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アブロード  作者: 大鳥椎名
第一部 逃避行
28/31

第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Pパート

 遅くなってしまって申し訳ありません。


 戸口の破壊された玄関をくぐったエントランスに、この家の当主であった男が横たわっていた。

 腹部には見るのもはばかられる深い爪痕つめあとがあり、黒い礼服を血でさらに黒く染めている。閉じられた目は二度と開かれることがない。


 エントランスは依然として暗いままで、天井が高く広い空間は静けさに満ちていた。灯りをつけていないのは、父の姿がよく見えるようにというルオラへの気づかいだ。

 壁際ではローランコが横になって休んでおり、リックス、ラノハ、ハルムスと、三人に促されたルオラがバランの周りに集まっていた。


「うそ……嘘よ、嘘!」


 ルオラは目の前の光景を事実として受けとめることができなかった。

 それもそのはず。 母が亡くなってからというもの、ルオラは家から出ることがほとんどなかった。買出しのため、まれにふもとの村まで足を運ぶくらいである。限られた空間で生きてきたルオラにとって、父の存在は世界の大半を占めていたといっても過言ではない。


「パパは……パパは六百年の時を生きた吸血鬼なんだから!」


 そう言ってルオラは近くにいたリックスを突き飛ばし、動かなくなった父に顔を近づけた。

 もともと吸血鬼は人間よりも体温が低い。その体温が、もはや生きている者のそれではないと、少し触れれば分かってしまう。


「起きてよパパ、目を覚まして……」

 それっきりルオラは黙り込んでしまった。


 夜は長い。

 だが、それは永遠ではない。

 亡き父の前でうずくまるルオラに別れの時間を与えてやりたいのは山々だったが、それを許すだけの猶予ゆうよは残されていなかった。


 リックスはゆっくりとルオラに歩み寄る。


「ルオラ、バランさんから遺言を預かってる」

「聞きたくない!」


 短く切りそろえられていたルオラの指爪しそうが急に鋭利な刃物のように伸び、それを強引に振り動かす。

 リックスは身を引いてかわしたものの、突如とつじょとして発生した真空波が後ずさる彼の前髪を切り刻んだ。

 思わぬ事態にハルムスとラノハにも緊張が走る。なにもできずにラノハが膠着こうちゃくする一方で、ハルムスは腰に挿している杖に手を添えた。


 三人の反応を気にもとめず、ルオラは糸で繋がれた人形のように立ち上がった。

 先ほどガーネルドの目に浮かんでいたのが親の敵に対する憎悪なら、ルオラの表情からうかがえるのは生きることに対する絶望だった。

 まるで何も映っていないかのごとく虚ろな瞳には、涙が一つも浮かんでいない。あれだけ喜怒哀楽がはっきりしていた少女の変貌へんぼうに、出会って間もないハルムスはともかく、リックスとラノハは驚いた。


「どうして」


 悲愴ひそうな声と同時に彼女のこうべが下がる。

 息づかいの中に少しずつ怒気が混ざっていき、垂れた髪で顔を隠したまま、行き場のない怒りを三人にぶつけた。


「どうしてここに来たのよ! どうして――」


 その問いに対する答えは誰からも出てこなかった。

 リックスたちがこの地にやってきたのは、旅の途中で偶然にも集落を見つけて、物資の補給に立ち寄っただけである。その話は客間での座談会で話していたし、そもそも屋敷に招待したのはルオラ自身である。

