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隣の席の女の子は、私にだけ意地悪で、独特な仕草に気持ちを隠して、愛情を示している。

作者: Jose
掲載日:2026/06/11

「くそ、英語の教科書どこやったっけ?」


 ん? おかしいな。昨日宿題で使ったあと、自分の机に置きっぱなしにしたはずなんだけど。


 時計を見ると、次の授業開始まであと二分。隣のクラスまで行って友達に借りるには時間が足りない。……仕方ない。


「あの、美咲。悪いんだけど、教科書見せてくれない?」


 少し気まずい思いをしながら、隣の席の彼女に声をかけた。すると、僕の隣の席の彼女は、これ見よがしに大げさな溜息をつき、信じられないものを見るような目で僕を振り返った。


「……はぁ? また忘れたの?」


 呆れと苛立ちを混ぜ合わせたような表情で、彼女――星野美咲はそう言った。「サキ」という愛称で呼ぶようクラスメイトに強要している、色白でクラスでも一際目を引く美人だ。


「あー、たぶん昨日宿題やった後に家に置いてきたっぽい。ごめん、机くっつけてもいい?」


「……もう、仕方ないわね」


「ありがとう」


 手早く机を寄せ合う。彼女はそっけなく振る舞っているけれど、その瞳の奥には悪戯っぽい光が宿っていて、この「不機嫌」が彼女なりの演技であることを僕は知っている。


「本当に、あんたってどうしてこうも忘れ物が多いの? 今月何度目よ?」


「いや、気をつけてはいるんだけど……」


「本当に気をつけてたら、そんなに忘れないでしょ」


「仕方ないだろ。うっかりしちゃうんだから」


「うっかりじゃ済まないわよ」


「ひどいな!」


 毒づきながらわざとらしく溜息をつくと、美咲は前を向き、僕たちにしか分からない合図で悪戯っぽく指先を動かした。


「え? 何?」


「別に? 『この人、本当にバカね』って言っただけ」

「そのジェスチャーやめろよ!」


 僕の抗議に、美咲は誰にも見せないような意地悪な笑みを浮かべた。ちょうどその時、チャイムが鳴り、英語教師が入ってきた。


「起立、礼!」

「「お願いします!」」


 授業が始まり、僕たちは黒板に向き直る……フリをして、僕はチラリと横目で美咲の様子をうかがった。すると――


(うわ、めっちゃニヤニヤしてる。口元が緩みきってるぞ)


 不思議なことに、彼女の仕草は手に取るように分かる。彼女の体全体が『言っちゃった、言っちゃった、へへへ♪』と叫んでいるようだった。口では「この人バカね」と言いつつ、表情は『でも、そういうところも嫌いじゃないわ』と語っている。


 そう、僕は彼女の感情を読み解くエキスパート、黒木蓮二だ。


 彼女をずっと観察し続けたせいで、微細な表情の変化が本を読むみたいに分かるようになった。知らぬ存ぜぬを装う演技力も、かなりのものだ。


 彼女は、僕がそこまで彼女を理解しているとは露ほども思っていない。


(あ、ヤバい、ニヤけてるのがバレる……うぷっ)


 視線を感じて慌ててノートに目を落とす。彼女はきっと『全然気づいてない。こんなにサイン送ってるのに鈍感ね。へへへ♪』と思っているはずだ。でも、全部お見通しなんだよ。


 この奇妙な交流は、入学から三ヶ月後に始まった。完璧主義が災いしてクラスに馴染めなかった彼女を、僕はさりげなくサポートした。「サキ」というあだ名を提案したのも僕だ。それ以来、彼女は僕のドジをフォローする立場になった。


 しかし三ヶ月前、彼女は急に、演技を通じて好意を伝えてくるようになった。僕にしか分からない表情やジェスチャーの中に、愛の言葉を隠して。


「……じゃあ、次はここ。ねえ、蓮二、聞いてる?」


 やべ、集中してなかった。勘で答えるしかない。


「えっと……4番、の意見についてかな?」


「いいえ。……サキ、どう思う?」


「はい。たぶん2番の『話す』だと思います」


「その通り。蓮二、女の子の隣に座って浮ついてないで、ちゃんと授業に集中しなさい」


 クラス中から笑いが起こり、僕は肩をすくめる。美咲はすまし顔で、僕との間に少しだけ距離を置いた。


「……何? そんなに見てて」


「見てないよ」


「……ねえ、ちょっと離れてくれる? スペースがないんだけど」


「何もしようとしてないだろ!」


「授業中よ、静かにして」


「はいはい、わかってるよ!」


 教師の鋭い視線に、僕はすぐに口をつぐんだ。


(僕のこと、好きなのか? 本当に?)


 そう確信しても、彼女は平然とした顔で座り直す。『そんな風に見えるけど』なんて、普通の答えじゃない。その勝ち誇ったような笑みもやめろ! 全部お見通しだからな、美咲!


 心の中で叫びながら、僕はポーカーフェイスを貫く。


 その後も授業は張り詰めた静寂の中で進んだ。肘と肘が触れ合う距離なのに、よそよそしいフリをしている。でも、もちろん何もないわけがない。


(何してるの? おい、何書いてるんだ?)


