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第5話:現在・もう片方の音

実家の部屋で片耳イヤホンを握りしめたまま、陽は一晩を過ごした。


翌朝、母が部屋に様子を見に来た時、陽は机に突っ伏して眠っていた。手の中には、まだあのイヤホンがあった。


「陽、朝ご飯よ」


母の優しい声で目を覚ました陽は、ゆっくりと顔を上げた。


「おはよう、お母さん」


「昨夜は遅かったのね。何か見つけたの?」


母は、陽の手の中のイヤホンに気づいた。


「ああ、これ。昔のイヤホン」


「懐かしいわね。高校の時、よく使ってたでしょう」


母は、陽の高校時代のことをよく覚えていた。みなみのことも。


「みなみちゃん、元気にしてるのかしら」


母の何気ない言葉が、陽の胸に響いた。


朝食を済ませた後、陽は散歩に出た。実家の周りを歩きながら、高校時代の思い出を辿る。


通学路。いつもみなみと歩いた道。あのレコード店。二人で初めてCDを買った場所。


全てが、6年前と変わらずにそこにあった。変わったのは、自分だけ。


公園のベンチに座り、陽はスマートフォンを取り出した。何となく、SNSを開いてみる。


しばらくタイムラインを眺めていると、見覚えのある名前が目に入った。


Minami。


陽の指が、震えた。


プロフィールを見ると、「フリーランス音楽クリエイター」とある。確かに、みなみだった。


投稿を遡ってみる。最新の投稿は、3日前のもの。


「新しい楽曲をアップしました。『Half Song』という曲です。半分だけしか歌えなかった、ある思い出について」


陽の心臓が、早鐘を打った。


リンクをタップすると、音楽配信サイトに飛んだ。みなみの歌声が、スマートフォンのスピーカーから流れてくる。


でも、陽は途中で再生を止めた。この曲は、片耳だけで聴くべきではない気がした。


家に戻り、陽は古いイヤホンをスマートフォンに接続した。右耳だけに装着し、もう一度「Half Song」を再生する。


『左耳だけに届くように

君の声を、そっとしまってた

あの夏、手のひらに伝った鼓動

歌にできなかった言葉が、今

音になって――』


みなみの声は、6年前よりもずっと深みを増していた。でも、その優しさは変わらない。


歌詞の内容に、陽は息を呑んだ。これは、あの頃の二人のことを歌ったものだった。


曲が終わると、陽は長い間座り込んでいた。みなみも、あの日々を覚えているのだ。


コメント欄を見ると、たくさんの人がこの曲に感動していることがわかった。


「この曲、泣ける」


「片思いの気持ちが伝わってくる」


「Minamiさんの歌声、最高です」


でも、陽は知っていた。これは片思いの歌ではない。確かにあった恋の、その後を歌ったものだった。


その日の夜、陽は一人で居酒屋に入った。実家に帰省した時は、いつも一人で飲む店があった。


カウンター席に座り、ビールを注文する。隣には、同世代と思われる男性が座っていた。


「お疲れさまです」


隣の男性が、陽に声をかけた。


「お疲れさまです」


軽く会釈を返す。


「帰省中ですか?」


「ええ。東京から」


「僕もです。地元、どちらですか?」


何気ない会話から、その男性も音楽が好きだということがわかった。


「最近、いい音楽ありますか?」


男性の質問に、陽は少し考えてから答えた。


「『Half Song』という曲、知ってますか?」


「ああ、Minamiの。いい曲ですよね。なんか、すごく切ない」


男性も、その曲を知っていた。


「あの人、最近注目されてるアーティストですよね。弾き語りスタイルで、歌詞がすごく繊細で」


陽は頷いた。みなみが頑張っているのだ。夢を追いかけて、きちんと結果を出している。


「実は、高校の同級生なんです」


陽は、思わずそう言っていた。


「えっ、本当ですか?すごいじゃないですか」


男性は驚いた様子で陽を見た。


「今でも連絡取ってるんですか?」


「いえ、もう何年も」


陽の表情が曇ったのを察したのか、男性はそれ以上聞かなかった。


家に帰ると、陽は再び「Half Song」を聴いた。今度は、最後まで。


歌の終盤で、みなみはこう歌っていた。


『もう片方のイヤホンは

きっと君の元にある

いつか、また一緒に聴けたら

その時は、最後まで歌うから』


陽は、涙が出そうになった。みなみは、まだ自分のことを覚えている。それだけではなく、どこかで再会することを願っているのかもしれない。


でも、陽には連絡する勇気がなかった。6年という時間は、あまりにも長い。今の自分が、彼女の人生に入り込む権利があるとは思えなかった。


翌日、陽は東京に戻った。


出版社での仕事に戻ると、日常の忙しさが陽を包み込んだ。でも、みなみの歌声は、頭の中から離れなかった。


仕事の合間に、こっそりと彼女のSNSをチェックする自分がいた。みなみは、定期的に新しい曲をアップしていた。どれも、心に響く素晴らしい楽曲だった。


ある日、職場の先輩・高橋が陽に声をかけた。


「蒼井、最近どうした?なんか上の空だぞ」


高橋は、陽よりも5歳年上の先輩で、いつも明るく陽を気にかけてくれていた。


「すみません、ちょっと考え事があって」


「恋愛関係?」


高橋の直球な質問に、陽は苦笑いした。


「まあ、そんなところです」


「話してみろよ。俺、恋愛相談は得意だぞ」


高橋の誘いに、陽は少し迷ったが、話してみることにした。もちろん、みなみの名前は出さずに。


「昔付き合ってた人がいて、最近その人のことを思い出してしまうんです」


「ほう。なんで思い出したんだ?」


「偶然、その人の近況を知って。頑張ってるなって」


高橋は、ビールを飲みながら聞いていた。


「で、どうしたいんだ?連絡取りたいのか?」


「わからないんです。取りたい気持ちもあるけど、今さらという気も」


「なるほど。でも、気になってるってことは、まだ何かしらの気持ちがあるってことだろ?」


高橋の言葉に、陽は頷いた。


「だったら、素直になればいいじゃないか。人生、後悔するより行動した方がいい」


「でも、相手には新しい生活があるかもしれないし」


「それは相手が決めることだ。お前が決めることじゃない」


高橋の言葉は、シンプルで的確だった。


その夜、陽は自分のアパートで「Half Song」を聴いていた。何度聞いても、新しい発見がある。みなみの技術も、表現力も、格段に向上していた。


でも、その根底にある優しさや繊細さは、高校時代と変わらない。


陽は、机の引き出しから便箋を取り出した。手紙を書いてみようと思ったのだ。


でも、何を書けばいいのかわからない。


「みなみへ」


そう書いて、陽は手を止めた。


6年ぶりに書く、みなみへの手紙。一体、何から始めればいいのだろう。


陽は、再びイヤホンを右耳に装着した。左耳は、まだ空いている。


いつか、その左耳にも音楽が戻ってくる日が来るのだろうか。


陽は、静かに目を閉じ、みなみの歌声に耳を傾けていた。

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