暗君と嘆きの石
暗君と嘆きの石
1896年5月5日
ジャック・ル・ベラント博士へ
先に報告した通り、村の中心にある旧修道院の地下墓所にて、古文書の一群が発見された。現地調査隊は現在、これらの文書の解読に取り組んでいるが、記録は少なくとも八世紀を経ており、保存状態は著しく損なわれている。
以下に添付するのは、損傷の少ない文書の一つを英訳したものである。内容は当時の物語を想起させるものであり、貴下の研究対象である、ルネサンス以前の東欧諸侯国における政治構造、文化生活、日常的慣習の理解に資する可能性がある。
地下墓所の調査以降、数名の隊員が原因不明の倦怠感と不調を訴えている。現段階では深刻な症状は見られないが、状況を注視している。発掘作業はおおむね予定通り進行している。
明日、修道院北方の岩壁に位置する人工洞窟群の調査を行う予定である。予備的観察によれば、宗教的施設として用いられていた可能性がある。
敬具
シュヴァルツェス・ホール
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黒き虚の荒れ果てた支配領にて、風は嘆き悲しむ乙女のごとく呻き、月はその漆黒の眼差しを投げかけることすら恐れた。そこに君臨していたのは、膨れ上がり、好戦的なる暴君――モルナーク王であった。王の容貌は放縦の仮面を思わせるほどに醜悪であり、精神は凍傷に侵された硝子のごとく脆弱、そして魂――もしその忌まわしき肉体に未だ宿っていたとすれば――は既に死に瀕し、悪徳の墓所にて腐爛していた。
かつて、遥か昔、ブラック・ホロウは徳と活力に満ちた地であった。槌の音は無知への葬送曲のように鳴り響き、河川は進歩の讃歌を歌っていた。アラダール王の治世のもと、その王国は冬の支配に抗して咲き誇る薔薇のように繁栄した。
アラダール王は稀有なる資質を備えた君主であった。卓越した才覚、揺るぎなき勇気、そして限りなき慈悲を併せ持つ人物であった。彼が受け継いだのは、無関心な隣国と忘れ去られた丘陵に囲まれた、慎ましき領地に過ぎなかった。されど、その意志と叡智によって、彼はそれを強大なる勢力へと変貌させ、文明の灯台として周辺諸侯の敬意を集め、敵には畏怖を抱かせた。彼の大臣は学者にして武人、法は公正にして厳格、民は忠誠に満ちていた。
されど、偉大さとは炎のごとく脆弱なもの。
アラダール王の死後、王冠はその子モルナークへと渡った。彼の人格は、谷間を這う霧のように掴みどころがなく、父の美徳をいかほど受け継いでいたかは、もはや時の彼方に失われた問いである。かつて王座を導いた卓越した大臣たちは既に世を去り、彼らと共に賢慮の最後の希望も潰えた。
モルナークの治世のもと、王国は腐敗を始めた。
誇り高き者は卑小となり、勤勉なる者は怠惰に堕した。商人と職人で賑わっていた街路は、今や肥満と享楽の悪臭に満ちていた。王は諂う者と愚者に囲まれ、宮廷はアラダールの黄金時代を嘲るかのような醜悪なる戯画と化した。彼の言葉は軽薄なる戯言に過ぎず、統治は弛緩し、国土は沈鬱なる荒廃のうちに溺れていった。
父王が築き上げた栄光――かつては永遠と信じられていたそれは、恐るべき速さで色褪せていった。その跡に現れたのは、怠惰と驕慢、そして浪費の疫病であった。かつて黄金と穀物で満ちていた宝庫は、果てなき宴と愚かな戦争、そして王の飽くなき見世物への欲望によって干上がった。周辺諸国は、かつては敬意と畏怖をもって接していたが、今やブラック・ホロウを公然と嘲笑し、主権国家ではなく、禿鷲の餌食たる腐臭漂う死骸として扱った。
空虚な国庫を満たすため、課税は幾度となく繰り返され、そのたびに民をさらに破滅へと追いやった。人々はその重みに呻き、背を曲げ、魂を砕かれた。かつて知性と芸術、規律において羨望の的であったブラック・ホロウの民は、今や言葉も誇りも失った獣のごとき労働者へと堕し、古代の畜生の如く、思考もなくただ働くだけの存在となった。
