第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Oパート
長かったこの話も、いよいよクライマックスです!
ローランコが瞬間移動した先に地面はなかった。
行き先を決めずにできるだけ遠くへ飛ぼうと試みた結果である。
自由落下の衝撃は思いのほか小さく、ガーネルドと共に坂を転がって河原に出た。
でこぼこの斜面に肩をぶつけたローランコは、左手の痛みに耐えながら立ち上がる。光という光が樹木に遮断された闇の中でも、彼の透視能力をもってすれば、相手の位置情報は掴むことができた。
対するガーネルドは一歩出遅れる。突然の事態をまだ飲み込めないでいた。
鎧のおかげで大きなダメージは負っていない。身体が浅瀬に浸かっていることもすぐ分かった。
それでも、彼の脳内はいまだ混沌としている。
すべての吸血鬼を敵と見なして生きてきたガーネルドは、現在の状況よりも、二人の人間が自分の邪魔をしたという事実の方に大きく動揺していた。
遠めに様子をうかがうローランコは、相手の精神を読み取る中で、ガーネルドの複雑な心理模様に共感し、同時に嘆いていた。
正確には、かつての自分と重ねて見ていたのだ。
――あいつはまだ、いろんなことを知らないんだ。
ガーネルドはいわば、戦闘技術だけを身につけてしまった子どものようだった。
人を殺めることの恐さを知らずに、ただ武器の使い方だけを教わった子ども。正しくは、人を殺すことに戸惑いは見せても、吸血鬼に対してはそれがない。
残るのは、悪を討ったという充実感だけ。実際にバランを斬ったときもそうだった。
ガーネルドの心理を読み進めるほど、ローランコ自身も狼狽し始めていた。
流れ込んでくる思考の一つ一つが、過去の自分を想起させる。次々と脳裏に浮かぶ重苦しい記憶の数々。その追憶に耐えきれず、ローランコは透視をやめた。
以前、ハルムスの過去を興味本位で探ったことがあった。
そのときは報復として忘却術をかけられたために覚えていなかったが、人の心に干渉することの怖さをローランコは意図せずして再確認することとなった。
そういった後悔の念にとらわれていたローランコの視界が明るくなる。
なにごとかと、光に慣れない目を向けた。まぶしく映っていたそれは、両手に炎をたぎらせた暗殺者の姿だと判明する。考えることを放棄したガーネルドが、辺りを照らすために出した魔法だった。
そのまま情緒不安定な超能力者を一瞥すると、先ほど下ってきた坂を見上げて跳び上がる。
「行かせるか!」
ローランコは超念力を使った。
ガーネルドの運動が急停止し、一気に地面まで引き戻される。その手に灯っていた火が消え、水しぶきの音が暗黒の空間に流れた。
それと同時に、とてつもない疲労がローランコを襲う。
ガーネルドの全重量を両手で持ち上げたのと同じくらいの徒労感は、超能力の代償ともいえるものだった。
そもそも超能力とは、決して万能ではない。
体力との変換効率において魔法と比べると、両者には雲泥の差がある。
超能力は魔法と違って原理面の研究が進んでいないのも大きな要因だ。
魔法の源が魔力とされているのに対し、謎に包まれている超能力の源を仮に理力とする。
たとえば、同じ技を放つために必要な力を総じて十とすると、大地や身にまとっている呪具から魔力を供給できる魔法は、魔術師当人の負担が五、六程度で済む。
しかし、本人の才能によるところが大きい超能力は、理力を供給する術が現状では存在せず、技を行使するためには能力者が十を負担しなければならない。
消費する力はそのまま本人の体力につながるため、超能力者は持久戦に弱いという致命的な弱点が浮かび上がる。
特別な力を持たない相手ならまだしも、魔法使いと戦うときは、その欠点が顕著に現れる。高価なものではあるが、呪具を装備すれば誰でも使うことができる魔法とは、条件が違いすぎるのだ。
戦場において、一つの武器に命を預けることは愚行とされている。武器を失うということは、命を落とすことと同義だからだ。
超能力に頼りきることの危うさを十分に理解しているローランコは、この大陸のどこかにある魔法都市で、いずれ魔法を学ぼうと思っていた。
少なくとも現状では超能力に頼らざるを得ない。剣も所持しているが、接近戦特化の武装をしているガーネルドには通用しないと思ったからだ。
ローランコは透視を再開した。
ガーネルドの位置を補足しながら、つかの間の灯りの中で得た川の情報も整理する。
水深は浅く、流れは穏やか。大人が三人も横になれば橋ができそうな水辺で、正体不明の魔術師と対峙しなければならない。
吸血鬼に対する悪意は感じ取ったが、相手の情報は希薄であった。しいていうなら、男の名前がガーネルドだということくらいか。
超能力による透視は、相手がそのとき考えていることしか読み取れない。相手の意思に反して必要な情報を探り取ることができるハルムスの透視魔法とは比べるべくもなかった。
自身の力の不安定さに、心の中で舌打ちをしながらローランコは考えた。
「そもそも、俺がここに来た理由は――」
暗殺者の魔の手から、友人を守るためであったこと。その事実を思い出すことができた。
冷静さを欠いていたローランコは、取るべき手段ばかりを気にかけて肝心の目的を見失っていた。自分の狭い道徳観にあてはめて正解を探ること自体が時間の無駄だと気づいたのだ。目の前の男を助けたいという身勝手な正義感も心の内にしまいこむ。
過去の自分という呪縛はまだ脳裏に焼きついているが、今この時にやるべきことは分かった気がした。
――この男を足止めする!
