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アブロード  作者: 大鳥椎名
第一部 逃避行
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第一話 エピソード1『逃げる少女と剣術家』


 外の世界へアブロードの魅力に取りつかれた一人の少女がいた。


 未知への憧れを胸にして、地図も持たずに草原を駆ける少女には目的地などない。

 長い黒髪を振り乱し、何かに怯えるような素振りをちらつかせながら前も見ずに走っている。

 白いレースのあしらわれたドレスは下地が残るばかりで、ほとんど原形をとどめていなかった。手拭いが必要になるたびに千切り捨ててきたからだ。

 十代なかばの少女が身を包むには明らかに貧相で、露出した肌には汗が光っている。


 日が沈みかけた頃、草原を抜けて砂漠に出た。

 焼けるような砂の熱さを気にもとめず、裸足の少女は走り続ける。

 やがて、砂に足を取られて転んだ。身体に鞭打って走ってきたのだ。一度呼吸が乱れてしまえば、立ち上がることなどできるはずがない。

 渾身の力を振り絞って仰向けになる。荒れた呼吸に砂ぼこりが舞う。


 途中で見つけた河川や、突然の雨で、いくらかの水分を口に含んできた。

 しかしそれも、照りつける太陽に、いやおうなく奪われていく。脱水症状による命の危険は、黙々と迫っていた。


 無機質な漆黒の瞳には、夕空に光り始める無数の星くずが映る。西日が弱まるにつれて、星たちはその輝きを一段と増していく。

 大自然をの当たりにするたび、その身の小ささを嫌というほど実感する。夜空の美しさと、自分の醜さを、知らず知らず対比してしまう。少女はそんな自分が嫌いだった。


 逃げることでしか自己を見出せなかった少女は、星空に手を伸ばす。

 自分と言う存在に絶望していたからこそ、外界へと希望を求めてきた。少女にとって、目の前に広がる夜空は自由そのものだった。


 自分も向こう側に立ちたい。溢れ出る願いを空にせる。

 遠い星を一つ掴もうと力の入らない指で握り閉め、同時に意識を手放した。





 夜明けと共に少女は目を覚ます。

 太陽を背にして立っている何者かに水をかけられたからだ。

 自身の肌や衣服に触れ、その冷たさが本物であることを確かめる。


 まぶしい光に邪魔されて、目の前にいる人間の容貌ようぼうをうかがうことはできなかった。

 体格からすると男かもしれない。

 その誰かが指さすその先には、地下水を水源としたオアシスが広がっていた。

 水辺に沿うような形で木々も生い茂っている。


 体力の限界を感じていた少女だが、この時ばかりは不思議と力が湧いてきた。そして一目散に駆けたかと思うと、勢い余って水に飛び込んでしまう。

 しかし、そんなことなど少女は気にしない。水面から顔を出すと、命の源をその手にすくう。


「助けた行き倒れはこれで四人目だ。ここまで荷物の少ない行き倒れは初めてだな」


 我を忘れて水を口に運ぶ少女に、青年はそう告げた。

 上から掛かった声に少女は振り返る。

 その声色こわいろから、相手が男であるという確証も得た。


 相手の年齢は十代後半ほど。肩に少しかかった茶色のストレートに、黄金こがね色の瞳。そして背中に挿した大剣が特徴的だった。その端整な顔立ちを見るなり、少女は故郷の女性たちが歓喜する姿を思い浮かべる。

 装飾の少ない軽そうな衣服は、砂漠という気候に合わせてか、ボタンをはずしたりすそを折るなどして肌を出していた。


 そこまで見てとった少女に一つの疑問が芽生える。

 名も知れぬ旅人が自分を助ける理由に見当がつかなかったのだ。

 少女は人間不信でもあった。

 奴隷が売買される現場をその目で見たこともあり、先行きの不安にとらわれた少女は、青年にいてみる。


「……どうして、私を助けたんですか?」

「なぜって、人を助けるのに理由なんかいるのか?」


 質問に質問で返された少女は、相手の目を覗きこむ。

 やがて相手から一切の悪意をくみ取れなかった少女は、そっと肩の力を抜いた。


 青年は少女の警戒が解けたことに安心すると、少し離れた場所へ移動して剣の素振りを始める。

 朝の準備運動のようだった。空気を切る音が辺りに響く。


 その様子を浅瀬から眺めていた少女は、自分も運動代わりに魔法を使ってみることにした。

 少女はかつて、護身術の一環として魔法を習ったことがあった。物理法則を捻じ曲げるその力は、理論立てて説明しようにも解明されていない部分が多い。少女が手ほどきを受けたのは使い方ばかりで、理屈に関しては素人だが、それでも護身術としては十分に足りえるものだった。

