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澄み切った空気の中、バグパイプの音が響き渡る。
お昼休み、国会前庭園。
「桜の葉っぱも、みぃんな落ちちゃったよね」
いつものベンチに座り、軽い吐息をもらすマヒルである。
「なに? 会長、昼飯足りてないのか。おにぎり、いつもと同じ個数食ってただろ?」
二号はタッパーの蓋でを半隠しにしながら、弁当を食べている。
「ちょっと、二号。あんたに晩秋のメランコリィってものは、皆無なワケ?」
二号は食べ終わった弁当のタッパーを、洗濯のしすぎで端がだいぶ擦り切れてきた偽ミッフィーのキルティングバッグに入れながら答えた。
「つかさ、メランコリィっていったら、会長よりあいつなんじゃないか? どっちかっていうと」
二号が視線を走らせた先には、どこか遠くに視線をさまよわせている三号が立っていた。
手には、宇宙人の好きな缶コーヒーを手にしているが、いつものミルク・砂糖入りのオーソドックスタイプではなく、微糖・ブラックである。
「え? あれってメランコリィっていうよりはさぁ、仕事が忙しすぎて、とうとう心とか折れてるって感じじゃなくて?」
だってさ、前髪とか、いつもに増してなんか、疲れてるっていうかさ。毛全体として、パワーないって感じっていうかさ?
「いや、会長。ココロとか折れてたら、それまずいだろ? さすがに」
あら、そうかしら。今どきの公務員、そんなのめずらしくもなんともないけど。
おや? でも、今、なんか三号。ちょっと目がうるんでたりする?
なんて思いながら、マヒルがちらと二号を顔色を伺てみると、二号もいわく言い難い微妙な苦悩に満ちたような表情を浮かべて、マヒルの方を見ていた。
公園の時計塔が、十二時十九分を指している。
バグパイパー佐藤さん(仮)の向こう。
茱萸坂方向に視線を向けていた三号の表情が、ぱっと明るくなった。
「あ、一号!」
その瞬間、バグパイプが音を立てた。
「……ねえ。二号。先週末って、一号と三号ってさあ、『何か』あったのかなあ」
マヒルは二号の脇腹をつつ付き、耳打ちした。
「会長。あのさ、そう言うマンガとかみたいなこと、現実にそうそうあるもんじゃないから」
二号はやや冷たく言い返す。
そんな。ホントは二号だって、何かあやしいとか思ってるくせに、もう。
「何をごちゃごちゃ喋っている?」
一号がベンチの前までやってきていた。
「お。おう! 一号。日曜は色々と分かったみたいだな」
二号は、早速一号に話しかけた。
「ねえねえ。一号、あのさ」
マヒルが口を挟もうとすると、二号が慌てて遮る。
「やっぱ『サカキ・インターナショナル』とあの『サカキ』って関係あるのか?」
ちょっと、二号。なんなの?