光の王国であったはずの地は、自らの影と化し、かつて世界の羨望を集めた民は、自らの偉大さの廃墟を彷徨いながら、自由とは何かすら思い出せずにいた。
今や民が王を仰ぎ見るとき、そこに主権者の姿はない。あるのは、麻痺した暴君――かつての面影を穢した、忌まわしき影のみである。そして彼らが祖国を見つめるとき、誇りは胸に湧かず、ただ裏切りの苦き味が舌を刺し、自らを育んだ大地を呪いたくなる衝動に駆られる。
かつて帝国の宝石と謳われたブラック・ホロウは、今や哀歌となった。そこに彷徨うのは幽霊ではない。あるのは、かつてそうであり得たはずの姿――その記憶に取り憑かれた王国である。
モルナークは飢えた熊のごとき獣であり、その言葉も空虚にして粗雑、周囲には時代遅れの大臣と怠惰な暴漢が集い、民の苦しみを嘲ることを常とした。
日ごとに、夜ごとに、美しき者たち――天使のごとき幼子から、妖艶なる若き男女に至るまで――は、王とその醜悪なる従者たちの乱宴の犠牲となった。王宮は、軽薄なる残虐の戯曲が演じられる、醜怪なる劇場と化していた。不敬なる道化は穢れを投げつけ、深紅の衣を纏った尋問官は、血に浸した羽根筆で罪を羊皮紙に刻みつけていた。
正義――もしそれを正義と呼ぶことが許されるならば――は、ブラック・ホロウより久しく姿を消していた。残されたのは、拷問と死のみ。それらは予告なく、そして完全なる平等のもとに民へと降りかかった。
罪は不要であり、裁判は行われなかった。王の気まぐれこそが法であり、彼の残虐への執念には限りがなかった。幼子の笑い声、商人の沈黙、未亡人の祈り――いずれも、モルナークの望むままに反逆へと捻じ曲げられた。
最も恐るべきは、王自らが主導する異端審問であった。
それは裁きではなく、狂気の儀式であった。モルナークは儀礼の衣を纏い、権力に酔いしれながら、残虐に刻まれた笑みを浮かべてこの醜怪なる見世物を執り行った。彼は異端者なきところに異端を宣告し、無実の者に虚構の罪を与え、そしてそれらを「聖なる炎」と称して焼き尽くした。まさに残虐の叙事詩である。
これらの審問が異端でなくて何であろうか。
異端の王が異端の裁きを行う――これ以上の冒涜が、果たして存在したであろうか。
王が醜悪なる栄光のうちに君臨する、あのグロテスクな舞台の向こう側――その背後において、彼の忌まわしき従者たちもまた、己が堕落の劇場を築いていた。
北方の岩を穿ちて造られた教会にて、忘れ去られし手によって刻まれた穹窿の下、彼らはかつて清らかであった肉体を、王の勅命によって穢されたそれを、貪り尽くした。そしてその肉は、未だ命を宿したまま、洞窟の奥深くにある崖より投げ捨てられた。
それがいかなる悪魔の棲み処であろうとも、祈りと犠牲によって聖別された祭壇は、今や屠殺の舞台となり、穢された聖性の墓所と化した。かつて祈りの場であった礼拝堂は、今や悲鳴の劇場となった。そしてそのすべての下に、石が泣いていた――聖者すら足を踏み入れることを恐れ、影が長く留まるその場所に、一つの石があった。そしてその石の下に、嘆きがあった。
それは毎夜、真夜中に始まった。濡れて囁く声――風にも鼠にも由来せず、ただ悲嘆より生まれたもの。忘れられし言語で語られながらも、苦しみを知る者すべてに理解された。
「彼らは我を焼いた」とその声は言った。「偽りに聖別された炎にて。我は慈悲を求めて叫ばず、沈黙を求めて叫んだ。」
その声の主は、殉教者であった。かつてモルナーク自身によって裁かれ、聖なる炎にて焼かれ、錆びた鉄に繋がれ、祭壇の下に葬られた魂。その骨は裏切りを歌い、正義が残虐へと歪められたことを語り、死者のための讃歌を奏でていた。
ある夜、モルナークは夢を見た。
