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「ところでさ、今日の定例会、何で時間変更したんだ?」
二号は、偽ミッフィーのついたキルティングバッグから、タッパーを取り出す。
「なんか、会長がどうしても早めに戻らないといけないらしくて」
三号は今日も宇宙人の好きな缶コーヒーを手にしている。
「へえ。めずらしいな。どうみたって、仕事暇な人間だろ、あの会長。それにまだ、国会も始まってないのに」
二号は、さくさくと弁当を攻略しつつ言った。
一号は今日は手ぶらで、二号と三号が座っているいつものベンチの前に立っていた。
いつもながら、背筋をぴりっと伸ばしている。
「三号、例の情報ありがとう。忙しいのに悪かったな」
一号が礼を言うと、三号は一号を見上げて「別に……そんな」と微妙に口ごもった。
ブッフォー、みゅるー。
もう、晩秋いや、初冬と言ってよいこの頃。
風は冷たさを増していた。
サンダリスト達は、一様に上着を羽織っていたが、佐藤さん(仮)だけは、あの微妙に黄ばんだTシャツ一丁、まだらのペパーミント色のジャージを穿き、汗びっしょりでバグパイプを吹いている。
そこへ、マヒルがあらわれた。
「ごめーん。本日は十五分ほど開会を早めさせてもらうよ、サンダリスト諸君」
マヒルはもこもこと、もうダウンジャケットなぞを着込んでいる。
「なんか寒いよね―」
マヒルは、ベンチにどっこらしょと腰掛け、早速にコンビニの袋からおにぎりを取り出した。
「三号からの報告は、各自、すでに目を通してるな?」
立っている一号が、すぐさま話を切り出した。
「うん、あれでしょ。問屋でサンダル買い占めてるのって、決まった会社なんだよね」
マヒルはとりあえず、昼食を食べるのに専念し、一号のしきりに、むかっ腹を立てるのは、後回しにすることにしたらしい。
「それも、タイの会社の日本法人なんですよ」
三号がすかさず補足する。
「外資の日本法人で元会社がタイって、なんか凄いめずらしいよな、逆ならありがちだけど」
二号は相変わらず蓋で弁当を半隠しにしつつ、食べ進めている。
「それって本社どこなの? バンコクとか?」
マヒルが口を挟むと、三号が何やらメモを取り出した。
「いえ、チョンブリ県アマタナコン工業団地、だそうです」
「……あっちょんぶりけん?」マヒルが思わず、両手を頬にあてた。
「会長。結構古典的だな、おい」
そんなツッコミ入れられる二号、あんたも相当、歳でしょうがと思ったが、マヒルはあえて口には出さないことにした。
「会社の名前は『サカキ・インターナショナル』か。これも、なんかタイ進出した日本企業っぽいよな」
二号は、わざわざ打ち出してきたらしい三号のメールを眺めている。
「ねえねえ。そこ、何やってる会社?」
マヒルは指に付いたご飯粒を取って口に運んだ。
「だから、樹脂加工業って。書いてあったでしょう、メールに」
三号がうっとおしそうに言い捨てる。
「だから、『じゅしかこう』ってったって、具体的に何するのよ」
「そんなこと、僕が知るわけないでしょう!」
「ていうか、そもそも三号、お前こんな私用メール、職場のアドレスから送っていいのか?」
二号が口を挟んだ。
「サカキ……」
一号が人差し指と親指を顎の下にあて、俯いてつぶやいた。
「どうかしたの、一号?」
マヒルがプリンのビニールをメリッとはがしながら尋ねる。
コーヒーにスジャータ、食後にプリン、これ基本だ。
「一号? 大丈夫ですか?」
三号が宇宙人の缶コーヒーを両手で握りしめながら、心配そうに声をかけた。
「いや、ちょっとその名前に聞き覚えが……。それに関してはこっちで調べよう。それで三号」
「はいっ」
三号はとても良いお返事だ。
しかも、眼鏡の奥の瞳がきらきらしているようにも見受けられた。
「経産に知り合いがいるとか言ってたな? JETROにも顔が利くか?」
一号の問いに三号は、「もちろん」と即答した。
「では、頼みたいことがある。それと……日曜なんだが、午後は時間空くか? 日曜も一日仕事なのか?」
一号のこの言葉に、三号はすかさず激しく首を振った。
「あ、別に一日くらい何とかなりますから、全然。昼過ぎなら、全然」
三号の返事に、一号は、シブかっこいい笑顔で頷いてみせた。
三号の頬が、そこはかとなく紅に染まる。
おや、まあ? ってなことで、ベンチのマヒルは、肘で二号の脇腹をつついいてみた。
感触からいって、二号のメタボ度は、存外低めのようだ。というか硬い。
……お? これ筋肉?
