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24 最近の離婚トラブルに関して思うこと(1)


 こんにちは。

 今回は、ちょっと長くなりそうなので連載形式でいこうかと思います。

 よろしかったらお付き合いください。

 

 少し前から、親が離婚した後の子どもの共同親権について、よく話題にのぼるようになってきました。

 これに関連してさまざまな意見がSNSでも交わされています。中には非常に攻撃的な批判や言い争いが生じている場合も。


 日本ではこれまで、基本的に離婚後の子供の親権はどちらかの親がもつ、ということになっていたわけですが、それだと子供を奪われてしまった側の親になかなか子どもと会う機会がなくなる等の理由から、アメリカのように共同親権を……という話が政府機関でも議論されているとのこと。

 子どもが小さい場合、多くの場合で母親に親権がいくことが多いので、共同親権を望んでいるのはやっぱり多くが父親側、と考えるのが普通でしょう。

 この問題は多岐にわたるので、少しずつ考えてみたいと思います。


 まずはデータから。

 令和3年5月18日付の内閣府男女共同参画局による「結婚と家族をめぐる基礎データ」によると、近年の年間婚姻件数は60万件。それに対する離婚件数は年間21万件。これは1960年代と比較すると大幅に増加。

 それに伴い、親が離婚した未成年の子は毎年20万人ずつ増えているとのこと。

 これだけの件数があると、離婚理由はそれぞれさまざまにあることでしょう。そのひとつひとつについて論じることはもはや不可能なので、今回はそのうち、家庭内にあったDVやモラハラが理由である離婚を話題にしようと思います。それだって、ご家庭で色々に違いがあるとは思うのですが。


 それから、先にお断りしておきたいのですが、別に夫婦のどちらが相手にDVやモラハラをするかということは決まっているわけではありません。数として、やはり夫側が妻側に加害することが多いのは事実でしょうけども、ここでは敢えて「どちらがどちらを」には言及しません。夫だろうが妻だろうが、相手にDVやモラハラをすべきでないのは当然です。

 ともかくも。

 大抵の場合、加害をしてしまった側に親権が渡ることはないことでしょう。よほどの理由(被害を受けた側に著しく子供を育てる能力や環境がないなど)がない限りは、ですが。


 さて、そうなると親権を奪われた側は憤慨するわけです。

 それまでは子どもの面倒は相手にいっさい任せっきりでほったらかしにしていた人が、突然「自分から子供を奪うなんて!」「親の権利の侵害だ!」と激怒し「絶対に子供は渡さない」と強硬に反発することもよくあるそうです。

 そういう凄まじい被害者意識を爆発させて、周囲の人々や弁護士に「とにかく自分は悪くない、悪いのは相手だ」と言い募る。悪かったのはすべて相手であり、実際はDVなどの加害者側でありながら「自分はどこまでも被害者なのだ」という態度を貫く。恐ろしい話です。ですが、これまたよくある話でもあるようです。

 実際、自分がDVやモラハラをしていたことはまったく認めようとしない人も多いようですし。

 夏とはいえ、ほとんどホラーかと思います。


 SNSを拝見していると、共同親権に反対しようとする弁護士さんや離婚経験者の人たちに粘着して、攻撃的な言葉を浴びせているアカウントをいくつも観測することができます。


 こうした人たちに共通して言えることが、

「自分自身の問題を認知できない」

「認知できたとしても向き合えない」

「そんなことをするぐらいなら全部相手のせいにして逃げを打つ」

 これだなと思っています。


 まあ、わかるんですよ。

 誰だって、自分の弱点を見つめて向き合うだなんて、しんどいことはしたくありません。それはとても勇気の要ることです。

 人間はだれしも、そこまで強くはありません。

 口で「自分の短所に向き合う」と言うのは簡単ですが、実際は非常に難しいことです。まさに「言うは(やす)く行うは(かた)し」。

 自分の弱みや悪い部分に向き合い、それを改善するというのは相当なパワーを必要とする大変なことですから。時間がかかるのも当然です。


 でも、です。

 人とコミュニケーションをとっていく上で、「自分はそこまで偉くないし賢くもない、人から教えてもらわなくてはならないことは山ほどある」と謙虚に考え、過ちを指摘されれば改善するよう行動していくことって、一番大事なことではないんでしょうか。それがたとえ、相手が最も甘えたい対象である家族であるとしても。そして自分が、何歳になっていてもです。

 といいますか、相手が本当に身近な家族であればこそ、そうした態度や気持ちのありかたは大切なのでは。


 身近な人に対していじめやDVをするに至ってしまう人というのは、実際に高い学歴や社会的地位、資格などを持っている優秀な人が多いように思います。もちろんまったく逆の人もいるでしょうけれども。しかしどちらの場合も、「自分を守ることを最優先に考えてしまう」という点ではよく似ています。

 自分の過ちを認めたり、自分よりも相手の方が優れていると認めるには、変にプライドが高すぎるわけです。プライドが邪魔してしまう。そしてなにか責められるようなことがあると、過剰に自己防御をしようとする。

 だから、簡単に相手に対して「自分がまちがっていた、ごめんなさい」が言えない。そんなことをすれば自分の沽券(コケン)にかかわると思っている。なんなら、そんなことをするぐらいなら死んだほうがマシだとまで思っている……。


 ……あ、いえ。これは自分自身をも(かえり)みて言ってますからね。

 当然、自省の意味もこめて。

 だからここまで言えるわけですよ、実際(笑)。


 長くなりましたので、続きは次回にゆずります。


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