 彼女とて、落ち着いて考えれば分かるのだが、冷静さを欠いている今はそれさえも思い出せなくなっていた。


「出てってよ。早くここから、いなくなって!」


 激昂げっこうするルオラの放つ、殺気のこもった魔力が三人を襲う。その場に見えない波が現れたかのような衝撃だった。

 その迫力に圧倒されたラノハが、すがるようにリックスの顔色をうかがう。

 ひとごとのように傍観ぼうかんを決め込んでいたハルムスも、判断を仰ぐべく付き合いの長い旅仲間を見やった。


 リックスは二人の視線に気づきながらも、ルオラから目をそらさない。

 彼は失意の少女に、どうにかして手を差し伸べてやりたかった。

 肉親の死と直面しているルオラの絶望は、かつてのハルムスやラノハのようにはいかない。彼女を覆いつくす心の闇を溶かすにはどうすればいいか。そればかり考えていた。


「出ていかないなら――」


 リックスの思考が渦巻く中、ルオラから声がかかる。その場に立ち尽くす三人を見て、退去する気がないと判断したのだろう。

 ルオラが頭を上げた。それと同時に彼女の爪が鋭さを増していく。長さは拳二つ分まで伸びきり、肉切り包丁のようにとがったそれは、見た目だけでも切れ味は容易に想像がつく。


「――私、何するか分からないよ」


 文字通りの手刀を三人に向けてルオラが言った。

 口元だけの笑みと、どこか遠くを見るような目。その視界に三人が映っているのかさえ疑いたくなる。

 そんなルオラを、リックスはもう見ていられなかった。


「これでも私、けっこう強いから……」


 ルオラがそういう間に、リックスは一歩二歩と前に進み始める。

 それでも、さしあたって何か考えがあるわけではない。


「……来ないでよ」


 リックスは歩みを止めない。

 我慢を切らしたルオラが伸ばした右手を引っ込め、もう一度勢いよく突き出した。


「来ないでって言ってるでしょ!」


 素早く身体からだをそらしたリックスは、切り込まれたルオラの手をかわすことができるはずだった。

 だが突然、足元がふらついて、その手刀を脇腹に受けてしまう。ここまで無理をしたツケが回ってきたのだ。

 急所は避けたものの、鋭利な爪が刺さった傷口からは鮮血が流れ出す。


 苦悶くもんの声が上がったのは最初だけだった。

 リックスは自分に突き刺さるルオラの手を左手でつかむ。下手に抜けたりしたら、かえって出血が増えるからだ。とっさの判断にしてはよくできた方だろう。

 反対の手はというと、痛みのせいでよろけたのか、つかむはずだったルオラの肩を通り越して彼女の背後へと伸びていく。結果的に、抱きつくような形でルオラのほうへ倒れこんでしまった。


 その光景を見たラノハは顔を真っ赤に染めたかと思うと、リックスの身体から突き出た爪に気づいて一気に青ざめる。

 人ごとのように見守っていたハルムスも、この時ばかりは大きく目を見開いた。

 話だけ耳に入れていたローランコも不穏な空気に気づき、人知れず身体を少しよじっていたが、何が起こっているかは把握できていなかった。


 リックスはなんとか足を動かし、ルオラにかけてしまった体重を自力で支え直す。

 そして、目をパチクリさせている少女を右手でしっかり抱きしめた。

 もはや彼の思考は下腹部の痛みで大きくにぶっていたが、それでも必死に意識を繋ぎとめ、自分の胸に顔をうずめた少女に語りかける。


「俺も早くに両親を亡くした。心にぽっかり穴が空いたような感覚だった。やるせなくて、街を出て、草原を駆けて、誰もいない空に向かって叫んだことがある」


 そう言いながら、優しくさとすようにルオラの頭を撫でる。


「それだけの時間をルオラにもあげたいけど、もたもたしてると、またあの男がルオラの命を奪いに来るかもしれない。いや、きっと来る」


 リックスは身体からだを少し放してルオラを見据える。

 一方で、自分の手をつたってしたたる血を見た少女は背筋を凍りつかせた。またたく間に理性を取り戻す。

 彼女からしてみても、不用意に他者を傷つけてしまった衝撃は大きかったらしく、先ほどの虚ろな目はすでにない。


「……リックスさん、血が」

「こんなの、めときゃ治る!」


「治らねえよ……」

 思わず反応したラノハの発言に耳を貸すものはいなかった。

 呼応するかのようにローランコが「何が」と声を漏らす。それに気づいたハルムスは、うめき声を上げる男に近づき、彼の腹部にかかとを振り下ろした。

 ローランコのかすれた悲鳴が上がる。


「あんたは寝てなさい」


 ハルムスは腰から杖を抜いて二人の方へ視線を戻した。杖を握る手に自然と力がこもる。

 彼女は、リックスの体力が限界に近いことを分かっていた。その上、ここにきて余計な傷まで負う始末。致命傷になるかどうかは出血次第といったところだが、この状況でも少女に説得を試みるリックスを止めに入るのには抵抗があった。

