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アブロード  作者: 大鳥椎名
第一部 逃避行
29/31

第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Qパート


 ハルムスとルオラは屋敷の書庫で手当たり次第、本を抜き出していた。二人とも梯子はしごを使い、背中合わせに高い段の本を開いている。


「この本は売れるかな?」

「高価な魔導書ね。私もあとで読んでみたいくらいだわ」


 返答を聴くなり、ルオラは手に取った本に縮小魔法をかけて下へ落とした。

 床には大きな革袋が口を開いていて、ルオラが放した本は吸い込まれるようにその中へ消えていく。

 そんな作業を続けていたとき、廊下へ通じる扉からラノハが顔をのぞかせて、本棚の向こう側にいる二人に叫んだ。


「ルオラ、向こうの部屋にアヴァロン神話が全巻あったけど、もらっちゃダメか?」


 反対の棚を見ていた二人は、梯子はしごの上から互いを見合う。

 ハルムスはことの詳細をルオラにたずねた。


「アヴァロン神話が全巻そろってるの?」

「ええ。一巻から二十二巻まで全部」

「ラノハ、あとで縮小魔法かけるからまとめておきなさい!」

「わかった!」


 ハルムスの返事を聴いたラノハは、嬉々とした表情を浮かべて書庫から出ていく。それは直接顔を見ていない少女らも、高揚した声から察することができた。

 二人のやりとりに少しばかり疑問を感じたルオラはハルムスに聞き返す。


「今、欲しいって言ってなかったっけ? ……別にあげてもいいんだけど」

「プレゼントする必要はないわ。手持ち無沙汰になるだけだもの。あとで売却して、あなたの旅の・・・・・・資金にしなさい。全巻セットは高く売れるわ」

「……」


 その発言にルオラは面食らう。

 噂には聞いていた合理的な少女ハルムス。いざ彼女を目の前にしたルオラは、その言葉一つ一つに棘があるように思えて、どこか話しづらく感じていた。

 うっかり手を止めてしまったルオラに、ハルムスが指摘する。


「何をしてるの? 時間がないんだから手を動かしなさい」

「え? あ、はい」


 ルオラは慌てて本の仕分けを再開した。

 屋敷の書庫に所蔵されている本はおよそ三千冊。二人がこれまでに目を通したのは、そのうちの四分の一にも満たない。どれだけ頑張っても、日が昇るまでに閲覧できる冊数には限りがあるのだ。

 ルオラはこれまでの生活で大半の書物を読み通していたが、価格の相場など世俗的なことには弱かった。そこは幅広い知識を持つハルムスに頼らざるを得ない。

 

 そもそも、二人がこのような作業をしているのには、バランの遺言が関係していた。彼が残した遺言は大きく分けて三つある。

 一つは、屋敷の屋根裏部屋にある発電機の破壊すること。

 二つ目は屋敷そのものを焼却すること。

 そして三つ目が、ルオラを父の故郷である夜想都市ノクターンシティと呼ばれる地へ移住させることだった。


 期せずして旅に出ることになったルオラを仲間として迎えることが決まると、今度は彼女の当面の活動資金をどうするかという問題が浮上した。

 そこでハルムスが、持ち出すことのできる家財道具を旅先で売却しようと提案したのだ。

 幸いにも屋敷の書庫には、各地に伝わる民話から高度な魔道書まで幅広い書籍が納められており、今はそれらの中から高く売れそうなものを物色している。


 ルオラはは父の遺産を売りに出すことに抵抗があったものの、家と一緒に燃やしてしまうよりは有用な使い道だと割り切ることにした。

 それでもこれらの取り決めのすべてに踏ん切りがついているわけではない。頭ではわかっていても、合理的にものごとを押し進めるハルムスのやり方が無理難題のように思えて、何度もくじけそうになる。

 そんな中で作業をする少女の手は思うように動かなかった。


 涙をこらえながらも作業にいそしむルオラがそれを耳にしたのは、月が傾いた頃のことである。

 うっかり聞き落としてしまいそうなくらいの小さな声がだった。


「……ごめんなさい」


 消え入るような声にルオラは振り向く。聴覚の優れた吸血鬼は、わずかな音も聞き落とさなかった。

 やがてハルムスは、手を止めず、目も合わせずに言葉を続ける。


「私は親を亡くしたことがないから、あなたの苦しみを理解することはできないし、同情してあげることもできない。こんなことを言うのもなんだけど、泣くことは後でもできるわ。あなたがこれから生きていく上では、今やっている作業のほうが大事。そう思うの」


 黙々と作業を続けるハルムスは「私はこういう人間だから」と軽く付け加えた。

 そう話す少女に、ルオラは思わず見入る。

 自分よりも背丈が少し低い人間の少女。その背中が、不思議と広く感じられた。

 軽く深呼吸して、そっと返事を返す。


「はい」


 ルオラは心持ち少し軽くなったような気がした。





 やがて時間は過ぎていく。

 所蔵されていた本の半分近くを見終わった二人は、梯子はしごを降りて本の詰まった革袋をのぞきこむ。手乗りサイズに縮まった本がまばらに放り込まれていて、容量にはまだ余裕があるように思えた。

