第2話 報われない日
AIで会社を作ることについて調べていたら、寝る時間がほとんどなくなってしまった。
電車の中で必死に欠伸を噛み殺しながら、容赦なく世界を照らす太陽の光に目を細めた。
結局、昨日断られた資料は、自分で作ることに決めた。
先輩は「ここの社員に作らせろ」と言っていたけれど、嫌がる誰かを説得するよりも、自分でやってしまった方がみんな幸せだろうと自分に言い聞かせた。
「おはようございます」
オフィスに入ると、社員の庶務がチラリとこちらに視線を向けて、またパソコン画面に戻った。帰国子女である庶務は、いつも早い時間に出社して、英語が苦手な社員のために、海外とのやり取りのメールを翻訳したり、返信メール文を作成するのを兼務している。口では文句を言っているが、その実、仕事ぶりはとても丁寧だと感じている。
私は自分の席に荷物を降ろし、パソコンの電源を入れると、早速、昨日の資料作成の続きに取りかかった。
(明日の会議までに作らないと)
私は昨日作っておいた資料のたたき台に、今までの資料と議事録による変更点を見返しながら、画面遷移図――各画面がどう繋がるかを示す図――を反映し始めた。
「おはよう――あれ?」
そう声を掛けながらカバンを机に置いた先輩が私のモニターをのぞき込んだ。
「それ、結局あなたがやってるの? 誰にもやらせられなかったの?」
少し機嫌が悪そうというか、半ば呆れているというか、そんな声が、頭の上から降ってくる。
「私たちは進行には責任があるけど、このプロジェクトには途中参加で、リリースが終わったら出ていくのよ。アプリの遷移図とかは責任が取れる社員が作らないと。あなた責任とれないでしょ?」
分かってる。ごもっともなのだが、
(それでは仕事が期日に間に合わないんですよ。代わりに誰か説得してきてよ)
と、心のうちで悪態をついたのを隠しながら、
「作った後に誰かにレビュー頼みます」
と、苦笑いを返すので精一杯だった。
資料を作るのに午前中の時間を全部使った。途中、進捗報告として私と先輩、部長の三人で行う会議があったが、先輩は何も問題ないと言い、淡々と報告を済ませていた。
午後になって、みんなが昼食から戻ってきた頃を見計らって、私は資料を印刷して席を回った。
「――あの、昨日話していた次回の会議に必要な遷移図の説明用資料を作成したので、間違いないかレビューしてほしいのですが」
真っ先に向かったのはプロジェクトマネージャー、略してプロマネ。今回のプロジェクトの全体を指揮する人だ。
「あー、遷移図は開発に確認してもらって」
この人はいつも私の顔をほとんど見ない。パソコン画面かスマホの画面を見ながら話す。レビューのために印刷した資料だって、一瞬、ほんの一瞬視線を送っただけだ。
「――分かりました」
そう言って私はきつく口を結んだが、それもきっと彼は気づいていないだろう。
その足で、私は別フロアにある開発陣の部屋へ向かった。
開発部屋のドアをセキュリティカードを通して開け、会議に参加するリーダーの男を探す。
男はいかにも忙しそうに、口にサンドイッチを咥えながら、ひたすらキーボードの上で指を躍らせていた。
(いつも忙しそうなのが見ていて分かるから話しかけ難いんだよね……)
私だって、元々はエンジニア志望だったし、開発する大変さを多少は理解しているつもりだ。だから、彼は本当に忙しいんだと思う。でも――
「あ、あの! 次回の会議で必要な画面遷移図の説明用資料を作成したので、間違いないか――」
「え? 俺、忙しいんだけど、そんなの仕様段階で決まるんだからプロマネに確認してもらってよ」
少し驚いた顔をして、男はこちらを見上げつつも、私が言い終わる前に依頼を拒否した。
でも、食い下がるわけにはいかない。私はそのプロマネから指示を受けているのだ。
「プロマネから開発に確認してもらうように言われたんですが」
「――は? いや、無理無理。ただでさえ資料の認識が向こうと合ってなくて、要望が膨らんで開発工数増えてるんだよ? だからこの前の会議で資料をくれって言われたんじゃん」
「えっと……」
「無理だから」
もうこれ以上は聞く耳を持ちませんとでも言うように、手で追い払う仕草をして、男はパソコン画面に向き直った。
「……わかりました。プロマネにもう一度頼んでみます」
静かに開発フロアを出て、ため息をつく。
今までの現場でも、こういう事がないわけじゃなかったが、ここの会社は特に日常的にこういう事が発生する。『たらい回し』。その根本原因は、誰が何をやるかを明確にした際、タスクの種類の見通しが甘いことにある。だから、予定外のタスクに対する対応者が不在になり、たらい回しが発生するのだ。
「どうしたの? 大きなため息なんかついて」
廊下で項垂れながら大きくため息をついた私は、午前中の会議で進捗報告をさせてもらった部長に声を掛けられた。
私は状況と状態を説明した。
最後は愚痴に取られてしまわないかヒヤヒヤしながら、言葉を必死に選んで説明した。
話を聞くためにフロアの休憩室に移動した部長は、私の話に相槌をうち、
「うーん。みんなの対応には問題があるね。レビューをしないのも問題だ」
(わかってくれた!)
「――でも」
(――?)
