第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Lパート
ルオラがローランコとラノハを拘束していたのは、ほんのわずかな時間だった。
金縛りが解けた二人はバランスを保てずにその場で転んだ。
「……いてて、何するんだよ!?」
ラノハが抗議の視線を向ける。
ルオラは涙腺が緩むのを感じたが、今は気にとめず二人に返す。
「だめ! 外は危険だからパパの結界から、家から離れちゃだめ!」
「危険って、どういうことだ?」
ローランコも振り返って訊ねる。
ルオラは視線を落とした。
ローランコは透視能力を使わずともその変化を読み取る。彼女の何か思い出したくない過去に触れていると、これまでの経験から飲み込んだ。
ラノハも似たようなものを感じたのか、開きかけた口を閉じた。
何か言うべきでないかと二人が思考をめぐらすが、良い言い回しが浮かんでこない。
そうしているうちに、意を決したルオラが話し始める。
「私のお母さん、猛獣使いだったんだ。大陸各地からめずらしい魔獣を取り寄せては、山で放し飼いにしていたの。そうしているうちに、ここの環境に合わせて魔獣が進化して、山一帯に独自の生態系ができあがっちゃって……」
二人は息を飲んだ。
昼間歩んだ道のりは、一見すると平凡で楽しいものだったかもしれない。
だが実際は危険に満ち溢れ、何事もなかったこと自体が奇跡だったのだ。
そこまで考えてラノハが気づく。
「……ん? ルオラの母さんて、猛獣使いなんだろ? だったら一緒に来てもらえば――」
「よせラノハ!」
ラノハの言葉は言い終わる前に止められた。
ローランコは気づいていた。猛獣使いだったと過去形で説明された母親の行く末を。
「お母さんは――」
だが遅かった。ラノハが訊いたことで、猛獣使いの末路をルオラ自身の口から話させてしまった。
「――五年前、レシュランに食べられちゃったの」
茂みを走るハルムスは焦っていた。
――あの男、わたしのことを知ってる!?
ハルムスは自分の過去を否定している。
彼女が旅をする理由は、己の過去からの逃避に他ならない。
自分の過去を想起させるもの。自分を連れ戻そうとする者。
そのすべてがハルムスの敵だった。
いつも頼りにしているリックスはいない。
今はこの場を自力で切り抜けるしかなかった。
――やってみせる。そのためだったら、どんな手だって……。
ハルムスは腰から杖を抜き、今はただ走った。
レンの邪魔がなくなったガーネルドは、バランから一度距離を取るため、自身の背後にある木へ跳び退いた。
なおも鋭い眼光で威嚇しながら好機をうかがう。
バランはガーネルドを正面に捉えながらも、内心は別のことを考えていた。
それは森に姿をくらましたハルムスのことである。
結界の弱まった山林は亡き彼の妻が放った魔物の宝庫であり、並大抵の魔術師では生きて帰ってくることすら難しい。仮に助け出すことができたとしても、四肢がすべてそろっている保証はできなかった。
彼自身、妻の遺産に触れることは御免こうむりたいのだが、少女の身にもしものことがあっては、娘の友人たちに向ける顔がない。
正直な話、長い年月を生きてきた吸血鬼にとってガーネルドの存在はそれほど脅威ではなかった。
少女を追いかけたもう一人の男のことも気になるが、おそらく少女に危害を加えるつもりはなさそうだと思っていた。
それでも安心はできない。
いくら彼らがなんらかの戦闘技術を持っていたとしても、腕利きの猛獣使いに鍛えられた魔物は野生種と勝手が違う。それもバランの悩みの種の一つである。
一刻も早く二人を追いかけねばならなかった。
バランの心の内など知る由もないガーネルドは、木の上を次々に跳び移り、迂回しながら少しずつ距離を詰めていく。
そんな彼の行動が煩わしくなったバランは、一度飛び上がってマントを広げた。布の内側からは無数のコウモリが現れ、ガーネルドの周りをリング状に取り囲んでいく。
一度木の枝に着地したバランは、自身の使い魔に念話で指示をする。
なおも木から木へ跳び移るガーネルドの周りを包囲するコウモリたちは、一定の間隔を保ちながらも少しずつ距離を詰めていく。
この輪を少しずつ狭めてガーネルドを拘束する算段だった。
コウモリを追い払うのが不可能だと悟ったガーネルドは、接近してきた黒い翼を鉤爪で引き裂いた。何回か手を振りかざすと、彼を取り巻いていた使い魔の大半が地に落ちていく。
遠めに見ていたバランは首を傾げた。
彼が放った使い魔は、もとは屋敷で繁殖させたコウモリだが、使い間の契約を交わす上で幾分か強化されていた。多少の切り傷ならば、すぐに再生するはずである。
「武器の方に呪いがかけてあるのか?」
バランはそう言ってガーネルドの斬撃をかわす。木から足を離して、浮遊魔法による飛行に移行した。
ガーネルドもそれに続いて飛び上がる。
彼の駆使する浮遊魔法はバランのものと違い、義手に身体が持ち上げられている印象だった。鍛え上げられた筋肉で姿勢は維持しているものの、身体の方は直接浮いているわけではないようだ。
怪しげな紫色の光を放ち始めた義手で、さらにバランに斬りかかる。
「魔力の制御が甘いな、小僧」
言いながら巧みに爪を避けていくバラン。
コウモリの再生を阻害した魔法の種類は分からないものの、ガーネルドの鉤爪は自分に対しても概ね有効な武器であると判断していた。
距離を取りながら、自身の髪を数本抜いて鋭い針に変形させると、相手の足めがけて投げ飛ばす。
狙いが急所でないと気づいたガーネルドは大振りな動きをせずに針をよけた。
月明かりの中で二つの影がせわしく交錯する。
攻撃を紙一重でかわし続けてきたバランは、ようやく神経を目の前の男に集中させた。
無駄な動きを限りなくゼロに留めていたため、体力も魔力も十分に残っている。
小手先の攻撃ではガーネルドを拘束できないと判断し、迷った挙句、使い魔のコウモリをもう一度召喚して囮にするにした。相手の注意の逸れた瞬間に、自身が直接魔法を行使すれば取り押さえることができる自信があったからだ。
彼は外見に似合わず、生き物の命一つ無下にできない性分であった。使い魔を犠牲にするという選択肢にためらいはあったものの、少女の身を案じたバランはマントを広げてコウモリを呼び出した。
たちまち無数の黒い塊に覆われながら、ガーネルドは全力で抵抗して強行突破を図る。
そんなとき、後退するバランの背中に何かが当たった。
ガーネルドから注意を逸らさずに確認する。無色透明な壁の正体は、先ほどレンが作り出した結界だった。それが今まで消えずに残っていたのだ。
――しまった!
接近してきたガーネルドの姿を確認する中、バランは左手を伸ばして新たな結界を作り、同時に自身の背後にある障害をひじ打ちで叩き割った。
それと足並みをそろえて振り上げられた銀色の爪は、即席の防御壁を破り、身を逸らしていく吸血鬼に迫り続ける。
その刃はまるで布を裂くかのように、たやすくバランの身に食い込んだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
久しぶりの戦闘シーンにして、やっと猛獣使いの話が出てきたという事実。
あと何パートで終わることやら。
次回の更新も明言できませんが、よかったらまた読んでやってください。