そんな心配しなくても、別に「日曜、三号と何かあったの?」とか、聞かないし。
一号は、手にしていた缶コーヒーを開けると、一口飲んでから二号の問いに頷いた。
「まさか『サカキ』が、実在のブランドだったとは……」
二号が驚きを隠せないといった風に続ける。
「オレ、一種の都市伝説だと思ってたから」
「二号は『サカキ』を知ってたんですか?」
一号の隣に、寄り添うように立っている三号が言った。
「まあ、ホント、むかーし、入省したての頃にな。退職間際の同僚から聞いたことはあったって感じで」
「それでぇ? その伝説の便サンブランドはさぁ。何十年も前につぶれてるんでしょ? しかも、社長とかは死んでて。タイの樹脂加工業の『サカキ・インターナショナル』とホントに関係あるワケ?」
マヒルはやっと口を挟むことが出来た。
やれやれ、だった。
すると、三号が紙を取り出し、これまた、いつもにまして自慢気な声を上げた。
「『サカキ・インターナショナル』の本社社長の名前は、ミキオ・プーンタラットです」
「それが?」
マヒルが言い返すと、今度は一号が引き取った。
「『サカキ』の社長夫妻には、当時小学生の息子がいた。榊幹夫という」
そこで、二号が、ああ、と膝を打つ。
「『インターナショナル』の社長の名前が、ミキオってことだな」
「またまたぁ、ミキオって、タイ人に普通にある名前とかなんじゃないの? たまたまだったりしない? だって、苗字はプーなんとかなんでしょ?」
マヒルのコメントに二号が横から口を出してきた。
「確かタイでは、苗字はあまり重要じゃないっていうだろう、あっちで結婚でもしたのかもだし」
「えー。何よ、二号。何でそんなにタイ事情に詳しいのさぁ、ひょっとして、あんた『そういう遊び』とかにハマってるんじゃないんでしょうね?」
「なんだよ、会長。カミさんの弟が一時期バックパッカーやってたんだよ、つか、何だよ、その『そういう遊び』ってのはさ?」
「その幹夫も『深夜特急』ゴッコがこうじて、どこかに行ったきりだとかって。ね? 一号」
三号は一号を見上げながら言った。
「どっかって、どこ? そして誰が言ったのよ」
マヒルが詰め寄ると、今度は一号が答えた。
「だから、タイへ。マツモトのオヤジさんが、そう言っていた」
ああ。マツモト、松本製作所ね、はいはい。
「で、その『サカキ・インターナショナル』の社長ミキオが『サカキ』の息子だったとしてさ、何で日本の便所サンダルを買い占めるとかするのよ?」
マヒルの核心をつくこの問いは、なぜかサンダリスト達にスルーされた。
「『幹夫』イコール『ミキオ』っていう仮説によれば……バックパッカー上がりの男が、タイでは一応、工場持ってる実業家になってるってことなんだよな?」
二号が、ふと感想のように漏らした。
すると三号が応じた。
「……確かにね、商売立ち上げる位なら、タイだと割とたやすいんだろうとは思いますが。あのアマタナコン工業団地に、小さくても設備を入れられるっていうのは。特に、アマタナコンというところは、タイの公社よりも、日系の団体や何かの力関係の方が強くて出来た所のようですし……」
「じゃあじゃあ。なんかコネがあったんじゃないかってことね? ミキオには」
マヒルは思わず詰め寄った。
なになに? ちょっと。これは、ぐっと陰謀臭くなってきたじゃないのぉ?
「しかし、いつまでサンダルを買い占める気なんだろうな。三号が調べたところでは『サカキ・インターナショナル』は大した仕事の実績、ないんだろう? いくら、金額が年に数百万円レベルとか言ったって。資金とかさ」
と言って、二号はペットのお茶を飲み干す。
「ねえねえ。そういえば、前の与党のトップでさ。サラブレッドの二世議員。通商族だったさ、前ちょっと調べたら、今はタイ関係の社団法人とかの顧問とか、あちこちやったりしてるみたいだし。そういう議員の口利きがあれば、その、何とか工業団地にも入れるでしょう?」
「会長もまた、随分デカイ話ぶちあげてくるなあ。まあ、そのクラスの議員のあれこれって。大商社とのパイプで名前貸してるってパターンだよ。言っちゃなんだが、便所サンダルの買い占めごときに……」
二号が口ごもる。
「たしかに、今回の件というのは。利権がらみで動くにしては、ちょっと金額的に中途半端ではあるんですよねぇ」
