第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Jパート
ガーネルドは山中でコートを脱ぎ捨て、荷物もすべて下ろすと、今度は右腕の義手をはずした。
コートの下から現れたのは、月明かりを浴びて銀色に輝く鎧だった。一目見ただけでは分かりにくいが、無数の魔法陣が彫りこまれていて、時に硬く、時に柔らかくなることで装着者の身を守る高級な装備である。
肘まである義手の中身は空洞になっていて、指は今まで魔法で動かしていたようだった。
はずした義手を鞄にしまうと、今度は別の義手を取り出す。
新しい義手は一回りどころか三回りほど大きく、指がない代わりに、鋭い五本の鉤爪がついていた。その長さは生後五歳程度の子供の身の丈くらいある。ガーネルドが戦闘時に使用する斬撃用の武装であった。
それを貧相になった右手に近づけると、両者の間に青いプラズマが弾け、次の瞬間には腕の一部となる。
同じように左の義手もはずすが、支えるための指がないため、こちらは単純に魔力の接続を解いて指つきの義手を鞄の中に落とす。そうすると今度は、あらかじめ石の上に寝かせておいた左手用の爪つき義手に近づき、丁寧に接合した。
「用意周到なのもいいけどなガーネルド、できる限り戦闘は避けたいんだぞ」
傍から見ていたレンが釘を刺す。
ガーネルドは足元に転がる食肉に一度目を落とし、じっとレンを睨み返した。
その肉とは、すなわちキャンプの必需品。具体的に言うなれば、レンが食用に狩ったキリビオの残骸である。夕食用というのは遭遇してから思いついた大儀名分であるが、先に襲ってきたのは魔物の方だった。
いつ戦闘が起こってもおかしくないと、ガーネルドは訴えているのだ。
その意図を了解したレンは頭を抱えたくなる。
「……吸血鬼との戦闘は避けたい。私情は挟むんじゃないぞ」
レンは注意深く念を押す。
ガーネルドはぶっきらぼうに目をそらし、月を見上げた。
その光は徐々に暗雲に飲み込まれていく。
「……始めるか」
レンは自身の役目を遂行することにした。
ガーネルドには何を言っても時間の無駄だと諦めた。余計な揉め事が起こるなら、自分が全力で止めに入ろうと心に決める。
彼の担った役割は結界の除去であった。
結界師として高い技術を持つレンならではの所業である。
除去といっても、完全に解呪するわけではない。結界に綻びを作って、中へ侵入するための処置であった。
それは同時に、結界の持ち主に自分たちの存在を伝えることにもなる。
レンはそれでも構わないと思っていた。どのみち奥深くまで立ち入らなければ旅人三人と遭遇する可能性が低かったからだ。
山の大部分を覆う結界は、登山者を惑わせて特定の空間に閉じ込め、少し引き返すと登山道の入り口に戻ってくるという代物だった。
これは『退去推奨型』と呼ばれる結界の典型的な例である。
バランがこのような結界をかけたのは、自分たちの住居への侵入を防ぐためでもあるが、村人が魔物と遭遇することを避けるための配慮でもあった。
例外的にキリビオを配置したのは、魔物の存在を印象付けて登山者を減らすためである。夜行性のキリビオが活動する時間であれば、バランが魔法で補助して村人を逃がすことができるからだ。
レンとガーネルドは閉鎖空間の中を歩いてみたものの、ハルムスの仲間には会えなかった。それはつまり、彼らがなんらかの方法でこの結界を突破したという結論に至る。
実際のところ三人は、ローランコの透視能力などの力があったために、いつの間にかこの結界を突破してしまったのだ。
そこで現れるのがバランの張った第二の結界である。
それは『密閉型』と呼ばれる結界で、術者の許可を得た者以外は完全に退路が絶たれ、同じ場所をぐるぐると回る仕様になっている。
この結界は侵入者を防ぐことに重点を置いているため、進路と退路を断たれていること以外は山の環境そのままであり、ここに生息するすべての魔物は一種の防衛システムとして機能する。
結界を素通りできるルオラに三人が救助されたのは一つの幸運と言えよう。
数百年の時を生きた吸血鬼との戦闘は、なんとしても避けたいとレンは思っていた。もしもそんなことになれば、現状の戦力では勝ち目などない。
それも考慮した上でレンは、山の主たる吸血鬼に直接会って捜索の依頼をするという大胆な賭けに出ることにした。
魔力には術者の性格が出るという説がある。
レンもこの考えの信者であり、山の結界に触れて感じた優しい感触に心が安らいだのもまた事実だった。平和主義とも取られかねないこの賭けは、自身の結界師としての勘に従った結果である。
少なくともレンは、ガーネルドの出会った吸血鬼が血に飢えた略奪者だとは思えなかった。
交渉がうまくいくかどうかは別にして、遅かれ早かれ遭遇するなら早いほうが良い。依頼の中で求められた三人の安否確認を最優先に考え、そのように結論づけていた。
しばらく宙にかざしていたレンの両手に一瞬だけまばゆい光が灯る。
それが終わると両手を下ろしてガーネルドに向き直った。
「ひとまず結界は弱まった。日の出までは問題ないと思うが――」
そこまで言ってレンは登山道を見下ろす。
ガーネルドの視線もすでにそちらへ向いていた。
「――これは思わぬお客様だ」
術に集中していて気づくのが遅れた気配。そしてガーネルドはとうに気づいていた気配。
草むらに潜む人影にレンが話しかけると、諦めたようにその人物は姿を現した。
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