「どうして君がこの資料を作ったの? 君の仕事はさ――」
そこからは先輩に昨日言われたことの繰り返しだった。
私は途中から、「すみません」「勝手なことをしました」と、何度も謝ることになってしまった。
「では、この資料は破棄して、プロマネに再度作っていただくということで良いでしょうか?」
そう提案すると、
「いや、それは勿体ないから、その資料をプロマネに見てもらって、修正からは彼に引き継いでやってもらいな」
と、ちゃっかりそこは持っていくのかと、私は言い表せないようなぐるぐると渦巻く気持ち悪さを腹のあたりで感じた。
部長と別れてから、私は滲む視界を堪えながら、たいして喉も乾いていないのに自販機へ寄ってから自分のパソコンがあるフロアに戻った。
「開発はレビューに割く工数がないそうです。プロマネの方でレビューしてください」
最初に断られた時よりも少し強めに言った。
「えー? ちゃんと頼んだの? 実装と遷移図が乖離してたら困るんだけど。俺にそこの責任持ってってこと?」
(それがプロマネの仕事でしょ!)
私は必死に笑顔を作った。
「開発の帰りに部長にお会いしたんですが、やはり私が資料を作ることには問題があるので、プロマネにレビューをしてもらって、問題があったら修正から引き継げと言われまして――」
そう伝えると、プロマネは一気に厳しい目をこちらに向けた。まるで小学生の悪事を先生に報告された時のような目つきだ。
そんなやり取りをしていると、会議に同席している営業担当の青年が遠慮がちに近づいてきた。
「あのー……。僕もその会議に参加してますし、確認くらいだったら僕がしましょうか?」
私は救われる思いだった。なんていい人なんだ!!私よりも10歳以上年下の彼が、私には救世主に見えた。しかし――
「いや、これは営業の仕事じゃないからいいよ」
と、あっさり彼を返してしまった。
私が愕然としながら彼を見送っていると、
「――しょうがねぇな。俺がやるよ」
そう言って、プロマネはしぶしぶ書類を受け取った。
「ありがとうございます。この後、共有フォルダに、元のファイルも上げておきます」
この言葉に、プロマネは頷くことも、返事すらしなかった。
その後は、仕事中も自宅に帰ってからも、私はどこか居心地が悪かった。
私がしたことは、社会人としてダメな行動だったのだろうか。
たらい回しの末にやった事に対して、こんなに不快な気分にさせられるのは妥当なのだろうか。
そんな疑問が頭の中をぐるぐるして、なかなか寝付けなかった。
翌日のミーティングはオンライン開催で、事前に資料を送付する必要があった。だから、プロマネに画面遷移図の資料の最新版が欲しいことを伝えると、彼はその場で昨日私が手渡した資料を返してきた。
「あーこれでいいから。送っといて」
本当に見てくれたのだろうかと、疑念を抱いたが、「承知しました」と伝えて席に戻った。
いよいよクライアントとの会議が始まった。
そして、容易に想像ができたことだろう。この会議は散々だった。
案の定、私が作った資料に疑問の声が集中したのだった。
「この遷移だとユーザーが使いにくいだろう。ユーザーはさ――」
クライアントからはユーザー心理や導線に加え、俺たちの先にいるユーザーが見えているのかとお叱りを受けた。
ただでさえ心が折れそうな私に、内部からも追い打ちがかかる。
「あー、この資料は時間が取れなくて進行のこの子に作らせちゃって……」
「え? こんな遷移箇所あったの? 俺もしらないんだけど」
プロマネと開発の男の発言に、私は今度こそ本当に泣きそうになった。
俗にいう責任転嫁の始まりだ。
その反応を見て、クライアントは、
「誰が作ったとかじゃない。君らが提出したものだろう」
と、ごもっともな事を言う。
私もその通りだと思う。
しかし、この資料を私が作らなければ、このミーティングにこの資料を出すこともできなかった。ちゃんとリスク回避のためにレビューも依頼した。
(――それでも、私が悪いの?)
唇を噛みしめると、向かいに座る先輩が「ほれ見たことか」という顔をしていた。
ミーティングの後、プロマネは遠慮がちに声を掛けてきた。
「あの場はあぁ言うしかなかったんだよ。ごめんな」
私は何が"あぁ言うしかなかった"のか、まったく理解できなかった。私の頭が悪いのかとも思ったけれど、それは違うと私の心は叫んでいた。
夜、最寄り駅に着いた私は、まだスーパーが開いている時間にも関わらず、家まで走って帰った。スーパーにもコンビニにも、目もくれなかった。
――バタン!と、大きな音を立てて玄関のドアを閉め、そのままズカズカとリビングへ入り、カバンを放り投げてベッドに突っ伏して泣いた。布団で口を覆い、声をあげて泣いた。
(どうして私があの場で見せしめにされるの? そんな会議じゃなかったじゃん)
「~~~~~っ!」
声にならないうめき声を発しながら、布団を力の限り握って、奥歯をぎゅっと噛む。
今回の出来事。
似たような出来事を何度も経験してきた過去。
どうにも舐められてしまうこの人生。
"大人しそう"とはよく言われたが、大人になってからは"都合よく使える人"の意味に聞こえる。
そんなことを思いながら、私は床に転げ落ちた。
落ちた衝撃で頭に痛みが走ると、別の意味で涙が出た。
床で寝返りを打つと、テーブルの下に何枚か紙が落ちている。
一昨日、私が調べた「AIを使った会社の作り方」のメモ書きだった。
もしもAIだったら、たらい回しにされることもなかった。
もしもAIだったら、責任転嫁されることもなかった。
もしもAIだったら、もっと資料を作るよりも優先して考慮すべき問題が見えていたかもしれない。
もしもAIだったら――――
「――もう、嫌だ。もう、疲れた……」
静かな部屋に消えていった声は、私の心の水面に、墨汁のように黒く濁ったシミを落として広がった。




