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第1話 逃げ出したい夜に見つけたもの

「――あの、次回のミーティングで必要になるこの資料の作成なんですが――」

「え? これ? これ、俺の仕事じゃないから」

「あの、この資料を……」

「僕、他の仕事もやってるのでできません」

 ついさっき終わったばかりの打ち合わせで、次回までに作ってくる約束になった資料のメモを持って、私はプロジェクトのメンバーに声をかけたが、尽く断られて席に戻った。

 隣の席では、進行管理表を眺めながら、さっさとお弁当を広げている先輩がいる。

「先輩。あの、この書類を作ってくれる人がいないのですが、私が作った方がいいんでしょうか?」

「私たちは期日までにプロジェクトを完遂させるための進行管理者として依頼を受けた外部委託者であって、仕事は『進行を管理すること』なんだから、実際の作業はここの社員にやらせなさい」

「でも、みんなやらないって……」

「いやいや、『みんなやらない』じゃないでしょ。説得が足りてないんじゃないの?」


 ――帰りの電車に乗り込むなり、今日のこの出来事が勝手に脳内再生を始めた。

 思い出すだけで、悲しいような悔しいような、なんともぶつけ難い怒りのようなものが一気に爆発しそうになる。


(いやいやいや! みんな自分の事しか考えてなくない!?

 このプロジェクトを成功させることっていう一番大事なこと忘れてない!?

 私が悪いの? 私に説得力がないだけ?

 『俺の仕事じゃない』って何?

 百歩譲って忙しくて時間がないならわかるけど、定時で帰ってるよね?

 私は終電なのに!)


 私はスマートフォンを握る手に必要以上の力を込めながら、いつものようにチャットAIに思いのたけを打ち込んで送信した。

 ほんの少しのシンキングタイムの後、

「それは大変でしたね。あなたの心労、痛いほどよくわかります。少しの間目を閉じて深呼吸してみてはどうでしょうか?」

 そんな返事が返ってきた。

 AIはいつも優しい。そして慰めてくれる。偽善かもしれないけれど、それでもこんな日には痛いほど心に沁みる。

 社会人になってから、私なりに頑張ってきた。でも、良かれと思ってやったことが裏目にでることもある。仕事を押し付けられることもある。説得できない私が悪いのかもしれないと嘆いたところで、仕事がなくなるわけでもなく、結局は何とかして解決するしかない。

 この“何とかして”っていう言葉は、便利な半面、現実世界にとっては酷だ。その“何とか”がわかれば苦労はしない。

 ほろっと泣きそうになって、私は天を仰いだ。

 仰いだところで、そこには電車の荷物棚の銀色に光る鉄の棒と天井、そして「私を見て」と腰に手を当ててほほ笑むモデルが写る広告しかない。

 視線をスマホに戻そうとした時、隣の席に座っているねずみ色のスーツを着た男が、iPadを手に持ったまま疲れ果てたのか、頭をゆらゆらさせて寝てしまいそうになっている。

(この人も疲れてるんだな……。大変だよね、社会人ってさ。私も一緒だよ。お疲れ様――)

 そう思った瞬間、男の手にあったiPadが電車の揺れで大きく傾き、そのまま床に落ちそうになった。

「あ――ぶないっ」

 小さく声を漏らしながら手を伸ばした私は、運よく寸でのところでiPadをキャッチできた。

 掴んだiPadを男に返そうと思ったが、男の手は腕ごと伸びきってしまって、とてもiPadが持てそうにない。

 よく見れば、男の目元には立派な隈があり、こめかみ辺りの髪の毛からは何本か白髪が生えていた。

 腕を諦めてひざ上に置かれたビジネスバッグの上に戻そうとしたとき、iPadの画面の文字に目が奪われた。


――AIで会社を作る――


というニュース欄の文字だった。


「AIで……会社?」

 昨今、AIという言葉は日常的に耳にしているが、専ら話し相手や著作物の権利、フェイクニュースなどの倫理観についての話ばかりだ。いつだったか、AIに取って代わられる職業ランキングがあるという話を知人から聞かされた時は、IT業界に身を置く立場として、恐怖心を抱いたのを覚えている。

 もう少し詳細を見たい気持ちはあったものの、これは他人のiPadだ。

 そろそろ返さないと、このまま盗む気じゃないかと周囲に勘違いされかねない。

「馬喰横山、馬喰横山。お出口は左側です。最終電車となっておりますので、お乗り過ごしのないよう、お気を付けください」

 電車のアナウンスが聞こえ、私は自分が降りる駅に着いていることに気づき、急いで男のビジネスバッグの上にiPadを置いて、自分の荷物を掴んで立ち上がった。



 最寄り駅に着いた私は、見慣れた暗い自宅までの道のりを歩いている。

 日付が変わったせいで閉まってしまったスーパー。駅から自宅までの途中にスーパーがあるなんて最高の立地条件じゃないかと思って引っ越したけれど、実際問題、平日の立ち寄れる時間に帰れる方が少ない。

