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愛の氷獄  作者: cian
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再会

 進む方向とは正反対に引かれた力に逆らえず、日名子はバランスを崩す。もつれた足は平衡感覚を失う。危うく倒れそうになったのを引きとめたのも、また同じ彼女の腕を掴む力のお陰であるのは皮肉なことだ。

「随分楽しそうに話しているんだな」

「…っ!」

 低い声と男らしい香りに、日名子は背筋がゾッとするのを感じた。あまりの衝撃に言葉を失い、恐る恐る自分の腕を掴む人物の姿を見上げる。予想通りの姿を見つけて、思わず強く目を閉じた。

 わかっていた。

 自分が忘れるはずはないのだ、この男の―――三笠秀史の事を。

「…どうして?」

 震える声で問う。

 何故彼がここにいるのか。少なくともつい先ほどまでは日名子もいたあのバーにいたはずだ。

「『どうして』?昔の知り合いを見つけたら挨拶をするくらいは常識だろう?」

 どこか嘲るような、怒りを押し殺したような響きをした秀史を、日名子は怯えながら見上げる。

 これでは七年前と変わらない。いつだって日名子にとって秀史は絶対的存在で、その力に屈していた。それでもなんとか気力を振り絞って言葉を紡ぐ。

「…気が付いているとは思わなかったわ。お連れ様も、いたようだし」

 小さな声で告げ、日名子は再び俯く。あの時、バーの入り口で見た秀史の連れの女性を思い出した。

 一瞬しか見ていなかったが、彼の男らしい風貌によく似合う、とても自分にはああはなれないと思わせる美女だったと思う。そんなどうでもいいはずの事に、胸が針に刺されたように痛むのに、日名子はあえて気がつかないふりをした。

「嫉妬しているのか?」

 おもしろがるかのように聞く秀史に、日名子は驚いて顔を上げた。

「…まさか!私は、もうそんな立場ではないわ!」

「こういうのは立場の問題ではないと思うが?」

「……言い方を変えるわ。私はもう貴方の妻ではないし、嫉妬するような感情を貴方にも彼女にも持ちえない」

 そう、嫉妬なんかしない。

昔からこの人はこうだったな、と思い出す。話題の女優と、取引先の重役の娘と、そしてモデルもしている従妹と、あえて二人で寄り添って日名子が密かに嫉妬するのを黙って見ていた。けれどそれは昔の事。もう自分と秀史とは関係ないのだ。

 自分に言い聞かせるように呟いて、日名子はくすりと笑う。実に自嘲的で、そして疲れに乾いた笑みで。

 『日名子さん』と、ふいに爽やかで甘い声が蘇る。少しだけ心が潤いを取り戻す。魁人なら、けしてこちらの心を試すような事はしない。

「私にも、そして貴方にも。もう別の相手がいるのだから、そんな事言わないで。挨拶をするのが目的ならばこれでもう用は済んだでしょう?」

 わずかな結婚生活と、その先に待っていた破綻。思い出せば今でも締め付けられるように苦しい。けれど予想以上に穏やかに告げる事ができて、日名子は自分でも驚いた。先ほど彼と再会した時には、自分があまり成長していないと思ったが、案外そうでもないのかもしれない。

「確かに見も知らぬ相手ではないけれど、私たちはもう別れた―――しかもあんな別れ方をしたんだし、あまり長い事一緒にいるべきではないわ。お互いのパートナーにも悪いし」

 自分には仕事と、玲佳のような友人と。それから自分を心から慈しんでくれる彼がいる。秀史の評価ばかり気にして一喜一憂していた23の小娘ではないのだ。

 深呼吸をして、姿勢を整える。強く掴まれていた腕を、手首の位置を変えて合気道の要領で振り払った。秀史が驚いた顔をして振りほどかれた自分の手を見ている。腕を引く方向さえ間違わなければ、掴まれた腕を解くのは意外に容易だ。

 秀史を驚かせた事にこっそり気を良くしながら、日名子はキッと秀史を見据えた。

 こんな些細な事でさえ、自分は七年前とは違う。小さな事でもそれに気がつかされて、見失いかけていた『自分』の自信を支えに立つ。

「MIKASAの社長になったのでしょう?こんなところで揉めていたら誰に見られるかわからないわよ。早くバーに戻ったら?あの女性が待っているんじゃない?それに、私だって待ち人があるの」

 悠然と告げるのは彼の立場を匂わせる忠告。そう、社会的立場は日名子より彼の方がずっと重い。それがわからないほど愚かではないはずだ。

 結婚している間は何度も彼のその立場に泣かされた元妻は、別れて初めてその立場に感謝をする。

 強く見据えた視線の先で、秀史が茫然と日名子を見ている。しかし、すぐに彼は憎悪にも似た表情に切り替え日名子を睨みつけてきた。


「―――――許さない」


「え?」

 いきなり言われた言葉に付いていけず、日名子は戸惑いに表情を崩す。

「許さない。私の子供を死なせた君が、他の男の子を産むなど…私は許さない」

 秀史の呪詛にも近い言葉に日名子は顔を強張らせ叫ぶ。

「な…っ!なんて言い方…!!」

 つい数分前までの余裕などどこにもなく、急所を突かれて日名子は青ざめる。

 そんな彼女の様子に気をよくしたのか、秀史はふっと歪に唇の端を上げた。

「事実だろう?あの時君が軽率な行動さえしなかったら、私の子供は死なずに済んだんだから」

「……!!だからって…だからって……っ!!」

 両手で顔を覆い、苦痛に襲われながら日名子は抗議の声を上げる。けれど心の悲鳴は何一つとしてまともな文章になって外には出てこない。ただ悲痛な嗚咽となって日名子の視界を曇らせる。

 優越感に満ちた、冷たい声が止めを刺した。


「私はけして君を許さない―――君には、償いをしてもらう」


「いやああぁああぁあ!!!」


「日名子さん!?」

 自分で自分を抱きしめ、半狂乱になりながら叫ぶ日名子を、横から誰かが抱きしめる。秀史かと思って抵抗する。やけになって振り回した手が抱きしめる相手の顔に当たった。

「日名子さん!日名子さん!!落ち着いて!俺です、魁人です!!」

 何度か繰り返されて、ようやくその爽やかな声に日名子は我に返る。

「かい…と?」

「はい、俺です。……遅くなって、すみません」

爽やかで優しい声。どこまでも包み込むような真綿の温かさをもつ腕の中。日名子は脱力して彼の胸に頭を預けた。

意識が途切れる前に見渡した視界の中には、秀史という名の悪夢は見えなかった。けれど眠れば必ず再会するであろうとわかっていた。

逃げたい――――でも逃げられない。


考えたくもない絶望に、日名子は闇に沈んでいった。





…なんというか、秀史がどうしようもなく嫌なヤツだと書いてて自分でも呆れました。どうするのあんた…


そして魁人君登場…ですが、次回は過去に飛びます。

よろしければお付き合いください。

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