26頁 魔法使いは記憶を飲み込む 1
ある王城の一角で、2人の少女の想いはすり抜け、通り過ぎていく。またある魔術学院の一角では、ある少女がある女性の想いを背負い、戦いの舞台に立つ事を決心した。
——閉じた瞼を越え、太陽の明るさが瞳に届く。そよ風が髪を撫でる今日は、決意を新たにした日から四日後の事だった。ここは魔術学院の敷地内。門から学院内へ続く道の外側、ちょっとした緑が生えている憩いの場に、私は腰を下ろしている。ここにいる理由は、来たる日に向け魔法の修練をしているからだ。
「想起、イメージだ。ともかくイメージを固めろ。どんな魔法だろうと、基盤が最重要だ」
エステラの声に混じり、生徒達のこちらを案じる声もちらほらと聞こえてくる。予めジニアに話を通してはいるが、生徒達からすれば不審な存在だろう。そんな生徒達には悪いが、今はただ、立てた杖を握り集中していく。
「容器から液体が溢れ、無秩序に広がる動き、果実が木から落下する動き、坂を転がり落ちる球体の動き、具体的な動きの流れを強くイメージしろ」
流動方向。つまり、物体に何らかの現象が起こる時の『起きた』から『起きている』の時の流れ。その流れ自体を頭の中で思い描く。この段階は、元となる回帰の魔法を憶える際に嫌というほど叩き込まれている為、準備運動のようなものだ。
「そしてここからが本番だ。今までの逆行させる対象は、あくまで物理的な物体であった。しかし汝が求めるは魔法の回帰。故に物体を魔力のある何かに変換させて、今までのように流れをイメージするのだ」
変換、ただの物体を変換......。うん、それにしても急展開すぎる。準備運動の後に繰り出されていい課題では無いと思う。なんて言っても、やるしか無いのが現状だ。
......そう思いやってみるも、全くうまくいかない。第一、魔力をどうこうする自体難しく、スープをフォークで掬うかのように不可能で噛み合わない。そしてそのまま、時間はただ過ぎ去っていく。額から汗が吹き出ては頬に滴り、集中力と気力の限界を感じさせてくる。
「む、流石の賢き汝でも、苦手とする事もあるのだな。発生する魔法、その核となる魔力を認識し掌握する。自らに流れる魔力ではなく、形として存在する魔力自体を掌握するイメージなのだが......困難なのは、未だに基盤が未成熟という訳か」
集中力が切れた私は、目を開ける。目を焼くような光に、暗さに準じた視界はボヤけ、長い瞬きを数回する。そして晴れた視界の先、私を待っていたのは、いつぞやの少し怖い顔のエステラだった。
「あの...エステラ?まさかとは思いますが、違い...ますよね?」
思い出されるのは、草原に散らした吐瀉物と酸味のある匂いの記憶。数日間の地獄のような体験。今思えば必要な過程ではあったのだが、もう一度なぞりたい記憶かどうかと問われれば、間違いなく頭を横に振るうだろう。
「不撓、恐れるな。汝は、魔力を感じるという基盤がまだ不十分だ。ならば、効率的に吾がそれを埋めてやろう」
エステラの手が、ゆっくりと私の方に近づく。エステラの顔と手の外枠に光が強く当たり、影が濃く映え、恐ろしさを演出している。
「そんな技術、必要だなんて聞いた事な——」
手が私の頭に触れた途端、ツゥーっと鼻から何かが垂れ、開けた口元に落ちる。その味、その何かの正体を確かめられる事は無く、影に飲まれた視界は真っ白に光りゆく。
——ようやく眼が開けたかと思えば、私は見知らぬ場所に立っていた。灯りに照らされ薄暗い廊下に、鉄格子に阻まれた部屋のような物が、列をなして設置されている。形容し難い匂いと、鼻をつくような冷たさが、これが夢ではない現実に即した何かだと理解させてくる。
足を動かし、前へと進もうと思えば進むことができる。それは当たり前の事だが、不思議と足音は一切鳴らない。私はふと思い立ち、鳴らぬ足音で鉄格子に近づく。
『触れられない...それに、これ以上進めない』