 ハルムスは袋の口を軽く引っ張り、生地きじが切れないかどうか確かめる。それは思った以上に丈夫な入れ物だった。


 そうしたら今度は、袋そのものに縮小魔法をかける。

 片手で鷲づかみできる大きさになった革袋をハルムスが両手で持ち上げようとするが、まるでびくともしない。

 小さくなったとはいえ、その中には百冊を越える書物が入っている。重さが変わらないことがこの魔法の大きな障害であった。


「少し入れすぎたかしら?」


 立ち上がったハルムスは袋を見下ろして首をかしげる。

 するとルオラが、小石を拾い上げるかのように軽々と革袋を持ち上げてしまった。

 思わぬ光景に目を丸くするハルムスに、ルオラは遠慮がちに話す。


「今まで自覚はなかったんですけど、吸血鬼は力持ちの種族……らしいです」


 ハルムスはしばらくあっけに取られていたが、思い出したように表情を取りつくろうと、片手に袋をぶらさげるルオラに返事をした。


「じゃあ、この倍はいけるわね?」

「え? あ、はい」


 切り替えの早いハルムスに、どこかついていけないルオラだったが、不思議と悪い気はしなかった。むしろ褒めてもらえたような気がして嬉しく思う。

 一息入れた二人が次の棚に移ろうと梯子はしごを持ち上げたところに、タイミングよくラノハが戻ってきた。


「二人とも来てくれ! リックスの意識が戻った!」


 ハルムスは少し考えてから、「すぐに行く」と返してラノハを先に行かせた。


「行きましょう。夜想都市ノクターンシティなる場所がどんなところか、聴くのが先よ」

「はい」


 二人は梯子はしごを近くの壁に立てかけ、リックスとローランコを運び込んだ客間へ向かう。

 その途中、あとを追うルオラはハルムスの肩先についた返り血がいやに目についた。作業をしている間も気になっていたが、手を止めてまでたずねることはしていなかった。


「そういえばハルムスさん、それって」

「……ああ。あなたのお父さんをここまで運んでくるときについたものね」


 指差された肩口をハルムスがのぞきこむ。


「よければ、あとで余っている服を差し上げましょうか?」

「そうね。そうしてもらえると助かるわ」


 さすがにその服で外を出歩くのは抵抗があったらしい。何か思い入れでもあるのか、少し残念そうな顔をしながらハルムスは答えた。

 会話をそこでやめて客間のとってに手をかける。


 リックスはソファーに腰を落ち着けていた。

 近くの円卓や椅子にはラノハが運びこんだと見られる本や食器が積まれていて、リックスから何か指示を受けたラノハが荷物を降ろし始める。


 部屋に入るなり、ルオラは厨房ちゅうぼうにある貯水タンクからコップに水を注いで皆に配った。もともと二人しか暮らしていなかったためか、容器の形はバラバラである。

 リックスとは別のソファーで横になっていたローランコも起き上がって水を受け取った。

 全員がそろったのを見届けてから、ハルムスが一足先に話を切り出す。


「うちの男連中は役に立たないわね」

「いきなりそれはないだろう?」

「面目ない」


 ため息をついて切り返すリックスと、謝るローランコ。

 反抗するリックスに、ハルムスは続ける。


「勝手に行動して、勝手に倒れた人にかける言葉があるだけでもありがたく思いなさい」

「まったく容赦ようしゃないな」

「あ、あの」


 二人の会話にルオラが割って入る。


「お二人は、私のために無理をしたんです。だから、何かあるなら私に――」

「なんか勘違いしてないか?」


 自分の非を強調するルオラに、今度はローランコが割り込んだ。


「口ではこう言ってるけど、相手を本気で心配しているのさ。これでも彼女は仲間想いなんだ」


 ハッとしたルオラは全員の顔を順番に見やる。仲間たちがうなずく中、例の少女だけがぶっきらぼうに目をそらした。

 ハルムスは呆れたようにため息をつくと、ローランコの言葉を無視してリックスに問いかける。


「それで、例の夜想都市ノクターンシティについて聴かせてくれるかしら?」


 リックスは一呼吸おいてから頷いた。

 ルオラと互いの持っている情報を整理しながら話し出す。


 夜想都市ノクターンシティは各地で迫害を受けた吸血鬼が集まってできた隠れ里である。

 ルオラいわく、そこはバランの故郷であるが、生前の彼からあまり詳しい話は聞いていなかったという。

 一方でリックスは、その地を一度だけ訪問をしたことがあり、当時の同行者がそこを永住の地として選んだ経緯から、ゆかりがあると話した。


 話を聞く中でハルムスは、リックスが自分の過去を語ることをとてもめずらしく思う。

 バランは死ぬ間際に夜想都市ノクターンシティへの訪問歴を知らされて穏やかな表情を見せた。ハルムスの中でも、その記憶はまだ新しい。

 これまで自分のことを一切口にしていなかったリックスが、かつての訪問先を話しただけでも驚いたものだ。そのうえ当時の仲間のことまで話す光景は、ハルムスからしてみれば、おかしなものだった。

