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優しさそれぞれ、正しさどれどれ?

 例えば同じ部署の同僚の同期が何かやらかしたとしよう。

「大丈夫大丈夫!」

「気持ち切り替えて元気出していこう!」

「次はうまくいくから!」

 お互いがんばろう、こういうときもあるさと「励ます」のがセオリーだろう。同じ立場の同期だからこその”優しさ”と言える。

 ではパターンを変えて、自分が何かやらかした人の上司だったらどうだろうか。

「次はこういったミスが起こらないように」

「何がいけなかったかちゃんと考えておきなさい」

というように割と温厚に言う人もいれば

「どういうことだ!」

「ちゃんと確認はしなかったのか!」

と叱責する人もいるだろう。

 同期がやらかしたときとの大きな違いは、上司と部下という関係の場合ミスをした部下とのやり取りが「指導」になるときがあることだ。

 指導とは正に、先輩上司にのみ許された専売特許だ。

 自分は上司なのだから、先輩なのだからと部下や後輩が今後同じミスが起こらないようにするためにも自分にのみ許された指導を行うことこそが上司なりの”優しさ”と言えるだろう。

 話を少し変えて仕事以外の場面で考えてみよう。

 例えば友達2人と外へ出かけて突然の雨に見舞われたときに、友達だけが傘を持っていないとしたらあなたはどうするだろうか。

 2人だけであれば一緒に友達を傘の中に入れて外をで歩くなどするだろうし、持っている傘とは別で折りたたみ傘を持っていれば渡すだろうし、そこは人それぞれ考え方や行動の仕方も変わるだろう。

 では帰る方向が別々だったりしたらどうだろうか。

話を少し変えて仕事以外の場面で考えてみよう。

 例えば友達2人と外へ出かけて突然の雨に見舞われたときに、友達だけが傘を持っていないとしたらあなたはどうするだろうか。

 2人だけであれば一緒に友達を傘の中に入れて外をで歩くなどするだろうし、持っている傘とは別で折りたたみ傘を持っていれば渡すだろうし、そこは人それぞれ考え方や行動の仕方も変わるだろう。

 では帰る方向が別々だったり友達が複数人いる中傘を持っているのが自分だけだとしたらどうだろうか。

 2人きりで帰り道が別々というのなら、どちらか一方がずぶ濡れになってしまうし友達が複数人居るという状況なら誰かだけが傘で雨を凌げてしまう。

 そして誰がずぶ濡れになるかを決められるのは持ち主である自分自身、あなたはどういった選択をするのだろうか。

 単純な”優しさ”だけで言えば、自分がずぶ濡れになってでも誰かを傘に入れたり、帰り道に友達に渡したりするだろう。

 

 仕事とそれ以外での2つの例はいずれも他者への”優しさ”について述べたが、話の趣旨を少し変えて”正しさ”という面で考えてみよう。

 仕事で同期が何かやらかしたときと部下が何かやらかしたときでは、「励ます」か「指導」かの違いが生じ、それぞれの立場だからこそできる優しさであると述べた。しかし正しいさとなると話が変わってくる。

 励ました場合では、怒られたり特に迷惑をかけていないのだから別に大したことでないとミスをした人に思われたとしたら、今後同じミスを繰り返してしまう可能性は上がるし、上司が部下を指導してその指導が行きすぎた結果パワハラと認定されてしまったり、指導をした部下が鬱病になったりすると組織に迷惑をかけることだって充分に考えられる。

 つまり励ましたり指導するのは優しさではあったとしても、ミスした人を良い方向へ導くいわば正しさには欠けてしまうことがあるということだ。

 実際にあったパワハラの動機や理由に、「指導のつもりだった」「自分も昔されてきたから、厳しく叱責するのが正しいやり方だと思った」という声がある。

 自分の中での正しいものであっても、その正しさや価値観は時代によって変わるものだし人それぞれとも言える。

 大雑把に表現して、、パワハラや厳しい叱責をする人からしたらこれは正しいという考えがある上での言動であったということだ。

 これは傘の例でも同じで、もし仮に自分が濡れて風邪を引いてしまったら、さらにはその風邪を誰かに移してしまったら。自分がずぶ濡れになってでも他者を濡れさせない優しさに値するほどの正しさと言えるのだろうか。


 とある発展途上国では、先進国などから服を着ることもできない子供たちのために寄贈された古着や履いてた靴などが野晒しでゴミ山同然の状態となり、そこに害虫が群がったり火災の原因となったりして公害となっている。

 供給過多になっていたり、そもそも使い物にならない服や靴が送りつけられてきたりしているため置き場や処分に困った結果こうなっているらしい。

 挙げ句の果てには、寄贈された衣服類から使えそうなものやブランド物をゴミ山から引っ張り出し、それを転売して巨万の富を得た者も居たという。貧困国を救うつもりが、かえって逆効果となってしまったのだ。

 誰かへ与える優しさというのは、形もなく人それぞれ違うものであるが、そこに悪意や誰かを懲らしめようという感情は一切入っていない。

 正しさというのも同じく人それぞれ違うもので正解がない上に、自分の中では正しいという行動でも他者からすれば悪意やいやがらせのようにも受け取られてしまう。

 一人一人の優しさがそれぞれあるのはとてもいいことであっても、その優しさが正しいことなのかどうかというのは相手の価値観や考え方によって変わってしまう。

 優しさはそれぞれでも、正しいものをどれかどれかと探らなくては、それは真の優しさとは言えない。

 皆さんは、ちゃんと誰かの正しさを意識してしますか?


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