第四話 エピソード5『猛獣使いの遺産』Dパート
「道に迷った」
長く続く現実逃避に終止符を打つため、リックスは確認したくもない事実を仕方なく口にした。
「……それで、どうするよ?」
ローランコは続きを求めた。期待はしていなかったが。
ラノハはというと、二人から少し距離を置いた切りかぶの上でうとうとしている。
空に浮かぶ二つの月は、片方が半月、もう一方は三日月に近い形をしており、どちらも太陽が沈んだ西の方角を指して、右手に光を寄せていた。
リックスは、少し丈の高い切りかぶで居眠りを始めたラノハを一度見上げてから話を続けた。
「とりあえず野宿するほかないな。飛び乗った木に一つ一つ印をつけておいたから、夜明けを待って、それを頼りに下山しよう」
期待をやや上回る形となった返答を聞いて、ローランコもひとまず納得し、野宿できそうな場所と食料を探すことにした。
ローランコが狩りに出ようとすると、リックスが片手で制する。
「その必要はない。食料なら、もう見つけてある」
リックスが言い終わるか否か、小枝の折れるような物音が聞こえた。ラノハの居た方だ。
ローランコが振り向いた時にはもう遅く、それまで切りかぶに擬態していた怪物は、枝に似た腕を数本伸ばしてラノハの自由を奪い、その軽い身体を二人の手が届かない高さまで持ち上げていた。
「ラノハ!」
慌てたローランコが救済を試みる手前、またしてもリックスが制した。そして、この状況下で眠りこけているラノハを親指で指して、ローランコに語りかける。
「心配ない。見てろって」
切りかぶお化けは二人を完全に無視して、口と見られるものを開き、食事をしようとした。
しかし、それまで餌と思われていた者も動きを見せる。
「……ったく、うるせぇなぁ」
目を半開きにしたラノハは、拘束の及んでいなかった右腕を動かし、背中の戦闘斧を引き抜くと同時に、自分の手足の自由を奪っていた木製の腕を切断した。同時に刃を包んでいた布の鞘が宙を舞い、リックスの手の中に落ちていく。
落下の勢いを利用し、意識があるのかないのか判別できない表情を浮かべたラノハは斧を振りかぶり、着地と同時に切りかぶを真っ二つに両断した。
キリビオという名称を持っていた魔物はその後さっぱりと動かなくなった。
「お見事」
リックスが軽く拍手をする。
倒した当人はというと、その場で三角座りをしてまた眠り始めた。素早くリックスがその手から戦闘斧を奪い、ハンカチで血を拭き取ってから鞘をかけて、ラノハの背中に戻した。
ラノハの無意識かつ天然な行動にあきれるべきか賞賛すべきか迷ったローランコは、とりあえずため息をついた。
「それで、食料は?」
するとリックスは、動かなくなった怪物を指差した。
「コレだよ。ラノハが仕留めたヤツ。山で野宿する場合、野生のキリビオは貴重な栄養源になる」
「……覚えておく」
そのサバイバル術に感心しつつ、いささか複雑な感情を抱く。初めて目にする食材をローランコがまじまじと見つめていると、思いがけず背後から聞き覚えのない声がかかった。
「君たち、そこで何をしてるの?」
突然のことであったため、二人とも剣に手をかける。
声の発生源が近いことはすぐにわかった。決して注意を怠っていたわけではないが、そばに来るまで気づかなかった気配に、二人は用心する。
先にローランコ、少し遅れてリックスが振り向くと、十代半ばほどの少女の姿が目に入った。
少女は黒髪で長さはセミロング程度。肩に掛かった髪は毛先が少しカールしている。
脇には漆黒のローブを挟んでおり、左手には野菜や果物が入ったカゴを持っていた。溢れんばかりに盛られた食材は、わずかな月明かりでも見えるくらい砂にまみれている。
二人が武器に手をかけたため、驚いた少女は一歩下がった。
その拍子に果物が一つバスケットから転がり落ちる。
少女は二人から視線を逸らさず、ローブを投げ捨てて、懐から木製の杖を引き抜いた。
ハルムスが使うものと極めてよく似た形状の杖を見るに、魔術師であることは間違いないようだ。
