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マヒルの部屋の六畳間の天袋の中には、捨てるために目にするのすら避けたいような物と、もったいなくて捨てる踏ん切り付かないけれど、もう二度は使わない物が押し込んである。
前者は、一回使っただけで、ヒースローでぶっ壊された旅行かばんとか。ウエディングドレスを着たこっけいな自分の写真とかだ。後者の代表は、ウエディングドレスを着たときにつけていた不可思議な下着の類であった。
……そのどちらでもないけれど。
水色の便所サンダルは、そこにしまってあった。
押入れの中段に足を引っ掛けて、天袋の奥から、手探りで引っ張り出す。同時に裁縫道具箱まで落っこちてきて、あたり一面に古ボタンがぶちまけられる。
水色のサンダルは、買ったときにオジサンが入れてくれた銀色のビニールに入ったままだった。
値札も剥がさないままで。
しまいっぱなしだったから癒着したり、歪んだりしていないか心配だったけど……。
取り出してみれば、買ったときのまま、キレイなものだった。
すこしためらってから、足を入れてみる。
……一号の言っていた「便所サンダルのクリティカル・ポイントは、フィット感」という言葉が、自然と思い出される。
店で見たときには、劣化した樹脂製の滑り台みたいと思ったけど、いざ足を入れると、ぴったりと足裏に吸い付き、甲の部分はくるみこまれるようだった。
ああ、そうか。
便所サンダルにずっと感じていたトキメキは、このフィット感に対するものだったのかもしれない……。
しかし、それもつかの間。早速、履いていた水色のサンダルをつぶさに調べ始めた。
……あった!
かかとのところに、はっきりと。
Made In Japanの文字が。
ほっと一安心なんだけど。
はたしてこのサンダル。
『マツモト』なのか、それとも『ナカガワ』なのか……。
靴裏の部分にMというサイズ標記と、○に中の文字。
ナ、ナカガワって、こと? それとも、全く関係ないのかも……。
かといって、サンダリストたちに聞くのも癪だし。
いやいや。それだけは、ぜったいイヤだぁ。
大体さ、松本製作所も(有)ナカガワも、このご時勢、自社ウェブサイトのひとつも作ってない!
GoogleでもYahoo!でも、価格.comでも。
百度まで調べたというのに、名前すら引っかかってこない。
わざわざ、隣の国会図書館にまで見に行った『帝国データバンク会社年鑑』にも、『東商信用録』にもない。
かろうじて、(有)ナカガワは、最新版『タウンページ』の「大田区、履物製造・卸」の欄で、その存在が確かめられたけど。松本製作所に至っては、書庫の中の電電公社時代の電話帳を見せてもらって、初めて名前が出てくる始末……。
番号なんか、〇三の次が三桁だよ、三桁。
こんなんじゃ、その工場の存在自体も危ぶまれるじゃないですか?
とりあえず、番号の頭に三足して、電話かけてみたら、おばさんが「もしもし、松本製作所でございます」って出たから。一応、存在はしているのね。
……でもさ。
なんか、実は便所サンダルの未来って、もしかして想像以上に暗いんじゃない?
押し入れの脇に便所座りをしたマヒルは、両手に水色の便所サンダルを手にしたまま、しばしの間、便所サンダルの将来を憂うのであった。