先ほどは反射的にガーネルドの行動を阻んだが、とっさの判断の中にこそ自分の真意があったのかもしれない。
そう考えたとたん、ローランコは心が軽くなった気がした。落ち着きを取り戻したことで、今まで見落としていた情報も見えてきた。
――しめた! この水は武器にできる!
ローランコは右手の人差し指を立て、立ち上がろうとするガーネルドに振りかざす。
それは集中力を高めるための自己暗示。平常時の彼に戻った証拠でもあった。
「水流操作念力!」
そう言いながら思い浮かべたのは水の蛇。
生き物のようにうねった川の水がガーネルドに襲いかかる。実体を長く保つのが難しいため、巻きつくような攻撃はできないものの、棒状の水流を叩きつけるだけでも十分な威力があった。
ローランコは目にしたことがないが、津波という自然災害が存在する。地震の弊害でしばしば発生する、とてつもない破壊力を持った波のことであるが、その威力は質量と速さが増すほど高くなる。
その理屈を彼自身が理解しているわけではなかったが、柱状の水を横からぶつけるよりも、一点に集中させて水の束を当てるほうが大きなダメージを与えられることを感覚的に分かっていた。
そういった意味でも、蛇をイメージしたのは正解だった。
一寸先が見えない闇の中、急襲してきた川の水にガーネルドは跳ね飛ばされた。中途半端な深さの水に足を取られながら必死に立ち上がろうとするが、襲い来る水は待ってくれない。
たまらず両手に火を灯す。自分を攻め立てるものを捕捉したガーネルドは、炎の爪で蛇を切り裂いた。形を崩していく水を見て安心したのもつかの間、今度は自身の真下から水柱が上がってくる。
思わぬ攻撃によろけながらも、両手により強い魔力を込めた。たちこめる炎の勢いが増していく。
その手を十字に組んで、続けざまに迫る水流を受け止めた。水と炎が激しくぶつかり合い、蒸気が発生する。
ガーネルドがようやく体勢を立て直したところで、それまでの攻勢はピタリと止まった。
ローランコの体力が限界に近づいていたからだ。
ガーネルドは両手の灯りを頼りに、息を切らしながら立ちつくす男を睨みつける。
術者をろくに見ていなかったガーネルドは、自分が今まで水の精霊と闘っているのだと勘違いしていた。それゆえに、今の戦闘が人間の手で引き起こされたものだという事実に大きな疑問を募らせた。
「……なぜだ。なぜ、吸血鬼の味方をする?」
ガーネルドが重い口を開いた。
その問いを先取りしていたローランコは、あらかじめ用意していた言葉を投げかける。
「決まってるだろ。一宿一飯のお礼ってやつさ!」
ローランコが渾身の力を振りしぼって、ガーネルドにもう一撃加えようとする。
しかし、人差し指を振り下ろす前に、両者の間に青い光線が割って入った。それは見る見るうちに、川の水と二人の足を凍りつかせる。
「!」
「なんだ!?」
両者の目が無意識的に上方へ向いた。
この場で唯一の灯りとなっていたガーネルドの炎が乱入者――双剣をまとう剣魔道士リックス・マービィの姿を照らし出す。
跳び下りてきたリックスが空中で右手の剣を振り上げた。それを見たガーネルドは、腕を十字に組んで受け止める。炎と炎がぶつかり合えば、その反動で足の自由を奪っている氷も溶かせると思ったからだ。
剣魔道士が右手に構えるのは炎の剣。わずかな記憶を頼りにした瞬時の判断は、客観的に見ても正しいものであったのは間違いない。
だが、賞賛すべき見立ては裏目に出る。
リックスが振り下ろしたのは氷の剣だったからだ。
ここまで追いつくにあたって、リックスは左右の剣を持ち替えていた。敵の意表を突くための作戦である。保険程度の気分で持ち合わせていた策が見事にはまったのだ。
炎と氷。
相反する二つの魔力が互いの力を打ち消し合う。
勝ったのは氷だった。
火が完全に消えた後も止まない氷の剣は、勢いを保ったまま振り下ろされた。その冷気はガーネルドの保持する武器へと伝わっていく。
燃えるほどの高温から、凍りつくような低温へ。その激しい経時変化に耐えきれず、合わせて十本あった鋼鉄の鉤爪は、大きな音を立てて砕け散った。
この結果は使用者の技量によるところが大きいといえる。
予想だにしない出来事に気圧されたガーネルドは、両足を炎に包んで氷から抜け出した。強引に跳び退いたために着地場所を選べず、降下した先の氷が割れてバランスを崩し、尻もちをつく。