 やがて頭一つ分ほどある球状の水が水面から浮き上がり、それが青年に向かって勢いよく打ち出された。


 迫りくる物体に気づいた青年は、身体からだを大きくそって不意打ちをかわす。素早く少女に向き直り、驚きつつもその様子をうかがった。


 少女は人一倍の負けず嫌いであった。

 自分を助けた男の実力を計るために放った一撃であったが、難なく対処した相手を見て一泡吹かせてやりたくなった。

 それからも無数の同様の水の球を作り出しては、青年に放っていく。


 青年は剣の重さを感じさせない跳躍ちょうやくで乱れ撃ちを回避する。

 着地してからも、岸辺を迂回しながら、迫りくる攻撃を剣で悠々とさばいていった。

 やがて彼は、二本の木を順番に蹴って高く跳び上がる。つられて目で追った少女は太陽の逆光で視界を奪われた。

 青年は空中で剣を振り上げ、落下の勢いも乗せて少女に振り下ろす。


「ちょっと待って!」


 わずかな視野の中で、青年の行動に気づいた少女が叫ぶ。

 水が染み込んで重くなったドレスはかせでしかない。水に足をとられた少女は身動き一つできなかった。

 死への恐怖ゆえか、思わず目を閉じる。


 しかし、そこに痛みが加わることはなかった。恐る恐る目を開いた少女は、寸止めされた剣を見上げる。

 青年はニカっと笑うと、剣を鞘に納めた。

 力が抜けた少女はその場に座り込んでしまう。尻もちをつくと、小さな水しぶきが上がった。


「二回目だ。助けた生き倒れに襲われたのは」


 そう言うと、青年は自分の荷物がある方へ向かい、手頃な木の枝を拾い始めた。どうやら火の準備をするようだ。

 少女は上がった心拍数が元に戻るのを待ってから、火おこしを始めた青年にたずねた。


「殺さなくて、いいの?」

「君だって、俺を殺そうとはしてなかっただろう? 致命傷になるような攻撃でもなかったし」

「それは、そうだけど……」


 青年は、止めた手をまた動かして木をこすりつける。

 少女はその作業を遠目に見ていたが、やがて片手を挙げ、もう一度水の魔法を行使した。今度は薄い膜状の水が持ち上がる。

 不毛な作業を続けていた青年は枝を放り投げ、念のため剣にも手をかけた。


「離れた方がいいわ。そこは危ないから」


 少女は持ち上げた水のヴェールをとつレンズにして、太陽の光を木片に収束させる。

 青年は素早く飛び退くと、少しと待たずに上がった炎を見るなり賞賛の声を上げた。


「その手があったか!」


 少女は自慢げに微笑んだ。


 ほどなくして、青年は大きくなった焚火に少女を呼び寄せる。


 それから彼は、鞄から取り出した保存食料の一部を少女に分けた。慣れない味だったが、少女は文句を言わずに口へ運ぶ。


「それにしても、見かけによらず、お転婆なお嬢さんを拾ってきたものだな」


 火の燃える音だけがある中、青年が少し皮肉を込めて言った。

 これまでまともな会話が成立していなかったが、少女は見ず知らずの旅人に妙な親近感を抱いていた。心を許している自分に、初めは少し困惑したが、今は気にするだけ無駄だと割り切るようしている。

 相槌を打つような感覚で少女は口を開いた。


「そうね。私は昔から――」


 言いかけて少女は口を閉ざした。

 穏やかだった表情から笑みは消え、次第に戦慄せんりつに包まれていく。

 少女は両手で顔を覆った。


「嫌だ……私は、私は過去なんていらない!」


 一転した少女の様子に青年は驚いたが、やがて身震いする少女の肩をつかんだ。れた黒髪から手をつたってくる水滴を気にかけず、言葉を選んで少女をさとす。


「過去を捨てたいなら、名前を変えればいい。一部の旅人はそうしている」


 少女は顔を上げた。

 吸い込まれそうなほどの透き通った漆黒の瞳には、まだ恐怖の色が浮かんでいる。


「名前? それだけでいいの?」


 青年は黙って頷いた。

 先ほどよりも少女が落ち着いてきたのを見て、青年はそっと肩から手を放す。


一部・・の旅人……」


 少女は相手の顔を見やってから、考えるように視線を落とした。


「一つだけ訊いてもいい?」

「なんだ?」

「何かから逃げること。それは自由と言うのかしら?」


 少女が告げた命題は、自由を求めていた彼女が、これまでの旅の中で何度も自問自答していたものだった。

 青年は少し戸惑った様子を見せたが、それもつかの間、自身の考えを口にする。


「それがどんなことでも、自分で決めたことなら『自由』さ。俺はそう思う」


 その言葉に、少女は胸をなでおろす。

 肯定してくれる誰かがいるということが、言葉にできないほど嬉しかった。

 もう一度見上げた少女の目に、もう迷いはない。


「私、ハルムス。ハルムス・ナーフレジャー。今決めた」

「そうか。俺はリックス・マービィ。過去のない男だ」


 自己紹介をした後、少女はほうける。

 記憶を頼りに、リックスが口にしたことを思い出すと、一気にふき出した。


「何がおかしい?」


 困惑するリックスを尻目に、少女は腹を抱えて笑い上げる。こみ上げてくる動悸どうきに、苦しそうにもだえていた。

 少しずつ呼吸を整えて、少女は相手を見据える。


「過去がないっていうのは嘘ね。あなたは助けた行き倒れが四人目だと言った。その行き倒れに襲われたのは二回目だとも言った。それは、あなたが過去を捨て切れていない証拠。……違う?」


 リックスはバツが悪そうにうつむいた。


「……容赦ないな」

「まあね」


 ハルムスは、してやったりと頬をゆるめた。



 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 本日あと2話更新します。


 2012/08/31改行変更およびあとがきの追加

 2012/10/02三人称に全面修正

 2012/10/13ルビの追加など一部修正

 2012/12/21余分なルビの削除、抜けていた主語の追加など

 2012/12/28余分な句読点の削除

 2013/01/28余分な句読点の削除

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