25 最近の離婚トラブルに関して思うこと(2)
さて。
前回は離婚後の子どもの共同親権の話から、DVやモラハラによって離婚してしまう人のうち、加害者のメンタリティについて少し言及しました。
前提条件として、加害する人は別に夫と限ったことではない、とはお話ししましたが、実際、加害側になるのは圧倒的に夫側が多いようです。
なぜそうなってしまうのでしょうか。
前回言及したように、そこには加害者側のプライドや、「妻ごときに負けたくない」という思い、あるいは性別の違いによる無意識のうちにも存在する女性を見下す気持ち……などがあるのかもしれません。
SNSで見ていますと、男女に限らずかなりの数の人たちが、他人の知識・見識の足りなさをあげつらって嘲笑することを非常に好んでいるように見えます。つまり「マウンティング」ですね。もちろん全員ではなく、一部の話です。
男性の場合は学歴であったり年収であったり見た目であったり。女性ならやっぱり見た目のこと、年齢の若さのこと、彼氏や夫の見た目や地位や年収……などなど、色々な「マウントをしがちな」ファクターが存在します。
前回も少し申しましたが、根底にあるのは本来人間がもっている「弱さ」なんだろうと思います。そして「不安」もあるのでしょう。
自分にきちんとした自信がない。だからだれか、少しでも自分より劣った者を見出して、それを見下す。そうしていられれば安心して生きていられる。
悲しくも残念な話ですが、人間というのは放っておけばいくらでもそんな風に堕していってしまうもののようです。
これは江戸時代、江戸幕府が身分制度をつくり、士農工商のさらに下に、最下層の人々をわざわざ設定することで人々の不満を抑えていたという過去の事例からもよくわかります。
幕府はよくわかっていたんですね。人は「自分も決して上にはいないが、その自分より下にいるやつがいる」という状態に安堵する。そういう存在が自分より「下」にいることを安心して受け入れ、そうした人たちを見下し、差別し、虐待さえしてしまいやすい生き物だということが。
それはだれでもが持っていて、でもなかなか直視はできない人の心の性質です。かく言う私にだって、掘り返せばしっかりとあることでしょう。
本当は目をそむけておきたいですよね。
許されるならだれだってそうでしょう。「私はそんなひどい人間じゃない」、だれだってそう思っていたいもの。
でも、直視しなくてはいけない。ちゃんとそこに、自分の心の中にそういう「弱さ」があって、ちょっとしたチャンスがあればすぐに他人を見下し、バカにして自分だけが気持ちよくなりたがっている、愚かな獣が存在している。
そういう事実を、ひとりひとりが自覚し、考えていかねばならないのだと思います。
いじめやDVを繰り返す人というのは、これが自分ではできない人たちだと思っています。これをやるための下地(つまり育った環境など)がないのは本人だけの責任ではありませんが、本当の自分に向き合うための力のない、弱い人なのだと言うこともできます。
家庭内にとどまらず、学校でも職場でも、なんならママ友の集まりでも、こうしたモラルハラスメント、マウンティングは存在します。
特に家庭内でのことが危険になるのは、そこに第三者の目が届きにくいためでしょう。
そこで起こるあらゆるトラブル、一方的に行われるDVやハラスメントについて、やっと初めて明らかになるのは離婚調停の場……というのがほとんどではないでしょうか。
いじめでもそうであるように、加害者側の人たちというのは、実は自分のやっていることが相手にそこまで深刻な影響を及ぼすものだという自覚に乏しいことがしばしばあります。
「あんなの、大したことないじゃない」とか「気にするほうがおかしいんだ、繊細すぎるんだ」は、いじめっ子の常套句。
かく言う私も、親からわりとひどい目に遭わされて育った一人なのですが、大人になってやっと「あのとき、ああいうひどいことをされた、苦しかった」と糾弾してみても、これとまったく同じ言葉を投げ返されたものでした。実の親から。
加害する側は、場合によっては加害しているという認識すらない。むしろ必要以上に、自分のやっていることを軽く考えようとする。なんなら「当然の躾だ」とか「お仕置きだ、教育だ」とかいう。対して被害側はずっと、深く傷つきながらそのひどい扱いに耐えてきている。それが離婚調停の場になってやっと表に出、第三者の目に晒されます。
こうなってはじめて、加害者側はびっくりする。
「あんなちょっとしたことで?」と思う人も少なくない。ましてやそれが第三者に知られることは、彼あるいは彼女のプライドを大きく傷つけることになる。自分の世間体を何よりも心配するから、余計です。
そりゃ、もめないわけがないのです。
また長くなりました。次につづきます。




