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心の性ということ



 ご無沙汰しております。

 こちらのエッセイを書くのはかなり久しぶりですね。

 いつも「ぽ」のつくあちらの関西弁日常エッセイばかり書いていて、こちらはこのところ完全に「毎日更新何年何ヶ月」と報告する場になりかかっておりました。

 いかんいかん。


 ともあれ、これで二年と三ヶ月、なんとかかんとか更新も続いております。それもこれも、お読みくださり、励まし続けてくださる皆さまあってこそと感謝ばかりです。

 ちなみに昨日まで更新しておりました連載は、これまでの自作品のコラボレーション企画というものでした。「白き鎧 黒き鎧」と、「赤いロープウェイにのって」の両シリーズのコラボです。

 今さらではありますが、まあなんて読者さま泣かせな企画なんだ……。

 こんなのにも相変わらずお付き合いくださった皆さま、本当に感謝です!


 拙作「赤いロープウェイにのって」のあとがきにもちらっと書きましたが、そこに出てくる登場人物たちは性同一性障害を抱えていたり、家族の難しい事情があったりと、かなり(とは言え『私にしては』という注釈つきではありますが)リアル寄りの造形を目指したのでした。そこにはもちろん、そういう人たちを描いていく中で実際のそうした方々の悩みにほんの少しでも寄り添えたらいいな、という思いがありました。


 折りしも、世は運動会の季節。

 かく言う我が家の娘の通う中学校でもおこなわれ、「ああ、せっかくの週末が……」とげんなりしながらぽっちゃりダンナと見に行ったわけなのですが。

 女子はともかくとして、男子の組み体操を見て、非常に複雑な思いがしました。

 その中学では、昔ながらの上半身裸での演技が行なわれていたのです。

 いや、一方で「若い男子のぴちぴちの裸体! おおう、まぶしい!」って喜んでいる私も確実にいましたけれども、まあそれは置いておいて。


 もちろん私自身、昔はそれを別に変だとも思わなかったわけなんですが、昨今ではこの中に確実に何パーセントかはトランスジェンダーと呼ばれる人たちがいることが分かってきているわけです。

 この中に、体は男子だとしても心はそうでない子がいるとして、一体どんな気持ちでこれをやっているのかと思うと、なんだか気持ちが沈んでしまい、素直に演技を見て楽しむことはできませんでした。

 「女子はともかく」とは言いましたが、逆の立場のお子さんだって、あのいかにも「女性的な」マスゲームを「オレはこんななよなよっちい演技したくねーんだよ!」とイライラしながらやっていたのかも知れません。

 かく言う私自身、中高生の時期は自分の女性という性をずいぶんと嫌忌していた時期だったりして、イヤでイヤでたまらなかったのを思い出しました。

 ま、そうでなくても暑い中、何時間も運動場で「ちゃんとやれ!」「腕が曲がってる!」「どこそこがそろってない、もう一度!」って同じことを何度も何度も練習させられることそのものにも、相当に嫌気がさしておりましたけれどもね。


 ともかくも。

 まだまだ日本の学校は、こうして「男はかくあるべき」「女はかくあるべき」を強烈に人に強要し続けているんだなあと実感させられる一日でした。

 まあ、制服からしてそうなんですよね。

 「女は当然スカートだ」、「男はもちろんズボンだ」なんてそんな押し付け、もういい加減やめたらどうかと思うのですが。


 そういえば、もともとは海軍のものだったセーラー服を女子の制服にしたのは、当時の日本陸軍だったんだとか。その理由というのが「海軍は軟弱なのだ」ということを国民に印象付けるためだった、という話を聞きました。

 本当か嘘かは分かりませんが、事実だとしたら相当あざといことですよねえ。

 ま、セーラー服そのものは可愛いから好きなんですけどもね。


 「ロープウェイ」のしのりんこと篠原和馬くんも、心ひそかに着てみたいなあと思っていたかもしれません。彼女の学校はブレザーだったので(あ、中学はセーラー服だったかもしれませんが)。まあどっちにしても、戸籍上男子であるしのりんにとって、それはコスプレででもなければ袖の通せない品だったことでしょう。

 彼女とは反対に、スカートなんかイヤでイヤで、できれば男子の制服が着たかった人もまたかなりの数でいたはずです。


 かくも、日本の学校はまだまだ性的マイノリティにとって苦痛を与える存在だということでしょうね。

 いや学校ばかりではありませんよね。一部の宗教もまたそうです。

 ここまで書いて思い出したのですが、むかーし、とあるキリスト教系の(ほらあの、よく玄関先に訪問してくる人たちね)の集会に参加するにあたり、どうしてもスカートは穿きたくなくてキュロットスカートでお茶を濁していたら、女性の信者から「スカートを穿いて来たほうがいい」みたいなことを言われて、本当にイヤだったもんです。優しくやんわり言われただけでしたが、それでも強烈にイヤだった。

 中には本当に性同一性障害らしき男性(いや中身は女性だったはず)の方も参加していたのですが、信者の男性がその人の扱いに非常に困っていたもんでした。そりゃそうだわな。

 男性信者はその人を、なんとか「神の道」に引き入れてあげよう、だから「男性らしく」生きられるようにしようと躍起になっていたようでした。

 いやそもそも、そう考えること自体が根本的に間違っているのにね。

 っていうか、なぜそっとしておいてあげられないんだ……。


 今にして思えば、自分の「スカートイヤイヤ問題」はともかくも、その男性(あるいは女性)のかたの扱われ方はものすごく残酷なことだったと言わざるを得ません。はっきり言えば人権問題ですわな、もはや。

 こんな調子で、だれに気づかれることもなしにそっと耐え忍んでいる人たちが、早く解放されることを願うばかりです。

 少しずつでも、そういう理解が世界に広がりますように。

 ではでは、今回はこのあたりで。


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