鉄格子に触れようとした手は、まるで風を捕まえるかのように空を切る。その中へ入ろうと踏み出した足は、見えない壁に阻まれる。その中には何かがおり、うっすらと音が聞こえてくるが、判断を下さるだけの情報は集まらない。
ドカン、ドカン———ガシャン———
鉄格子に向かい合っていた時、何かが衝突した音が、突然と私の耳を殴りつける。聞こえてきた音を頼りに廊下を走ると、そこには倒れ伏す一人の男と白衣を纏った少女の姿があった。
『あの顔、どこかで見たことがあるような......』
私は、その少女にゆっくりと近づく。会話ができる可能性に賭け、声を掛けようとしたが、口の動く感覚がするだけだった。それどころか、目の前の少女は微動だにしない。まるで、時が止まっているかのように。
『......やっぱり、うっすらと顔に見覚えがある。けど、あの人の瞳とは違う』
止まったまま動かない少女の顔を、瞳を覗き込む。青白く光る瞳を凝視し、ある人物と照らし合わせていた時、少女の顔が渦を巻くように歪んでいく。それと同時に、周辺に見えるすべての物も歪んでいく。
『...歪んでる......でも、私自身に変化は無...っあ......んくぅぁ......』
熱い、お腹が熱くなり、何かが喉へと上ってくる。必死で口から出る何かを堰き止めようとするが、そのせいで逆に呼吸が、苦しくなる。
————
「ブ、ブルハ!?......しまった、少しやりすぎたか」
「ど、ど、どうする?!エステラ様!?ブルハぶっ倒れちゃったよ!?」
私の記憶は、夢のような場所で強烈な不快感に襲われた辺りで途切れた。そんな記憶が途切れる最後にわかったのは、不快感の正体は私の血だった事。そしてこれは後々エステラに聞いたのだが、倒れる直前、私が急に痙攣したかと思えば、派手に吐血したらしい。
——そんなこんなな出来事があり、魔法の修練はシスタンと別れてから合計で一ヶ月間続いた。そして一ヶ月の時が経ったある日、私はシスタンと再開する事となった。
「じゃあ二人とも、再確認だけど、君達は互いに魔法を披露し合う。そして、どちらの魔法が優れたるかを、今日見に来る人達に優劣を決めさせる。......本当にそれでいいんだね?今からでも変えられない事はないけど——」
「「構いません」」
ここは、レトロセデールの魔法学院の一室。王族三人とただの魔法使い一人が、この部屋で、ある話をしている。それは、今日の舞台で行う戦いの取り決め。まぁ、とはいえ、あくまで再確認程度のものだが。
「ふん、情けないんだよ兄さん。負けそうだからってルールを変えるのも、せっかくそっちについてくれた子の事も信じれないなんて」
部屋にある深い椅子に悠々と腰掛けている、薄紅色の髪の少女はジニアの妹であり、アマヒリーナという。戯言を並べながらジニアを煽るその姿は、本当に気品ある王族なのか?と疑いたくなる。それに、私が魔術学院側について戦うことになったのは、この少女のせいだ。
「信じているさ。僕はブルハの血の滲むような努力を知っている。ルールを変えようとしたのは、以前から続いている戦いがもっと平和的なものだからだ......まさかとは思うが、もう忘れたのか?」
うん、まぁ、ジニアの方はまだ気品があって優しめな言い方だが、アマヒリーナと一緒で、煽る事は決して忘れていない。まぁ、それほどに仲が良いと言う事だろう。
「はあ!?シスタンだって血の滲む努力してきたんだよ!適性じゃない魔法を憶えるんだよ?その大変さが兄さんには分かる!?アタシは分かんなかった!!でも信じたんだよ!そしてシスタンの努力は身を結んだ、ねぇ?」
煽りに乗るようにアマヒリーナが椅子から立つと、悠然と構えていたジニアに詰め寄る。一通り言いたい事を言った後、援護を求めるかのように、後方にいるシスタンの方にくるっと振り向く。
と言うか、本当に適性じゃない魔法を憶えたのか?王族という特別な血を引いているとはいえ、そんな例外は聞いたことがない。それとも、ただのブラフなのか?
