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その日の国会前庭園の風は、もう真冬の冷たさだった。
庭園内の木々の葉っぱは、ホントにみんな落っこちてしまっている。
あら、ここんちは、みんな落葉樹ばっかりなのねぇ。掃除が大変そう。
なんてことを考えつつ、マヒルは北風に対抗して、ダウンジャケットの前を一所懸命かきあわせていた。
……そろそろ、『友の会』の場所、どっかに移すべきかなあ? 霞ガーデンの横の団体客がお弁当食べるとことか? でも、あそこいまいち、辛気くさいのよねぇ……。
なんてことを、引き続きマヒルがつらつら考えていると、佐藤さん(仮)のバグパイプが、豪勢に音を立てた。
佐藤さん(仮)は、相変わらず、Tシャツにジャージで、顔から汗をだらだらとこぼしている。
Tノ門方向から三号が、茱萸坂方向から一号がほぼ同時に、バグパイパーの方に向って歩み寄ってきた。
二人とも、手には缶コーヒーを持っている。
すでに、ベンチに座っていたマヒルと二号も、それぞれの両手でホットドリンクを握りしめて暖を取っていた。
「よう、一号、三号、元気にしてたようだな?」
二号が朗らかに声をかけた。
一号は今日は、黒のスタンドカラーのジャンパーを着ていた。どこか海外のアウトドアメーカーのかなって感じだったけど、シンプルすぎて、どこのだかは分からない。だが、それは不思議とマーブル模様の便所サンダルに ―『マツモトのろ一〇三』に、マッチしていた。
三号はおっさん臭く、皆に軽く会釈をしてみせ、缶コーヒーを開けた。
一号が早速に話を切り出した。
「楡山議員から、電話があったんだって?」
マヒルは無言で頷いた。
昨日、火曜日の午前中。
ずっとサボっていた会議の資料の締切りが迫っていて、めずらしく、マヒルは必死に朝から仕事をしていたのであった。
すると、突然、机の上の内線が鳴った。
そう。
何がどう、突然かというと、ヤングな窓際であるマヒルになど、滅多に電話など掛かってこないから、突然っていう感じなのである。
取り慣れない電話を取って「……えー、ハイ」などと要領を得ない応対をしたところで、受話器の向こうで相手はこう言った。
「にれやまじゃ」
……にれやまじゃ? なに? え? このひと、電波?
沈黙するマヒルに、再び声は言った。
「にれやまじゃ」
にれやま。じゃ。
……楡山?
「楡山先生でいらっしゃいますかっ!」
そう、いくらサンダリスト達の頂点に立つマヒルと言えども、ここではしがない事務員。国会議員は神様である。
思わず、受話器を持ったまま、直立不動に立ち上がる。悲しい国会職員の性なのであった。
「お嬢さん、あんたとあんたのお仲間は、なにやら色々嗅ぎ回っておるらしいな? こういうことは直接、会って話す方が早いんじゃ。どうじゃ? 明日の夕方にでも」
「ってことでさ。『それでは、N田町駅で、お目に掛かろうじゃないか。ふぉふぉふぉ』とか言って、一方的に段取られちゃったってわけなのよね」
マヒルが事の顛末を話し終えると、二号が少々苛立たしげに口を開いた。
「『直接会って話す方が早いんじゃ』って。いきなり刺客を差し向けてきたのは、そっちの方じゃねえかよ。楡山って男は、もう少し筋の通った人間かと思ってたのに」
「確かに、なんかこう、これまでのイメージの『人となり』ってものと食い違いますよね」
三号もすかさず同意した。
「でもさあ、あたし、なんかよく分かんないんだけど。なんで楡山議員が『友の会』の動きを察知したの」
「何でって、会長。会長のせいだろ、たぶん」
二号の声に、一号と三号がしっかりと頷いた。
「え、ええ? だって、みんなだって色々動いたじゃん」