 教科書を見るフリをして覗き込むと、彼女のノートの隅に僕の似顔絵が描かれていた。特徴を妙に正確に捉えているけれど、鼻がおかしかったり、最高に間抜けな顔に描かれている。明らかにからかっている。


 僕がその悪意ある落書きを見つめていると、彼女と目が合った。美咲は挑発するように「フン」と鼻を鳴らす。そして、絵の周りに矢印を描き、怒ったような勢いで何かを書き込んだ。


 一見すると「バカ」「間抜け」といった罵倒を書き込んでいるように見えるが、よく見るとそれは驚くほど愛に溢れていた。落書きの隙間に『好き』とか『かっこいい』という文字が混ざっていたからだ。


 本当に気づかないとでも思ってるのか? そんなギリギリの駆け引きをして、何が楽しいんだ? 『かっこいい』なんて、今まで誰にも言われたことがないのに! 目が腐ってるのか?


「ねえ、蓮二。私の話、聞いてる?」


「え? あ、うん」


「じゃあ、10番答えて」


「えっと……」


 教師の声に驚いて前を向く。隣で美咲が、すまし顔を維持しながら肩を震わせて笑っている。


(この子……一体何様だよ)


「えっと……3番?」


「間違い」


「うそだろ? なんで?」


「……ぷっ」


「笑うなよ! 可愛いから許すけど、調子に乗るなよ!」


 教師に怒られている間も、美咲は笑いをこらえるのに必死だった。


 僕は心の中で全力で叫んでいた。この日常が、この視線と秘密のゲームが、ずっと続くのだと信じていた。


 この滑稽で居心地のいい均衡が、せめて卒業までは続くと思っていた。


 ……けれど、冬休みが終わって三学期が始まったとき、彼女はもう、この街にはいなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あら? レイナじゃない。帰省してたの?」


「あ、こんにちは。はい、少し用事があって」


「まあ、嬉しいわ。帰る前に寄っていきなさいよ。うちの子がいつもあなたのこと話してるのよ」


「はい、頑張ります。また近いうちに」


 かつての知り合いの母親に偶然出会い、そんな会話をして帰路につく。去年の暮れ、父の転勤で、海沿いの遠い街へ引っ越すことになった。


 あまりに突然のことで、一番伝えたかった人にだけ、挨拶ができなかった。


 外見ばかりが注目される私を、ただの「レイナ」として、対等に接してくれた蓮二。私の初恋の人。皮肉なことに、連絡先すら交換していなかった。


 でも、それで良かったのかもしれない。会ったところで、なんて言えばいいか分からなかったはずだ。この街に戻ってくるかも分からないのに。……まあ、想いは何度も伝えてきたけれど。


 彼は気づいていなかっただろうけれど、私は彼が分からないと知った上で、ずっと好きだと伝えていた。あれが良かったのか悪かったのか、今となっては分からない。


「……さむい」


 冬は冷える。でも、胸を突き抜ける風の冷たさは、それとは別の理由だ。


「……会いたいな」


 冷たい夕闇に言葉が溶けていく。誰にも聞かれていないと思っていたのに。


「おっ! なんて素敵な街なんだ! おお、このあたりは洒落てるじゃないか!」


 毛皮のコートを着たマフィアのような老人が、やけに大きな声で独り言を言っている。


「……何? あの変な人」


「ああもう、おじいちゃん、恥ずかしいからやめてよ! あの……すみません、ちょっと探している人がいて。この人、知りませんか?」


「え……なんで……どうしてここに?」


 男の子がスマホから顔を上げ、私と視線が完全に重なった。


「「あっ」」


 同時に声が出た。次の瞬間、彼は「いた!」と叫び、信じられない速さで駆け寄ってきた。私はただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。


「はぁ、はぁ……やっと見つけた」


「え、息……切れてる?」


「なんで……なんでここにいるの?」


「なんでって、会いに来たんだよ。決まってるだろ」


「え……でも、どうやって場所を?」


「当たり前だろ。数ヶ月前に見せてくれた写真の風景、全部覚えてたんだから。聞き込みしてやっと辿り着いたよ」


 意外な言葉に、蓮二は恥ずかしそうに視線を逸らした。


「ま、俺は忘れ物ばっかりだけど……好きな子がくれた情報は、絶対に忘れないから」


 不意打ちの言葉に、頭が真っ白になった。胸の奥から熱い喜びが溢れ出す。


「れ、蓮二、あんた……」


「え?」


「……何?」


「さっきの……蓮二、もしかして……最初から、分かってたの?」


 混乱する私に、蓮二は困ったような笑みを浮かべた。


「ごめん。実は、全部気づいてたんだ。君のサイン、全部」


「え……いつから……?」


「いつからって……最初から?」


「はあぁぁ!?!?」


「あ、あんた……バカ……」


「バカ?」


「バッ……カァァ!!!」


 全力で叫んで、走り出した。角に隠れて、頭を抱える。


「あぁぁぁ!!!」


(知ってたんだ。全部……全部聞かれてたんだ!)


「あぁぁ、恥ずかしい! 死ぬっ!」


「おい、大丈夫か?」


 振り向くと、蓮二が面白そうにニヤニヤしながらこっちを見ていた。その顔を見たら、また顔が火照った。


「で、えっと……返事、ほしいんだけど……」


「……返事?」


「ああ。さっきの、告白のつもりだったからさ……」


 頬をかきながら照れる彼をじっと見て、私はいつものように叫んだ。


「……バカ!」


 そして。


「……好き!」


 蓮二がニヒルに笑って、答えた。


「知ってる」

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
海外の方でここまで書けるのは驚きました。 二人のそれぞれの視点で描かれる短編。 甘酸っぱさとキラキラが溢れていてとても良かったです。
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