「え、あぁ、うん、そうだね。でも、あたしにとってはヒナと仲直りする方が大変だったよ」
「う、うぅ、本当にそれについては悪く思ってるんだよ......ごめんね、シスタン」
今も、そして初めて会った時も仲が悪そうには見えなかった。まぁ、多少はシスタンの反応が冷たくはあったが、私にも似た節がある故、そういうものだと思ってた。二人の間に何があったのかは知らないが、私には知らなくていい事だろう。
「悪かったね、シスタン君。こいつは、君の事になるといっつもおかしくなるんだ。はぁ...バカ妹のコンプレックスが君に迷惑をかけた。一応、兄からも謝っておくよ」
「っっ!!そんな事言わなくてもいいんだよ!!バカ兄!!!!」
喧嘩が始まった。いや、喧嘩ではなく一方的にアマヒリーナが手を出してるだけなのだが。手を出しては避けられ、掴まれ。仲が良いのは結構だが、流石に少し騒がしい。
そんな時、喧騒を目の前に、シスタンが隣に並ぶように近づいてくる。騒がしい二人を見て、シスタンは微笑みながら私に語りかけてくる。
「どうですか、先生。あれが私の友人であり、王族なんですよ。先生には少し不思議に映るかもしれませんが、王族もただの人なんですよ?」
ただの人。当然として、王族だろうがなんだろうが、この世界を生きる魔法使いの一人である事は変わらない。ただまあ、少し意外ではあった。
「私は良い意味で、王族とは気品に溢れ、触れ難い存在だと認識していました。ただ、あなたやこの兄妹らと出会った事で、印象は変わりましたね。それが良い事か悪い事かは、私には分かりかねますが」
以前は、遠すぎる存在として触れようもなかった。しかし今としては、すぐに触れられるほどに近い存在なので、逆に敬遠してしまっている。それでもまぁ、こういった程度に巻き込まれてしまっているのが現状だが。
「シスタン、少し外を歩きながらお話でもしませんか?」
チラッと喧嘩している兄妹の方を見て、シスタンに訴えかける。
「分かりました、先生」
シスタンの少し簡素な返事に私は頷き、部屋のドアを開け廊下へと出る。廊下に出た私達を待っていたのは、吹き抜ける冷たい風、音の反響する長い空間だった。
「久しぶりですね、本当に。あなたと会うのも、この雰囲気を味わうのも」
クラス札、多くの扉、窓から溢れる光。二人専用の広い廊下は、乱雑に足音を鳴らさず、リズム感のある音を刻んでいるような。それにしても、大した時間は経っていないはずなのに、すごく懐かしく感じてくる。
「久しぶりですよ本当に。先生と出会ったのも、そして別れたのも、最近のように思える一方で、懐かしくもなります。...そうですね、あたしが魔法学院を出てから、おそらくもう三ヶ月ぐらい経ってるかもしれません」
もうそんなに?じゃあ、私が家を出てからもう一年ぐらい経ってる?流石にそんなに経ってないか。......違う、今はそんな事はどうでも良い。
「......それほど経っているんですね。そうだシスタン、久しぶりの王城での生活は如何でしたか?羽、伸ばせましたか?」
廊下の行き止まりにつくと、階段が見えてくる。私は外套を大きく揺らしながら、シスタンはスカートを跳ねさせながら階段を登っていく。
「どうでしょう。どちらとも言える、という曖昧な答えが最適な気がします。それでも、本当に濃い一ヶ月でしたよ」
踊り場を抜け、折り返しの階段を再度登る。一つ上の階層に来た私達は、また同じように廊下を闊歩する。窓際を歩く私は、何気なく窓の外に目を向けた。
