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本編内資料① 「世界の真理とは」

以下、哲学書「世界の真理とは」より抜粋


 真理とは何だろうか。我々が追い求めていたものか?否だ。理想は真理ではない。我々が常に行なっている事象の反転こそが、真理である。

 言うなれば、我々には「罪」なるものが存在し、その反転たる「善」あるいは「正義」が真理なのだ。

 真理とは真実であり、善だ。故に、我々が常日頃から行なっているのが罪であるならば、我々は真理を知らない。

 ある書物では、我々は善や光に似せて造られたと言う。それが事実であり、真理なのだとしたら、我々は永劫に夢想を走り回る愚者にすぎない。

 ここから、導き出される結論は一つ。


 記憶とは時に、偽りである。


 我々が追い求めてきたなかで、それが悪であるなら、我々は真理という真実からかけ離れた記憶を持つ。

 本来ならば、善悪の知識があり、それによって行動し正しく生きるのが我々、人間である。しかし、今の我々というのは罪という幻想に駆られ、その知識を(おお)(かぶ)さった。

 即ち、それが悪であれが善という知識がありながらも、それは霞のようにはっきりと映らず、そのせいで我々は知らぬ間に悪に走るのだ。

 その善悪の知識を霞のように歪ませるのが、記憶である。否、()えて言うならば、「現代の記憶」である。

 古の記憶と今の記憶とでは、その内容が根本的に異なる。記憶が知識を改竄(かいざん)し、人の人格を歪ませる。


 ここで、ある書物によれば、その要因となったのが「蒼き背神たる魔女」だ。その詳細は省く。

 彼女は人々に偽りの記憶を植え付けた。人々を惑わす存在となったのである。

 ここで言えるのはやはり、我々の記憶は真理とはかけ離れる。つまり我々は、真理を知る際には「常識」を捨てなければならない。その常識こそが、我々から真理を遠ざける罪なのだから。


著者 クロノフィア

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