「……待て、これは俺たちが悪い」
しばしの沈黙の後、リックスが両手を挙げて、手ぶらをアピールする。自衛のために杖を構える少女の目には怯えの色が濃く表れていたからだ。
ローランコも武器から手を離し、頭を下げて少女に謝罪した。
少女は二人の対応に目をパチクリさせていたが、やがて戦闘の意思がないことを悟ると、ホッとして杖を収める。
落とした果物と放り投げた外套を二人から受け取りながら、改めて訊き返した。
「それで、君たちは何をしていたの?」
また静寂が三人を支配する。
二人は少女の質問に答えようとしたが、自分達が遭難したという事実を心のどこかでまだ否定しようとしていた。
ほどなくして、ラノハのいびきが沈黙を破ると、やむなくリックスが口を開く。
「下山ルートを完全に見失って、野宿を考えていた」
「えっ!?」
少女が出した悲鳴に近い声に、二人は少し驚いた。
眠っていたラノハのいびきも止まったが、目は閉じたままである。
三人の様子を見て、少女は慌てて口を押さえた。
彼女もいくらか動揺している。その身は震えていて、袖から少しばかり見てとれる白い手には鳥肌が立っていた。
杖を構えたときに見せた表情とはまた少し違い、驚愕と恐れの混じったものだとローランコは推測した。
リックスも同じことを考えているのか、目を合わせると無言で頷いてくる。
黙ってしまった少女に、なんと声をかけるべきか迷っていると、戦慄に身を包んだ少女が顔を上げて、頭一つ分ほどの身長差がある二人に語りかけた。
「ここで野宿はだめ。この辺には、危険な肉食獣がたくさんいるの。麓の村までは時間がかかるし……もしだったら、今晩うちに泊まっていかない? 私、この近くに住んでるの」
「ちょっと、いいですか」
そう言って、ハルムスと村人の前に現れたのは、白髪の若い人間だった。
リックスやローランコと同年代くらいに見えた来客を、ハルムスは男性か女性かすぐに判別できなかった。服装の違いから、相手がこの村の人間でないのは解ったが、それが男であることに気がつくまで、少しばかり時間を要した。
「私は、レン・エデロバリスという者です。こっちは相棒のガーネルド・アルノフ」
ガーネルドと呼ばれた男が現れた瞬間、村人は思わず後ずさる。
ハルムスもその瞳に潜む、殺意に似た鋭い感覚に瞬間的な恐怖を覚えたが、すぐに振り切った。
「私たちは、封魔教団に所属する魔物ハンターです。魔物のことでお困りであれば、いくらでも申しつけください」
魔物ハンター。
レンという青年の口から出たその単語に一同は騒然とする。あまりにもタイミングが良すぎたのだ。
その一方で、村人にまぎれるハルムスは一人だけ冷静だった。
魔物の根絶を祈願とした教団があると聞いたことがあったからだ。封魔教団がまさにそれである。
この教団は名前こそ信仰宗教のように聞こえるが、実質上は魔物ハンターの組合として機能していた。別の大陸から支部が進出してきたばかりで、ヴァンチェニア大陸における活動拠点は大陸中央に位置する『法治国家アデラス』と、その周辺に留まっていたはずである。
何かの遠征で足を運んでいたのだとしても、でき過ぎた偶然のように思えた。
ハルムスはこの二人を利用できないかと考える。
利用するという発想しか浮かんでこない自分に、人知れず嫌悪するが、三人の安否が気になるのは間違いない。
村人を掻き分け、魔物ハンターの前へ躍り出た。
「お願いです! 三人を、私の仲間を助けてください!」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
キャラクターが増えるたびに物語は複雑化していきますね。
次回の更新は、いつも通り4日後を予定しています。
物語はまだまだ序盤ですが、より良い作品作りのため、気になる点などご指摘いただければ幸いです。
2012/10/31サブタイトルの修正、余分なルビの削除
2013/02/01文末や改行を修正