうされると相手はかなりの確率でむっとするでしょうし、むっとしてしまえば冷静な話し合いはより難しくなってしまう。
……と、このところはそういう危惧を抱くことが多くなってきております。
もちろん、同じ作品が好きな仲間を見つけることができたりもして楽しいツールでもあるのですが、問題点は多いですね。
これはまさしく「人間そのものの問題点」とも言えるわけですが。
みなさんはどうお考えになるでしょうか。
ではでは、今回はこのあたりで!