と思ったものの、マヒルは、ふと時計台目をやると、慌てて立ち上がった。
「あ、ヤバい戻らなきゃ。ごめん。じゃ。あとはメールで報せて」
そして、ゴミを入れたコンビニのビニールをしっかりと手に持って、憲政記念館の方向へと駆けだしていった。
マヒルのその走りっぷりには、サンダリスト達全員、ドスドスドス……との効果音を頭の中でつけずにはおれなかった。
別に、マヒルが肥満体であると言うわけではない。まあ、そこまで肥ってはいない。
ただ、「標準」とか「痩せ」とかではなかった。断じてなかった。
陽射しの明るさとは裏腹に、冬っぽい透明な乾いた寒さが感じられる空気の中、サンダリスト三人は、バグパイパーの横になんとなくとり残された感じになった。
「なあ、一号。お前と三号にばかり、色々やらせちまってないか? 悪いな」
二号が申し訳ながると、一号は軽く首を振った。
「家族持ちには、週末は、色々予定があるだろうからな」
……ってことは、お前さんは独りもんか? と二号は心の中でひとりごちた。
「ところで二号、三号? 二人は一体どうやって、この『サンダリスト友の会』とやらの会員になったんだ?」
「あれ、なにも聞いてないんですか、会長から?」
三号が甲高い声を、更に裏返して言った。
「ああ」
一号の方は、渋々の低音である。
二号と三号は、しばし黙り込んだ。そして、両者顔を見合わせて微笑んだ。
やがて、二号が口を開いた。
「なあ、三号、オレたちにも秘密ってもんがあってもいいよな」
「……そうですね」
三号もただちに同意した。
一号は、苦笑いを浮かべた。
「オレたちもって、何だ?」
「だって……ねえ。二号?」
三号が内緒話をする女子高生の風情で、二号に話を振った。
「一号、お前さんのこと、オレたち全然知らないぜ。何やってる? とかさ」
「会長は、一号にはKヶ関臭も立法府の匂いもしないって言ってましたけどね」
三号が口を挟む。
一号は、それは興味深いねとでもいうような表情を浮かべて、無言で二号の話の続きを促す。
だが、二号は、「……ま。いいけどな。便所サンダル以外のことは、別に詮索しないし、必要ないから」と、それ以上の追及は手控えた。
すると、また一号が口を開いた。
「Kヶ関は、まだまだ高いんだろう? 便所サンダル装着率」
「まあ。民間とくらべればな。ただ、減ってはきてる」
二号が割と真面目に答えた。
「今後は団塊世代の大量退職で、さらなる減少も予想されますしね」
三号が、ねちっと理屈を補足する。
「そうか……」
一号は低くつぶやいた。
「庁舎内だけならまだしも、通勤時にまで便所サンダル派っていうのは、Tノ門界隈でもまず見かけなくなりましたねぇ」
三号が、天下国家を憂わんばかりの口ぶりになる。
「ああ、確かに」
二号が短く同意すると、一号が重ねて尋ねた。
「いつから、便所サンダルなんだ?」
二号が軽く首をかしげて見せた。
「オレは……高校時代からかな。寮でずっとサンダルでさ。共用箇所とかあちこち出入りするし、脱ぎ履きが楽でね。水にも強いだろ? もう、いちいち色々履き替える必要ないなって、ある日気がついちまったのさ。三号、お前は?」
「僕は……正直、入省してからなんです。僕が入った頃は、まだ大蔵で。組織デカかったじゃないですか。だから、部署によって温度差はありましたねぇ。主計局系のエリート中のエリート然とした連中は、便サンなんて見向きもしませんし。計算部隊は、大体、便サンでしたね。僕の入省当時は」
「あ、大蔵でも言ってたんだ? 『便サン』」
二号がちょっと嬉しそうに声を上げた。
「役所はどこでも言うんじゃないですか? 『便サン』。オーソドックスな略ですよね」
「外務省以外はな?」
二号が言うと、三号が乾いた声で笑った。
「……で?」
一号は三号の話の続きを促した。