「ブルハ先生は......どうしたんですか?何か変なものでも見えますか?」
戦いの結果、魔法の優劣は、観客に任せる事に決まった。その事は事前にジニアが私に了承を得に来た。主観では優劣など決める事は出来ないという事、加えて呼んでも数人だと思い、私は了承していた。しかし、眼下に広がる人の群れは、私の想像を遥かに超える数だった。
————
「ジニア!いくらなんでも観客の数が多すぎませんか?!余興か何かでも催す気ですか!」
バンッ!という強い音を鳴らせながら私は扉を開く。息が少し上がる私と対照的に、ジニアは悠々と深い椅子に座り込んでいる。チラッとアマヒリーナの方を見てみると、ポカン、と気の抜けた顔をしていて、なんだか腹が立ってくる。
「兄さん、説明してないの?」
「まあ、自分の目で見てもらった方が早いだろうと思って」
気の抜けた炭酸みたいにボケーっと答える二人の王族サマ。まさかとは思うが、今の今まで喧嘩を続けていたのか?いや、流石に?...なんというか、溜め息すら出てこない。
「あたしも、ヒナから聞いた時はビックリしました。内紛の詳しい内容も、それに伴う国民の有り様も。一応先生に説明すると、レトロセデールの内紛は一種のイベントのような物になっているらしいんですよ」
えぇ......本当の本当に500年の時の間に何が起こったんだ。少なくとも魔術学院側は、回帰の魔法の存続に内紛が関わっているはず。それとも、国民は本当の意味で観客なのか?......まぁ、面倒な事にならなければ、正直なんでもいいのだが。
「はぁ、であれば、せいぜい舞台を盛り上げるとしましょうか。あなたは王族で知名度もありますから、盛り上がるかもしれませんが、私はただの魔法使いですからね」
私はシスタンの方に手を差し出す。ゴシックで暗めな部屋に、カーテンの隙間を縫い光が差し込んでくる。ふやけて座っている王族の間にあるテーブルに光が伸び、そこから更に私の手に光が伸びる。
「いいえ、今日の舞台で先生は、凄い魔法使いなんだって、多くの人に周知されるはずです。そして、そんな先生を超える事が盛り上がり、延いてはあたしが更に凄い魔法使いだ、という事を証明する事になるでしょう」
シスタンは、私の手を強く握る。......少しだけ思っていた事があった。なんと形容すればいいのか分からないが、彼女は変わっている。見た目の変化はないものの、纏う雰囲気は全くもって以前とは違う。そこの椅子に座っている王族二人とは比べ物にならないほどの『熱さ』を感じさせる。
『少しだけ怖いし......不安だ』
一方、客席のある場所では——
「中々に質の良い魔法だな。形、数、大きさ。吾は他を知らんが、かなりの手だれの仕事だろうな」
「あーそういえば、お城の中でかなり魔力の多い子がいたんだけど、もしかしたら、その子が造ったのかな?みんなと同じ服装だったけど、お城ってそんな決まり事あるのかな」
「ルナ姉ちゃん、そういう人達はメイドっていうんだよ」
魔法学院の広いグラウンドを挟むように、ひな壇状に客席は設営されている。コンクリートの客席が人々によってほとんど埋まっている中、同じくしてエステラ達も腰を下ろしていた。見下ろすグラウンドにはまだ誰もおらず、観客達の感想に混じって、彼女達も他愛ない話をしていた。
「ふむ、そのメイドとやらを気にかけるほど、汝には余裕があったのか、はたまた師の役目を蔑ろにしていたのか。フン、勝敗はもう目に見えているというところか?なぁ?」