リックスが構える炎の剣で照らし出された男の姿は、先ほどよりも一回りほど小さく見えた。
鉤爪が割れたせいで物理的に縮小したのもあるが、頼りにしていた武器を破壊されたことによる焦りも見てとれる。武器を失った瞬間というのは、普段では想像もつかないほど無防備になってしまうものだ。たとえ魔法という戦闘手段が残されていたとしても、精神的なダメージは隠すことができない。
起き上がろうとしたガーネルドは、身体が強張っているせいか、もう一度転んでしまった。
今度こそ立ち上がる。双剣を構えるリックスと、足を拘束されているローランコに目を配りながら徐々に後退していく。もはや先ほどまでの戦闘意欲を見出すことはできなかった。
リックスは警戒を緩めずに少しずつ距離を詰め、消え入りそうなその姿を視界にとどめる。
そうしたやりとりを繰り返していたときだった。
どこからともなく、かん高い笛の音が鳴り響く。音量自体は小さなものだったかもしれないが、澄んだ音色は三人の耳にもよく聞こえた。
「……レン?」
そう言って土手を見上げたガーネルドは、二人に背を向け、血相を変えて走り出した。水に足をとられながらではあるが足取りは速く、見る見るうちにその姿は小さくなっていく。
リックスが飛び道具を使ってこないという判断は正しかったが、水を操ることことができるローランコの存在が蚊帳の外に行っていた。そういった意味では、背中を向けたのは軽率だったかもしれない。
「待て!」
「追うなリックス! やつの行き先はルオラのところじゃない」
ローランコが言うならと、追いかける足を止めたものの、リックスは不安をまだ拭いきれていなかった。
ひとまず炎の剣を一振りする。剣先から現れた無数の火の粉が波を作るようにして足元の氷を溶かしていく。足かせがなくなったローランコは、川の流れに逆らいながらリックスの元に歩み寄り、その手を掴んだ。
「屋敷まで戻るぞ!」
ローランコが言い終わるや否や、リックスの視界に映るものが突然切り替わる。二人は林の中におり、気づけば足元を流れる川もなくなっていた。
水を吸って重くなった靴のつま先を見てみれば、ルオラの家は距離にして大股二十歩ほど。目と鼻の先だった。
リックスが初めての瞬間移動に驚くのもつかの間、横にいたローランコが骨抜きされたかのように力なく倒れる。息を荒げてはいるが、意識はあるようだ。
彼は、リックスを背負って坂を全力疾走したのと同じくらい体力を消耗していた。普段できないことができてしまうだけに、超能力の代償は大きかった。
「しっかりしろ!」
うつ伏せになったローランコをリックスが助け起こす。思わず剣を放り投げてしまった彼を誰が責められようか。
体勢を変えられて仰向けになったローランコは、必死に言葉を紡いでいく。
かすかな声をつなぎ合わせれば、「俺のことはいい。ルオラのところへ」といった主旨を話していることが分かった。
「バカ野郎、置いてなんかいけるか!」
そう言ってリックスは双剣を拾い上げ、鞘に納めると相棒を抱きかかえた。
「あいつの行き先がルオラのとこじゃないって話、信じるからな」
ローランコの肩と膝を持ち、屋敷までのわずかな距離を走りきる。
リックスが立っている地面と家の出入り口には落差があり、玄関に続く階段がある。ガーネルドに破壊された戸口は下からでもよく見えた。
「意外と早く着いたわね」
声のした方へリックスが振り向く。
時を同じくして到着したのは、身長の高い吸血鬼を背負い、引きずりながら運んできたハルムスだった。結界がなくなったとたん、一気に視界が開けて、吸血鬼親子が長年踏んでできた一本道を登りきることができたのだ。
リックスは周囲を一度見回した。この状況でも注意を怠っていない。
心配するような事態がないと分かると、ローランコを玄関前の階段に降ろしてハルムスに駆け寄った。
「バランさんは?」
ハルムスは一呼吸おいてから目を閉じ、黙って首を横に振った。
あたりを冷たい夜風が吹き抜ける。
「そうか……」
リックスは屋敷に向き直った。
「ルオラに、なんて言おうか……」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回の話はあと二回で終わりそうですね。
次回、もうひと悶着ありそうです。