第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Mパート
――バランさんはどこまで行ったんだ?
来た道かどうかも分からない道を走りながら、リックスはバランを捜していた。
こんな時間に山登りをするという無茶をしでかしたのは、十中八九ハルムスだろうと考えている。自分たちを捜すという動機と冒険者としての度胸。その両方があるからだ。
その一方で、気になることもあった。
バランは屋敷を出る前に、『何者かが結界に干渉して侵入しようとしている』と言っていた。
自分たちでさえ気づかなかった吸血鬼の結界を認知しつつ、それを破って内部に侵入するだけの高等なテクニックをハルムスが持ち合わせているとは思えない。
秘密主義のハルムスが自分たちに力を隠していた可能性も少なからず考えられるが、おそらくそれはないとリックスは考えていた。
ハルムス以外の誰かが登ってきたのであれば関係ない。その時はバランに任せて屋敷に戻ろうとリックスは考えていたが、それもどこか引っかかるものがあった。
夜の登山はそれ自体が自殺行為であり、それも生い茂った草で登山道すら見えなくなっている山である。正気の沙汰とは思えなかった。
交渉などにおける話術に長けたハルムスは、パーティの中でも一番大きな財布を持っていた。いつどこで身に着けたかは知らないが、その気になれば相手の真意を探る透視魔術も使えるため、商談の場での活躍は目を引くものがあった。
そんな論理的かつ合理的なハルムスに、財産の管理を委託するようになったのはローランコが成り行きで同行するようになってからのことだった。
今のハルムスなら、人を雇って自分たちが消息を絶った山の捜索に踏み切ることもあるかもしれない。
しかしながら、麓の村にはこれといって腕利きの狩人や魔術師はいないようであった。
高齢化の進んでいる印象を受けた村の情景を思い浮かべる限り、その線も薄いように感じる。
「いったい、何が起こって――」
そこまで言いかけたリックスの視界に何かが飛び込んできた。
大きな半月を遮るように現れた影は、音もなく着地すると、ゆっくり立ち上がる。
やがて人の形を取ったそれは、雲間から顔を出したもう一方の月に照らされて、鮮明に見えてきた。
長い爪のついた鋼鉄の義手は、月明かりを反射させて青白く輝き、自然の中に一つだけそびえる人工物の威厳を放っている。
その輝きがあまりにも美しいために、持ち主である男――ガーネルドがまとう鎧についた返り血は、対照的に目立つものとなっていた。
リックスは自身から血の気が引くのを感じた。
それと同時に、内から込み上げてくるのは激しい怒りである。
無言の殺気を感じ取ったガーネルドは腰を低くして爪を構えた。
臨戦状態に入って間もなく、リックスをその目で捉える。
「……人間……旅人か?」
リックスが人間だと気づき、両手を下ろした。
相手が武器を手にしていないこともまた、ガーネルドが警戒を解いた理由の一つである。
「おい――」
「その血はなんだ?」
ガーネルドの言葉を怒りのこもった静かな声が妨げた。
その威圧感を身に受けながらもガーネルドは動じない。
「吸血鬼の血だ。知ってどうす――」
「どうするもねえよ!」
山中をリックスの声がこだまする。
「……どうせ種族差別だろ。そんな光景、今まで何度も見てきたさ」
ガーネルドは立ち姿のまま注意深くリックスを見ていたが、その視線が不意に旅人の背後へと泳ぐ。
不可解なそぶりにリックスも気づいた。
――屋敷の存在に気づかれた……?
リックスの駆けてきた道も入り組んだものだったが、ガーネルドの視線はまぎれもなく屋敷の方を向いていた。男の正体もバランの安否も不明だが、先ほどの話が本当ならルオラの身も危うくなる。
そう思ったリックスは両手に素早く剣を抜き、相手の準備動作が追いつく前に斬りかかった。
受けきれないと踏んだガーネルドは背後へ跳び退く。その瞬間、振り下ろされた右手の剣は刀身に火炎をまとい、切っ先を離れた炎が渦を作って襲い掛かってきた。
ガーネルドは腕を十字に組んで攻撃を受けきると、さらに後退してリックスと距離をとる。
「貴様……剣魔道士か?」
「だったらなんだ!」
我を忘れるかのような勢いでリックスは左の剣を袈裟がけた。
レンはハルムスを追って藪の中を駆けていた。
「待ってください! どうしてあなたが、こんなところに!」
叫びながら、視界に入った少女との距離を少しずつ詰めていく。
わざわざ大声を上げたのは、魔物が寄ってこないように牽制する意味もある。一般的に魔物と呼ばれる害獣の中には、人間を恐れる種もいるからだ。
――もう少し、あと少しで追いつける!
レンはプロの魔物ハンターとして、日頃から鍛錬を怠っていない。女の子の足に追いつくなど容易なことだった。
危険な山中を逃亡するハルムスを引き止めようと手を伸ばすが、あと一歩のところで届かない。
おかしな事態にレンは目を丸くした。
確かに至近距離までせまったはずなのに、その手は空振った。
それどころか、縮めたはずの距離がまた開き始めている。
自分の足が止まっていることに気づくまで、たいした時間はかからなかった。
「なんだ!?」
レンの足には無数の蔦が絡みつき、その自由を奪っていた。
「人食い花か!? いや、そんな気配はしなかったはず――」
思わず辺りを見回したレンの目に入ったのは、右手に杖を構えたハルムスだった。
彼女が杖を持っていない方の指をパチンと鳴らすと、より多くの蔦が巻きついてくる。
「な、何を!?」
「いらない!」
杖を握る手に力が入った。
「私を束縛する過去は、もういらない!」
ハルムスは杖を勢いよく振り下ろした。そこから放たれたのは風の魔法。
鋭い風圧をまとった見えない刃は、両手でも抱えきれないほどの大木をいとも簡単に切断した。
「――ッッ!」
叫ぶ間もなく、レンは倒木の下敷きになった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
本日もう1話更新します。
2012/11/22表現を一部変更