三号が眼鏡を押し上げながら、甲高い声を出した。
「なによ、三号、そりゃね。あんたなんかはどうせ、金なんか十桁より上からしか見ないような仕事でしょうけどねぇ」
一号が渋い低音で、場を制した。
「ともかく、ミキオ・プーンタラットの背景を知ることが、今回の問題の核心に近づくためには遠回りなようでいて、一番の近道のようだな」
サンダリスト達は、しばらくの間、沈黙した。
佐藤さん(仮)のバグパイプの音色だけが、初冬の国会前庭園に流れている。
結局、マヒルがあてもなく口を開いた。
「で、どうしようかねえ……」
「とりあえずは、何も浮かばないな、それぞれにミキオについて心当たりをあたるくらいしか」
一号が淡々と言い放った。
「で、でも、一号、そうは言っても……」
三号が心配そうに呼びかけた。
だが、一号は涼しい顔で言った。
「いい天気だな。バグパイプにでも、耳を傾けよう」
「あれって……上手いんですかね?」
三号が漏らした。小声ながらも、甲高く、遠くまで通る声だ。
本人は気がついていないのかもしれないが、まったくもって密談向きではない。
役人としては、かなり致命的な欠点であろう。
すると、一号が、くだんの妙にニヒルな微笑を口元にたたえ、三号に言った。
「どうだろうな……三号、自分の心の声に耳を傾けるんだ」
「こころのこえ?」
「お前が上手いと思えば、上手いのさ。じゃあ」
こう言い捨てると、一号は茱萸坂の方に向って歩き去った。
そんな一号の後ろ姿を、目で追いながら三号がつぶやく。
「一号……」
マヒルは思わず、ニタリと笑った。もちろん、ニヒルとは、ほど遠い顔であった。
「三号、今、一号にグラッときてるでしょう」
「おいっ、会長」
二号が、横から鋭くささやく。
「なによ、二号。いいじゃん、いいじゃん。恋愛は自由だよね」
「いや、そう言う問題じゃなくてさ」
また、二号が小声でマヒルにささやいた。そんな二号の制止には構うことなく、マヒルは続ける。
「ねえねえ、三号、一号に気持ち伝えてみればぁ?」
この言葉に、三号はビクリと肩を震わせた。
「別に……そんなんじゃ」
そして、頬を朱に染めると「僕、庁舎戻りますからっ!」と一声叫んで、Tノ門方向へと走り去っていった。
佐藤さん(仮)のバグパイプの音が一声、啼いた。
佐藤さん(仮)の頬を伝った汗が、顎の下から、ぽとりと滴り落ちる。
二号が仏頂面でベンチから立ち上がた。
「会長さ、安直に三号をけしかけてるけどな。オレは一号には、そういう気は全然ないと思う」
二号の口調は、かなり険しかった。
「そ、そう?」
二号ったら、何怒ってるのよ、ちょっとぉ。
「あんまり三号を調子にのせるなよ、振られたら可愛そうじゃないか」
「……」
ニ号の剣幕に、マヒルは黙り込んだ。
「会長、あれかよ? いわゆる腐女子とかってヤツ? そういうのはあまり実際の人間関係に当てはめるのはどうかと思うぜ?」
二号のこの台詞に、マヒルの眉がピクーンと跳ね上がった。
「……なんですって?」
「いや、だからさ」
マヒルの発する、怒りの黒いオーラに気圧されて、今度は二号は言葉を詰まらせた。
「あんた、さっきからこっちが黙ってれば、聞き捨てならないこと言ってくれるじゃあないの。何? 三号が一号に告ったくらいで、『腐女子』狙いだと? その程度のことで、腐女子の皆様が反応するとでも思ってるの、愚かしい! 二号、あんた、腐女子の何をわかっているというの、『腐』の道と単なる同性愛を取り違えているんじゃないの?」
「え、いや……その」
「昨今安易に『腐』を語る人間が多いけどね。あの道は、深くて広いのよ。とてもじゃないけど、あたし達などには、手に負えない世界なのね。あたしは一生自らを『腐』と名のることなどないでしょうよ。恐れ多くもそんな単語を口にしたいのなら、まず、カサと傘立てとリーマンの三角関係における萌えを語れるようになってからにすべきなのよ! 二号。お謝りなさい、全国四千万人の腐女子の皆様方に。手をついて、スイマセンでしたとお謝りなさい!」
「す、スイマセンでした……」
二号はおずおずと謝った。
「……分かればいいの」
マヒルはそのままベンチから立ち上がり、ドスドスドスと憲政記念館の方へ向って歩き去っていった。