彼は裁きの衣を纏い、殉教者の前に立っていた。その者は、炎に焼かれた唇で微笑み、空洞となった眼窩で王を見つめていた。「汝もまた焼かれよう」と声は囁いた。「されど汝の声は残る。我が嘆きを、生きる者へと歌い継ぐのだ。」
モルナークは目覚めた。涙ではなく、血を――眼より、耳より、鼻より、口より――流しながら。尋問官たちは歓喜し、それを浄化と呼んだ。だが王は、恐怖のうちに悟った。それは、断罪であった。
その夜を境に、嘆きは声を増した。石は泣き、壁は裂けた。かつて臆病にして冷淡であった民は、沈痛にして果敢となった。彼らは沈黙のうちに集い、手にした松明は復讐のためではなく、清算のためであった。
最期の宵、モルナーク王は焼かれた白鳥と血のごとく濃き葡萄酒に囲まれ、横たわっていた。その笑い声――絶望的にして醜悪なる哄笑――は、礼拝堂の穹窿を通じて響き渡り、尊厳への葬送曲のようであった。
そして、清算の刻が訪れた。
かつて祈りによって聖別された礼拝堂の扉は、雷鳴のごとき叫びと共に破られた。群衆は押し寄せた――暴徒ではなく、亡者として。彼らの眼は蒼白の炎に燃え、顔には沈痛と決意が刻まれていた。
農夫は錆びた鎌を、母は台所の刃を、司祭は絶望に砕かれた十字架を手にしていた。彼らの口から溢れたのは、復讐の誓いではなく、長く否定されてきた正義への誓約であった。
「肥え太った畜生め!」 「腐臭を放つ軽薄の塊よ!夜明け前に己が穢れで窒息するがよい!」
礼拝堂はその怒りに震えた。タペストリーは引き裂かれ、ステンドグラスは砕け散り、王権の象徴たる玉座は、灰と侮蔑によって汚された。かつて忠誠を誓った衛兵たちは、刃を翻した。
かつて傲慢にして愚昧であったモルナークは、今や麻痺した肉塊と化し、顔は蒼白に膨れ、衣は葡萄酒と恐怖に濡れていた。言葉を探したが、その声は群衆の唱和に掻き消された――呪詛の交響、怒りの連祷。
「焼き払え、この畜生を!」 「その骨を殉教者と共に歌わせよ!」 「呪われし者に、正義を!」
そして刃が振り下ろされたとき、それは囁かなかった――それは咆哮した。
それは、天を裂き、礼拝堂の壁を震わせた、卑俗にして勝利の咆哮であった。暴君の血は祭壇を濡らし、そして石の下より、嘆きは再び立ち上がった。
モルナークの声は殉教者の声と交わり、石の下にて永遠に歌うことを呪われた――それは、裏切りの破滅的讃歌、生者への呪詛、そして死者の果てなき残響であった。
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サウス・ロンドン・トリビューン
1896年6月6日
著名な歴史学者、書斎で急死
ケンジントンの自宅書斎にて、考古学者であり歴史学者として名高いジャック・ル・ベラント博士(52歳)が、昨日朝、亡くなっているのが発見された。
当局によれば、博士は机に向かったまま亡くなっており、死因は急性心臓発作と見られている。ただし、死の状況には不審な点もあり、検視官による正式な報告はまだ出ていない。特に異様なのは、博士の目、耳、鼻、口から血が流れていたことで、ある調査官は「極めて異常な状態」と語っている。
博士の右手には、古びた一通の手紙が握られていた。そこには、最近まで参加していた国際考古学遠征隊の同僚による印章が押されていたという。足元には、まだインクの乾いていない羽根ペンが一本、まるで急いで落とされたか、あるいは何か儀式的な意味を持つかのように置かれていた。
博士は数日前、ハンガリー東部の辺境にあるフェケテ・ウレグ村で行われていた共同発掘調査から、予定を早めて帰国したばかりだった。調査対象は中世の修道院とその地下墓所であり、現地では歴史的価値の高い古文書がいくつも発見されていた。
死因の詳細については、今後の検視結果を待つ必要がある。
完