「だが、楡山本人を嗅ぎ回ったのは、お前だけだからな」
……一号にこう釘を刺されては、ぐうの音も出ない。
「でもさ、別に楡山サイドに、直接ちょっかい出したワケじゃないのよ?」
「まあ、それはそれだ。どのみち遅かれ早かれ、こういうことにはなっていただろう」
一号はそう言うと、突然、何かを取り出し、マヒルに差し出した。
「そうだ、これ。二号の家から帰る途中で、落としてたぞ」
マヒルは、一号が差し出したその銀色のビニール袋を見た瞬間、不覚にも耳まで真っ赤になってしまった。
……こ、これは。
「なんだよ? 会長。それ」
二号が不思議そうに尋ねる。
「……履いてみないのか?」
一号はそこはかとなく渋い、そして、そこはかとなく優しい微笑をたたえている。
……んもう。この笑顔で、三号を陥落させたのね。一号、あんたってば。
「中、見たの? 一号」
マヒルがちょっと責めるように言うと、一号は涼しく受け流した。
「いや。見ていない。だが持った感じで、大体分かる」
二号と三号の、好奇心ではち切れそうな視線に耐えきれなくなって、マヒルは、ビニールの中身を取り出した。
履こうと思いながらも、ずっと履けなかった。
履こうと思いながら、カバンの中に入れ続けていた。
マイ・ファースト・便サン。
マイ・ファースト・ナカガワ……。
「……ほう。これはナカガワの」
一号が軽く驚きの声を上げた。
やっぱり、中は見てはいなかったんだ……。
「二〇〇一年限定生産のヤツだな。しかし、よく、こんなレアなの見つけてきたな、会長。どこ? 店」
二号が、オタク丸出しの口調で巻くし立てた。
「えっと、NK山駅前の履物屋。その店は、去年つぶれちゃったけど……」
マヒルは、おずおずと答える。
「足型は同じなんですけどね。ナカガワはあの時期、ちょっと色んなカラーを出してたことがありましたね」
三号も負けじと知識をひけらかした。
「なかなか、いい買い物だったな」
一号が言った。
「……えへ? そう?」
一号に誉められるって、なんか悪い気しないわね。
「このブルーが何ともいえないよあ。当時、もう一色、光沢感のある濃いのも出てて。オレはそっちをパライバモデル、これをターコイズモデルって呼んでたけどな、まあ勝手にだが」と二号。
「……パライバって、あのトルマリンの?」
思わずマヒルが聞き返す。
そこで、一号が、ふっと一息、軽い笑い声を漏らした。
「な、なんだよ、一号?」
二号がそれに食いついた。
「いや。意外と、ロマンティストなんだな? 二号」
この台詞には、何と、二号までも、頬を赤く染めて俯いてしまった。
一号め……。
おぬし、一体、何人切りするつもりだい?
マヒルは、心の中で一号に詰め寄ってみる。
「履かないのか? 会長」
二号にも促され、マヒルは「えいやあ」と心を決めた。
水色のナカガワをベンチの前に置き、右、そして左と足を滑らせた。
「サイズはばっちりみたいだな、な? 一号」
二号の言葉に、一号は黙って頷いた。
そして、二号は、三号の方を無言で振り向いた。
三号は一号の斜め後ろに立って、じっとマヒル達の様子を窺っていたが、二号と視線が合うと、眼鏡を指で押し上げながら言った。
「まあ、悪くないんじゃないですか? 会長らしくて。レアカラーなんかを選んでくるあたりが」
言い方は相変わらずカンに障るのだが。まあ、いつもの三号よりは、何か可愛げがあるような感じだ。
「で、楡山とは、いつ会う約束なんだ?」
一号が、急に話を戻した。
この仕切り方、一号らしいや。
マヒルも、もうこの展開には慣れっこになりつつあった。
ふと、マヒルの口元にも笑みがこぼれる。
「今晩、九時半。N田町駅のロングエスカレーター降りて右の廊下」
マヒルがこう告げると、サンダリスト達全員が、しっかりと頷いた