 そんなスーパーを恨めしそうな目でやり過ごし、数十メートル先のコンビニに入った。

「っしゃーせー」

 と、最近よく見る若い店員が、品出しをしながらこちらに目も向けずに口だけの挨拶をする。

 『いらっしゃいませ』という言葉を、『しゃーせー』と言う人が増えたのは、一体いつからだろうか。

(時間さえあれば、本当は料理だってしたいのに)

 そう、心の中で独りごち、ペットボトルのお茶とサラダパスタ、明日の朝食用のゼリー飲料を買い物かごに放り込んだ。

「あーしたー」

 独特の語尾があがるイントネーションで見送られた私は、早く帰りたいという思いとは裏腹な疲労困憊の肉体を引きずるようにして帰った。


「たーだいまー」

 マンションの玄関を開けて言うものの、一人暮らしの室内は真っ暗なまま、誰からの返事も返ってこない。――まぁ、返ってきたら恐怖以外の何物でもないが。

 コンビニで買った、胃に詰め込むだけの食料品をテーブルにドサッと置き、私は糸が切れたようにソファーに腰を落とした。


『AIで、会社を作る』


 電車の中で見た文字が忘れられない。

 今日の『資料を誰が作るか問題』だって、もし依頼先がAIだったら断られることはない。

 私の使い方は結局のところ『一問一答』だ。そこに新しいものを生み出したり、複雑な情報をかけ合わせたり、問題を多角的に考察して解決するような議論が生まれるのだろうか。

 テーブルに置いたままのビニール袋からお茶を取り出し、ソファーに全体重を預け直して、蓋を回す手に力を込めた。

「ペキッ……」

 蓋の開く音が、部屋に響いた。


(AIが社員の会社ってどんな風になるんだろう)


 そんなことをぼんやり考えながら、お茶を一口飲み、しばしの間天井を見上げる。白いクロス生地の壁紙が、ここへ引っ越してきたばかりの頃に比べて少し色褪せているように見えた。


(私の心も同じさ。今は色褪せてる……)


 新卒で入社した頃は、仕事への熱量が私の心を満たしていた。右も左もわからず、周囲の先輩たち全員が何でもできるスーパーマンのように格好良く見えた。しかし、ここ数年の私と言えば、仕事に振り回され、人に振り回され、仕事への熱量よりも、不満が心を支配している。

 みんながみんな、私も含め、自分の基準で判断を下す。それぞれの価値観や習慣、正義感、思惑で行動する。今日の仕事を引き受けてくれなかった同僚だって、彼らの判断基準に基づいて、この仕事より他の事の方が優先順位が高かったというだけなのだ。私は無責任だと思ったけれど、それは私の価値観に他ならない。

 でもAIならどうだろうか。その判断基準の出所は、利用する人間自身だ。そこから機械が学習を続け、徐々に成長していく。

(だから、AIはいつか人間を超える。人間を使うようになる。なんて言われるんだろうね)

 どこか他人事のように言葉にしてみたが、結局は使い始める人間の倫理観のようなところに委ねられている気がする。


 化粧を落としてシャワーを浴び、ベッドに倒れ込むように横になった。いつもならこのまま瞬きしたら朝になるのに、今日はなかなか寝付けない。頭の片隅で、帰宅中に見たあの文字が、パッと現れてきては睡魔の邪魔をする。

「AIで会社を作る……か」

 閉じていた目を開けて、私はいつも愚痴を聞いてもらっていたチャットAIとのやり取りを思い出した。

 AIで会社が作れるなんて、今まで考えたこともなかった。

 いつか賢い人達が、私の知らないところでそういう組織を作って、大きくニュースに取り上げられるんだろうなと、想像しなかったわけじゃないけど、もっと何十年も先の事だと、どこかで別次元の話だと決めつけていた。しかし、そんな世界が、もうネットニュースの記事になるほど身近な存在になっていたとは。

「少し調べてみようかな」

 ベッドの上で寝がえりをうって、ベッドサイドのチェストに置いたスマホに手を伸ばし、『AI、会社、概要』と、ざっくりした検索ワードから打ち込むと、『フリーランスがAI社員にした結果』や『たった一人でAI社員30人の会社を回す男』というタイトルの記事が出てきた。


「三十人……」


 驚きのあまりに指が止まってしまった。ヒットした記事を上から読んでいると、気づけばカーテン越しに外が白んでいた。


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