「まあ、僕は一応I種入省だったんですけど、最初は金融局に配属されて……地味な割には、色々面倒な部署なんですけど。まあ、住専の頃を知らないだけましって、よく先輩連中には言われましたけどね。そうなると、やっぱり便サンじゃなきゃ、やってられないわけなんですよ。最初は僕も、革靴で頑張ってました。当時の直属の上司は、主計からのドロップアウト組でしたし。分かるでしょう? すごく便サン軽蔑する感じ。かりにもお前ら木っ端役人じゃないんだから、とかって言って……」
ふと言いよどんだ三号を励ますように、二号がゆっくり頷いた。
三号は二号の頷きに応えて、話を続けた。
「その上司、課長でしたけどね。ほら、ミドルエイジ・クライシスってやつ? なんか躁鬱入ってて。もう、無茶苦茶なわけなんですよ、指示とか。夜九時過ぎてからの凶暴度は、半端なくて……。午後中かけて作った予算委員会関係資料とか。突然、『この項目、全部不要。明日までに、こっちの項目』とか。いきなりですよ? で、夜十二時時ごろ出来上がって出すと、また、言うこと変わるんです。やっぱり三年分じゃなくて五年分のデータ揃えろとか。最終的に、翌朝用意できた資料、全部お蔵入りになったりなんて、しょっちゅうでした」
「ふうん。オレも色々耳にするけど、そこまでメンヘルがヤバいヤツも珍しいな。つうか、まず、仕事止まって、問題が表面化するだろうよ?」
二号が尋ねると、三号は苦い顔で首をひねって見せた。
「それがですねぇ。最初は、上も全く気づかなかったんですよ。昔から仕事が緻密な人で。課長になってからも、決裁文書のチェックは超細かいって感じで。まあ、課長になってまで係長クラスの仕事してるんじゃないよ? あいつは、みたいな批判も、あるにはあった人なんですが。ほら、係長級としては優秀でも、課長となると、ちょっとって人、いるじゃないですか? そりゃ、本人だって色々辛いのかもしれませんけどね。まあ、ともかく。しばらくは彼、仕事やってるっぽく見えたんですよ。でもねえ……」
再び三号が言いよどむと、一号が言った。
「でも?」
すると、三号は深く頷いて続けた。
「そんな感じで無駄な残業させられてるとですねぇ。いきなり夜中、課長からリングファイルが飛んでくるんですよ。頭に。書類が鈍器クラスに詰まったヤツが」
「……それは。かなりマズいだろ?」
二号が思わず息を飲んだ。
「ええ。僕、それで大怪我しましてね。ほら、ここ、この耳の後ろをファイルの角でざっくり。派手に出血もしましたしね。それでやっと課長を病院送りに出来ましたよ」
「ああ、本人が『病院』に行きたがらなかったから、はずせなかったわけか」
二号が合点がいったように頷いた。
「最終的には部長クラスと人事課から、奥さんに脅しかけて。やっと。診断書さえ取れれば、こっちのものですからね。それでやっと休職させたんです」
「部下達全員、お疲れさんって感じだな」
二号が同情の声を上げた。
「ホント。後ちょっと休職させるのが遅かったら、僕、命なかったかもですよ。で、怪我もしたし、半分口封じで、外に出してもらえたんです、人事院の海外留学。ハーバードに」
「それはそれで。良かったんじゃないのか? 結果的には」
一号が一言、つぶやくように言った。
「そうそう、お疲れさんてことだ」
二号も明るく付け足した。
「そう。それはまあ、良かったんですけどね。僕、やっぱ、あっち(ハーバード)では便サン、履けなくて。ナイキとか履いちゃって……」
苦悩の表情を浮かべる三号の肩を、バシンと叩いて二号が言った。
「ま、気持ちはわかるわな」
「三年間、自分が自分でないような気がしてたんです」
三号が震える声でこう漏らすと、一号が静かな頷きで応じた。
「それで、帰国してからは、ずっと『これ(ナカガワ)』です。やっと、色んな意味で、自分自身を取り戻せた気がしてます」
かみしめるように三号は言った。サンダリスト達の間に、再び沈黙が流れた。
「便サンは……なくせないよな。絶対」
口を開いたのは二号だったが、皆同じ気持ちにちがいなかった。
三号は、力強く頷いてから言った。
「一体、今、何が起こっているのか……でも、この陰謀は、阻止しないといけませんね」