 それだけに、今回の出来事が非常事態であることは容易に想像がつく。事件の発端を引き起こしたのが自分だと自覚するハルムスは唇を噛みしめて聴きに入った。


「みんなには所在地を教えるけど、絶対にメモはとらないと約束してくれ」


 大陸の長い歴史の中で、幾度となく差別を受けてきた吸血鬼という種族。彼らを目の敵にする人間の手から、隠れ里を守るための処置であるとリックスは続けた。

 彼の真剣なまなざしに、誰もがそっと頷く。


 皆からの了解を受け取り、リックスは立ち上がった。

 少し移動して円卓の上にヴァンチェニア大陸の地図を開く。そこには、横に広いほぼ楕円形の大陸が描かれていた。

 リックスは北西部のある地点を指差して四人に目を配る。実感の湧かないルオラは黙って聞いていたが、あとの三人は予想される長旅に思考をめぐらせた。

 大陸を横断するルートをなぞりながら、ラノハがたずねてくる。


「今いる場所が、南東部にあるこの山里だろ。そこから平原を抜けて、山を越える。そのあと、川をさかのぼらないといけないから、アデラスを経由して船に乗らないといけないんじゃないか?」

「そうだ」


 アデラスは大陸の中央に位置する法治国家である。厳しく法が定められている一方で、あらゆる移民を受け入れているのが特徴だ。四千年以上前に編纂へんさんされたアヴァロン神話にも名前が登場する、大陸の中でも特に長い歴史を持つ国の一つである。

 ラノハの確認に一つ一つ頷きながら、リックスはハルムスを見やった。彼女がこれまで、アデラスへ進路を取ることをかたくなに拒んできたからだ。


「それでいいか?」

「かまわないわ」


 まるで用意していたかのような即答に、リックスは首をかしげた。

 経緯はどうであれ、ハルムスが了承したのは変わらない。今は気にせず話を進めていく。


「決まりだ。夜明けと同時に出発する。それまでに荷物をまとめよう」





 レンは民宿に預けていた銀色のトランクを持ち出して村を散策していた。ガーネルドも後へ続きながら周囲を見渡している。

 彼らが探しているのは、ひとけがなく平坦な場所だった。近くに高い木があればなお都合がいい。


 散策を続けていると、ガーネルドが程よい空き地を見つけ、レンもそちらへ移動する。

 面積自体はこれまで見かけた平屋の住居とそれほど変わりがない。おそらく昔は家が建っていたのだろう。敷地の隅に一本だけ立っている広葉樹は樹齢が二百年ほどのように見える。


 周囲に建物が無いのを確認して、レンは静かにトランクを下ろした。

 鍵を開け、中から取り出した金属製の骨組みにを張っていく。


「……まずかった。塩分が濃い」


 作業をするレンを虚ろな目で見下ろしながら、ガーネルドがそう言った。

 おそらくは先ほど口にした民宿の料理の批評だろうとレンは思う。無口なガーネルドが言葉にしてまで酷評するのを見ると、よほど口に合わなかったのだと察した。


「食文化の違いだ。こればかりは仕方ないさ」


 言いながらレンは相棒に目配せをする。組み立て作業が終わったからだ。

 合図を受けたガーネルドは一跳びで木の幹に取りついた。一足ずつ高い枝に移っていき、木のてっぺんにたどり着く。浮遊魔法でなかば浮いた状態でいるためか、足場にしている枝がきしむことはなかった。


 月を背景に風を読む仲間の姿をレンが見上げる。

 やがて、準備ができたと言わんばかりにガーネルドが片手を挙げた。

 すぐにレンはトランクから離れる。


 次の瞬間、金属製のワイヤーで繋がれたたこが上がった。勢いよく打ち出されたたこは気流に乗って夜空を舞う。

 その軌道に満足したレンはトランクに歩み寄り、コードで繋がれた受話器を取ってダイヤルを回した。


 魔法と科学。

 どこの大陸においても、その両者が同時に発達した例はまだない。しばしば武器の進化にも大きく影響するその二つは、常に反比例した関係にあったのだ。

 世界規模で見れば、両方が遅れている文明も珍しくはない。


 レンが持ち込んだトランクは、魔法が広く普及しているヴァンチェニア大陸では目新しい携帯電話だった。

 科学文明の発達した大陸からもたらされたこの技術は、彼らの仲間内で連絡手段として使われている。ヴァンチェニアに進出した封魔教団の中には、この技術を広めていこうと考える者もいるくらいだ。

 レンが使っている電話は、打ち上げたたこがアンテナの役割を果たし、遠くにいる仲間との通信を可能にする。

 コール音をしばらく耳に入れていたレンは、交信の準備が整うと、仲間に応答を求めた。


「こちらレン。アデラス本部、聞こえますか――」



 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 先日の活動報告では2月下旬から再開と書きましたが、できあがってしまったので投稿です。

 長かった第3話を完結といきたかったのですが、長くなったのでやむをえず分割しました。


 続きは一日おきにあと2話更新します。

 それらが無事に掲載されれば『猛獣使いの遺産』は完結です。

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