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ベンジョサンダリスト!  作者: 水城
8/24


茱萸坂を下っていると、皇居の方から吹いて来る風の冷たさが身体に心地よい。


とはいっても、首都高出口の周辺に渋滞している自動車の窓が、お堀の水面のようにきらめいているのを見ると、この秋風には一体、どれ程のNOxが含まれているのやらという危惧も生じない訳でもない。


と、俺の左脇をスポーツウェアとキャップで身を固めた男性が、駆け足ですり抜けていった。

昼休み、五十分間の皇居ランニング修了後のランナーズ・ハイと引換えに、どれほどの有害物質を肺に蓄積して帰ってくるのやら……。

早くも汗ばんでいる彼の背中を見やりながら、俺はぼんやりとそんなことを考える。無論、皇居ランナーには、余計なお世話だろう。


昨日の朝、くだんの女から押し付けられた名刺をポケットから取り出し、また眺める。

何度見ても、要領を得ない地図だ。

これを描いた『マヒル』という人間は、いわゆる『地図が読めない女』というものに違いない。地図読解能力が、性別に左右されているという極端な一般論には、全く賛同できないのだが。


議事堂の端まで坂を降りきって国会前の信号を渡り、左側の庭園に入る。


……地図の★印。


バグパイパー……。


庭園に入って、最初の木々の茂みを抜けたところに、突然、それは現れた。


「ぶほぉ」というか、「ミュルー」というか。


ともかくその音は、庭園の真下にある、かなり交通量の激しい道路の騒音を圧倒する大きさで、あたり一面に響き渡っていた。


そして、『バグパイパー』以外の何者でもなさそうなものが、そこに実在していた。


洗濯し過ぎてプリントは落ちきったが、黄ばみはもう落ちないほど古びて伸びきった、元はおそらく白であったろうTシャツに、まだらに色落ちしたペパーミント色のジャージズボン。

そんないでたちの男が、額にびっしょりと汗をかき、細く長いパイプが三本突き出した楽器を鳴らしていた。


あれが、バグパイプ。

思ってたより、音も楽器もデカいな……。


軽いショックを覚えながら、俺はバグパイパーを見つめた。

そのすぐ隣にあるベンチに、三人の人間がバグパイプの大音量を物ともせずに、何事かを喋り合っている。


ベンチの真ん中に座っていた男が、ふと顔をこちらに向け、俺を見上げた。


身長はさほどでもなさそうだが、がっしりとした体躯。

「学生時代は柔道部」というような経歴もなくはなさそうな、なかなか立派な腕が、肘までまくり上げられたカッターシャツの袖からむきだしになっている。

無造作に組まれた脚。

その足元は『チャンピオン』のテニスソックスに、焦げ茶の便所サンダルだった。


おそらく、あのサンダルは『松本製作所』……。

俺の物より、ひとつ色が濃いバージョンだ。


その男は、無遠慮に俺の足の先から頭のてっぺんまで眺め回すと、両隣に座っている二人に何か言い、再び俺に視線を戻した。

残りの二人は、昨日会った男女だ。

『マヒル』と『三号』。


ならば……この男。


俺は、そのベンチまで近付き、三人の前に立った。

近づいていく間も、俺から視線を離さなかったその男に、右手を差し出した。


「ということは、あんたが『二号』かな?」


俺の手を握り返すと同時に立ち上がり、そいつは答えた。


「……あんたが『一号』か」


三号はもの言いたげな様子ではあったが、黙ったまま俺たちを見つめていた。

その間、マヒルはというと、コンビニのビニールからコブシ大ほどもあるプリンを取り出してシールを剥がし、それを食っていた。


「まあ、お座んなさいよ、一号」

プリンを食いながら、マヒルは尻を気持ち横にずらし二号との間にごくわずかの隙間を作った。

二号がそこに身体を詰める。三号も、慌てて細い身体をさらに細めて逆側に寄った。  

二号と三号の間に新たに作られた隙間に、俺は腰を下ろした。


「はぁい。じゃあ、自己紹介」

マヒルはプリンの匙で三号を指して、「あんたからね」と指図した。

 

三号が軽く身を乗り出す。

「あ、昨日もお会いしましたが、三号です。年齢は三十四歳、『満』です」


俺はすかさず口を挟んだ。

ここでは(友の会)、どの辺まで身元を明らかにする必要がある?」


マヒルは、口に含んだプリンの匙をひねりながら、ちらりと俺を見やった。

「別に。言いたくないことは、いわなくても。必須じゃないから、便所サンダルに関する事以外は」


俺は、軽く頷いて三号の方に再び向き直り、視線で続きを促した。

三号は、ためらいながらも、役人口調で続けた。

「入省は大蔵で、平成八年四月。今は金融庁に在籍しております」

今後ともよろしくお願いしますと話を締め、三号は腰を浮かせて無意味に数回会釈をした。


年の割にやたらとおっさん臭い。

続いて、俺の隣の二号が引き取った。

「オレは、文科省在職。高専卒、三種採用だから職歴だけは長いがな。今はシコシコ統計とってる。もう、この部署は十年以上になるかな。ま、よろしく」


そういって、再び俺の手を握ると、「お前さんも『マツモト』か?」と付け足した。

俺は黙って頷き、今度は三号に向かって「『(有)ナカガワ』のようだな?」と問いかけた。

三号は、瞳を輝かせて二、三回激しく頷いた。


そして、その場の全員が、俺に視線を向けた。

ちょっと肩をすくめては見たものの観念して、俺は口を開いた。


「『一号』という事になるのかな」


ということじゃなくて、そうなんですぅ、とマヒルが横やりを入れてきたが、無視することにして続ける。


「俺は、ずっと『松本製作所』を使ってる。『ナカガワ』の足型だと、幅が細いからな。色もずっとこれだ。交換ペースは、年四、五足程度だ……以上」


「年、四、五足かあ、結構、いいペースですね」

三号が遠慮がちに口を挟んだ。


「ま、そんなもんじゃないか? オレは最近、夏場の痛みが速いけどな」

二号も話に加わってくる。

すると、三号が「外出時の、アスファルトの熱が要因でしょうか?」と早口で付け足した。

大した意見でもないのに、勿体付けた物言いに聞こえてしまうのは、この男の気の毒な習性のようだ。


三号の『ナカガワ』は、ちょうど俺と二号の中間くらいの茶で、なかなかいい色だ。基本的にナカガワは色使いがふるっている。


だが……。三号のソックスはいただけなかった。

薄手のポリエステルの紺。典型的なオヤジ靴下。

一番酷い、脛毛が透けるほど薄い素材でできていて、膝下まであるようヤツではないだけマシといえば言えないこともないのだが……。


俺は、容器の底に残っているプリンを未練がましくこそげとっているマヒルに眼を向けた。


「さて?」


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