 かくいうハルムス自身も、そのおせっかいに助けられた一人だったからだ。


「ほっとけないんだ。バランさんに言われたからじゃない。俺自身がルオラに生きててほしいと思うから。誰かの死に直面するのは悲しいことだし、それが肉親ならもっとつらいさ。でもそれは、いつか必ず直面することだった。乗り越えなきゃいけないんだ」


 ルオラをまっすぐ見つめる目に力が入る。


「ルオラは身の危険を承知で俺たちを助けてくれた。力になりたいんだ。一緒に行こう。夜想都市ノクターンシティへ――」


 そこまで言ったリックスの体重が急に彼の後方へと流れていく。

 右手を強く握られていたルオラも、つられて覆いかぶさるようにリックスの方へと倒れた。

 

 ついにリックスは力尽きた。

 吸血初心者のルオラにあげた血液。不調の中での戦闘。そしてルオラから受けた傷。

 彼のスタミナはとうに臨界りんかい点を越えていたはずだ。先ほどのふらつきもそれを暗示していたのだろう。

 

「リックスさん!? ど、どうしよう!」

「動かないで!」


 とたんにパニックを起こしかけたルオラに、ハルムスの罵声ばせいが飛ぶ。

 足早にやってきたハルムスは、ひるんだルオラの右手をつかみ、その手が動かないように固定した。そして杖を患部かんぶへと突きつけ、先端から放たれた白い光でリックスの傷を癒していく。先ほど彼が使っていたのと同じ治癒ちゆ魔法だった。


「ゆっくり抜くわ」


 ハルムスに促されて少しずつ爪を引いていく。

 最後まで抜けたとき、その傷は完全に塞がった。


「ひとまず傷はこれで完治ね。で、あなたはもう抵抗しないわよね?」


 ホッと一息ついていたルオラに杖が向けられる。

 仰天したルオラは、爪を元の長さに戻して戦闘の意思がないことをハルムスに告げた。

 念のため透視魔法も使ってルオラの心理を探ろうとしたハルムスだったが、リックスが力なく杖をつかんで首を横に振るのを見ると、黙って杖をしまう。


「……無理しすぎよ」


 弱々しくなった仲間を見下ろしてハルムスは深いため息をついた。

 そうすると今度は、ルオラに向き直る。


「リックスがこんな状態だから、あなたのお父さんの遺言は私から話すわ。心の準備なんかできてなくても聴きなさい。考えごとをしてるひまも残されていないのよ」





「随分と派手にやられたな」


 出会い頭にかけられた言葉に、ガーネルドはそっぽを向く。

 魔法のかけられた鎧はあいもかわらず無傷だが、両手の爪を折られ、顔のあちこちに切り傷や擦り傷を作っていた。

 そんなガーネルドを見て、レンは深いため息をつくと同時に相棒をねぎらった。


「ともかく、無事でなによりだ。吸血鬼はどうなった?」

「……倒した」

「そうか」


 ガーネルドの返答にレンはさして関心を抱かなかった。

 はなから勝てるはずがないと見込んでいたため、ガーネルドにやられたふりをしてバランが退しりぞいてくれたのだろうと推測したのだ。不出来な仲間のために気を使わせてしまったと、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。

 困ったように首を横に振りながら、レンは話を切り上げた。


「とりあえずその話はいい。それよりも見せたいものがある。ついて来い」

「……レン」


 背中を向けて歩き出したレンに、ガーネルドから声が掛かった。

 心底面倒そうに振り返り、話の続きを求める。


「どうした?」

「……なぜ、裸足だ?」


 ガーネルドが指摘したのは、彼が初めから疑問に思っていたことだった。笛の音を聞いてから合流したレンは靴を履いていないのだ。黒いズボンも途中ですそを切ってあり、露出した足にサラシを巻いただけの貧相な装備だった。

