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愛の氷獄  作者: cian
6/12

悪意と献身

 結婚後、日名子はほとんど強引に仕事を辞めさせられ、秀史の実家に移り住む事になった。

 都内ではなかなか見られない屋敷の大きさに戸惑い、尻込みする日名子を、秀史は「慣れてもらわなければ困る」と一言で切り捨てる。反論したい事はあったけれど、最近の秀史はとても忙しく、余計な口論で気を煩わせる事が嫌で言葉を飲み込んだ。言葉の通り、自分が慣れればいいだけの話だ。

 心の底から慣れる事はできないだろうが、慣れているふりくらいは自分にでもできるにちがいない。

 しかし、そんな日名子の決意も姑である曜子の前では役に立たなかった。


「最初に言っておきますが、私は貴女を三笠の嫁とは認めません。お腹の中の子はDNA鑑定を受けてもらいますから」


 秀史がいない平日。日名子は曜子にそうはっきり告げられた。

「そんな…」

「反論は許しません。まったく…あの子には同じ階級の相応しい御令嬢と結婚してもらおうと思っていたのに。よりにもよって貴女のような片親の私生児を遊び相手に選び失敗するなんて」

 心底汚らわしいといった様子で、曜子は日名子と目も合わさない。

 『失敗』と。そう断定された事が心の傷に刃を突き立てる。それだけじゃない。『片親の私生児』。その台詞も深く日名子を傷つけた。

「確かに戸籍上は私生児かもしれません…。でも、婚約期間中に父が死んだからそうなっただけで…私は……」

 日名子が高校生の時に亡くなった母は、日名子にいつも片親である事を詫びながら、それでも『貴女はお母さんとお父さんに愛されて生まれてきた子なのよ』と告げてくれた。そんな母の愛を真っ向から否定する言葉に日名子はふつふつと怒りが湧いてくる。

 それも曜子には気に食わなかったようだ。

「なんなんです、その反抗的な目は。まったく、育ちが知れるというものです」

 ツンと顔を背けて、それから当然の事のように言われた。

「万が一、お腹の子が秀史の子であると証明されたら、子供は私が育てます。貴女を母親とも思わないようにしてあげなければいけませんね」

「な……っ!」

 秀史に責任のための結婚を申し込まれた時、これ以上の絶望はないと思った。けれど、その曜子の言葉はその時の絶望すらあっさりと凌駕する。

 何より大事に、愛おしく思う我が子を自分の手で育てられない。

 我が子に母親と認めてすらもらえない。そして曜子はそれが当然の事だと思っている。

「そんな…」

 顔色を失くして座りこむ日名子を歯牙にもかけず、言うべき事は言ったと、曜子は踵を返した。


 その夜、あまりの不安に日名子は返ってきた秀史にさりげなく願った。

「秀史さん。この子と三人で、どこか小さな家で過ごす事はできないかしら」

「何を言っているんだ、いきなり」

 寝耳に水、というように秀史は眉を顰める。

「ここは私が生まれ育った屋敷だし、我が子にはできれば同じここで育ってほしい。母さんは今から孫の教育をするんだと張り切っている。君はそんなささやかな希望を打ち砕くのか?」

「それは…」

 日名子は俯いて唇を噛む。曜子に具体的に何を言われたか、母を愛している秀史には伝えたくない。けれど、このままでは自分の子供が奪われてしまう。

 どう告げていいのかわからず、それでもなんとか言葉を探して訴える。

「自分の子の事は、できるだけ母である私がしてあげたいの。もちろんお義母さまの手もお借りするだろうけれど、ここにいたら私の役割がなくなりそうで…」

「馬鹿な事を言わないでくれ。そんな事があるはずないだろう。そんな些細な不安で煩わされるのはご免だ。しっかりしてくれないと困る」

 仕事が忙しいのもあるのだろうが、いつも以上にイライラとした口調で話を断ち切られ、日名子はただ言葉を飲み込み、一人バスルームで涙を流した。



 曜子だけではない。秀史の親戚たち―――とりわけ彼の従妹であるエリは日名子に異常なくらい冷たく接した。

 モデルもしている彼女はとても美人で、プロポーションも素晴らしい。最新のファッションスタイルに身を包み屋敷を歩く姿は実にさまになっていて、未だに屋敷の広さに圧倒されている日名子とは雲泥の差であった。


「貴女が秀史の奥さま?ホント、叔母様が言っていた通り育ちが悪そうで器量も悪いのね」


 日名子を上から下まで観察してから、嘲るように笑う。そんな意地悪な表情さえ美人なのだから悔しい。そしてその瞳には、まぎれもない嫉妬の光が宿っていた。

 秀史が傍にいるとき、エリはまるで恋人同士のように傍によって腕を組んだり、秀史に甘える動作をしたりする。

 古い使用人の話では、幼い頃からずっとの事で、エリは秀史に恋心を抱き続けているらしい。嫉妬深くて、秀史と恋人の仲を引き裂いた事も一度や二度じゃないそうだ。

 一方秀史はそんなエリをまるで実の妹のように思っていて、甘える事は許していても恋愛の対象としては見ていない。彼女が恋人たちに嫌がらせをしても、可愛い妹が兄を盗られるのが嫌に思うのと同列にしか思っていないだろう。むしろそんなエリの我儘も従兄妹して可愛く思っている節が見受けられる。

 親戚とはいえ立ち入れない絆を感じて、日名子は表情暗く俯いた。

「おまけに自信もないのね。まあしょうがないわ。だって本当に貧層ですもの。言っておくけど、子供が産まれたらとっとと離婚してちょうだいね。秀史は貴女と結婚した事を後悔しているし、私の大切さにも既に気が付いているんだから」

 毒々しい表情で日名子を睨むと、勝ち誇ったように笑う。反論しようにも、責任のために結婚した、本当の意味で愛されていない妻にはどんな反論もできなかった。

 こんな毒だらけの蠍女に、弱みだけは見せたくない。涙だけはこぼすまいと、日名子は必死に唇を噛みしめた。



 それからも、エリはなんだかんだと理由をつけて、最低週に3回は屋敷を訪れ日名子を貶し続ける。

 曜子にいたっては同じ屋敷にいるのだからもっと多い。時には存在そのものを無視される事もあったが、その方が日名子は楽だと思っている事に気がついてからは、毎日呪いのように悪態を吐かれ続けた。


 秀史は連日仕事が忙しくて、ゆっくり話をする時間も取れない。

 忙しい秀史を嫁姑の問題につき合わせる事もできなかったし、せめて自分が傍にいる間はゆっくりと休んでほしくて、日名子はすべての混沌を飲み込んで、ただ秀史に尽くし続けた。






過去・中編です。

やってまいりました、的な嫁姑問題。

生まれた子供を奪うようにして育てるっていうと、ハプスブルク家のエリザベートとゾフィー皇太后の関係が個人的には頭に浮かびます。自分の愛する娘が敵対する姑と同じ名前…て嫌だよなぁ…


そして秀史に訴えられない日名子さん。彼女は基本的に「よい子」なので、人の悪口を言えない子です。

そういう子ゆえ、溜めこみます。じりじりじり…と。


それでは、また。次話もお付き合いいただけたら幸いです。

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