 少し気まずそうに、目をそらしながらレンが答える。


「間一髪、結界を張って防いだのはよかったが、どうにも動けないから捨ててきた」

「……?」


 見当違いな答えにガーネルドは少し首をかしげたが、レンがそれ以上話す気がないのを察すると、歩き出した彼についていくことにした。

 そうしてレンに案内されたのは、複数の大木が切り倒された林である。内部が腐って空洞になった木々が並ぶ中、そのうちの一つをレンが指差した。

 示されたもの・・をガーネルドが注視する。やがて、折れた大木だと思っていたかたまりが植物ですらないことに気づく。


「……レシュランの……死骸か?」

「そうだ」


 驚きのあまり、少しだけ眉をり上げたガーネルドにレンはうなずく。

 二人が前にしているのは倒木に擬態することで知られる魔物の亡骸だった。

 レンは、すでに生命活動を止めた怪物の身体におもむろに近づき、横っ腹に空いた、人が一人くぐれそうな穴を指でなぞる。


「急所を一突きだ。ここにレシュランがいること自体異常だが、本来の生息地であるネヴェリス山脈でも、食物連鎖で上位に来るのなんかスフィンクスくらいだ。ドラゴンが絶滅した今は特にな。それをこうもあっさりと」

「……喰われていないのも妙だ」


 ガーネルドの疑問はもっともであった。

 捕食者との衝突であれば、相手はレシュランの硬い皮膚をも食べる魔物のはずである。

 仮にそうでなかったとしても、もう一つ疑問が残った。胞子から生まれたレシュランの幼生ようせいは、親の死骸が残っていた場合、それをえさにして共食いを繰り返すことが知られている。このように遺骸が残っているケースはまれなのだ。

 これに関しては二人も煮えきった答えが出ず、結論を先送りにした。


「……吸血鬼の仕業か?」

「いいや違う」


 致命傷とおぼしき傷をじっくり見ながらレンが答える。


「これは物理的な攻撃で空けられたものだ。力に優れる吸血鬼であっても、不用意にレシュランに近づくなんて考えられない。僕だったら、遠距離から魔法を使うよ」


 レンの説明に、ガーネルドは一応の納得をした。

 謎が多く残る屠殺体とさつたいから手を放し、レンはこれからのことを提案する。


「この山にはレシュランよりも手ごわい何かがいる。一度、ふもとの村まで戻って増援を呼ぼう」

「……わかった」


 ガーネルドが申し入れを素直に快諾かいだくしたことに、レンは胸をなでおろす。

 彼が提唱したレシュランに勝る何らかの存在は、吸血鬼に因縁いんねんのあるガーネルドを山から引き離すための口実だったからだ。

 いざというとき、ガーネルドを一人で取り押さえられるかどうか不安があったレンは、近辺に点在しているハンターの仲間に協力を求めようと考えたのだ。


 そうと決まれば、この場に長居は無用である。

 あらかじめ回収しておいた五本指の義手をガーネルドに差し出し、もといた登山道に戻るべく足を急がせた。

 そのまま駆け足で去ろうとするレンの肩に、追いついたガーネルドが重い手を乗せて引き止める。爪が折れているとはいえ、大きな鋼鉄の義手には迫力があった。


「今度はどうした?」

「……依頼人は?」

「ああ、そうか」


 レンは広葉樹の茂みに消えた少女を思い出しながら、困ったように頭をかいた。

 彼女の逆鱗に触れてしまった記憶が脳裏をよぎり、とてもじゃないが探し出そうとは言い出せない。


「たぶん大丈夫だろう。彼女は僕よりもタフだから」


 その答えは無責任な気もしたが、ひとまずは自分の身を守ることを優先したのだった。



 活動報告で軽く触れましたが、前回でストックが尽きました。

 今大急ぎで続きを書いています。

 できれば年内に猛獣使いの遺産を完結させたいですね。

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