煽るように言葉を言い放つエステラは、足を組み、膝を抱え込むように前屈みになる。そして一切笑みを見せない強張った顔で、ルナの方を見上げながらギロリと睨んで見せる。
「役目を蔑ろにしたつもりは無いんだけど、実際問題、僕にできた事はほとんど何も無かったよ。けど、あの子は確実に魔法使いとして成長した。それこそ、ブルハに迫れるくらいにはね」
エステラとは対照的に、緩く軽い雰囲気を纏わせながら恥じるように少し笑う。胸の辺りで手を組み、右手の指を顎に添えると、ルナは『あの子』の姿を思い浮かべながら、言葉を形成する。
そんなルナの言葉を聞いたエステラは、大きくため息をつき、先程とは違う形で目を細める。
「本当に汝は面白くない奴だな。一体全体、どのようにして汝を殴れば良い音が出るのか、見当もつかん」
煽る形を崩しはしないが、強張った顔はすっかりと崩れていた。そんなエステラの顔に残った表情は、肩を広げて謳う清涼とした困惑だった。
「面白くない奴で結構さ。君とつまらない喧嘩をして追い出されるなんて、絶対に嫌だからね。......それで?わざわざ喋りかけてくるなんて、何か聞きたい事でもあったんでしょ?」
悠々と構えるルナは、ふいっと顔を背け茶化すように言葉を返す。尖った唇で不満げな顔を見せた後、再びエステラの方に顔を戻す。その表情には、先程と一転して、人を飲み込む様な妖しい色が浮かんでいた。
ルナの瞳に見つめられ、固い言葉の壁は溶かされる。エステラは、諦めのこもった溜め息を大きく吐き、渋々と言葉を吐き出した。
「......汝は何を教えたのだ?ブルハと共にある彼奴には魔法使いとしての才はある。だが、今のブルハにすら遠く及ばないはずだ」
「そうだね、あの子の才能はブルハに及ぶものじゃない」
遠くに見える校舎を眺めながら、ルナはゆったりとしたリズムで語る。そんなふわふわとしたそよ風を、激しく打ち付ける強風が飲み込む様に、エステラが強く言葉を言い放つ。
「であれば何故!!汝はブルハに迫れると言い切ったのだ」
遠くを見ていた瞳は、再びエステラの獰猛な瞳を捉える。エステラの中に宿るブルハへの強い想いを察したルナは『あの子』が持つ秘められた力を優しい口調のまま語っていく。
「...これは君の知らない事だけど、あの子は、いや、シスタンは才能以前に血に恵まれてる。始まりの魔法使いであるレンティスの子なら、潜在的にブルハに迫るポテンシャルを秘めてる」
不貞腐れる様に頭を掻き、息を吐きながらエステラは体を持ち上げる。血統が意味する潜在能力そのものを知らないエステラは、理解を諦め、ルナが入れ込む訳を問う。
「分かった、であれば敢えて聞こう。彼奴がブルハに迫れるその理由とはなんだ?加えて二度目の問いになるが、汝は何を教えた」
ルナは、グラウンドに視線を移す。僅かな土埃を一瞥すると、視界を閉じ瞼の裏で何かを描く。その様子を初めは不思議そうに眺めていたエステラだったが、思った以上の長い沈黙に声を上げようとした時、瞼と共にルナは口を開く。
「シスタンの血統は特別なんだよ。あの子自身が持つ才能とは別に、レンティスの血には才能が眠ってる。それが僕の言う潜在能力っていう物。そして僕が教えたのは、その一つである、魔力の多さを利用する方法。つまり、限界を超えた力を出す方法さ——」
————
——杖よし、外套よし。校舎の入り口で私は簡単な最終チェックを済ませる。ここの雰囲気はひどく懐かしさを感じさせる。誰もが入り乱れる場所のはずなのに、シーンと静まり返った冷たい空気。慣れた筈が、何故か心音は高まる。それが何を意味するのか、過去のさざなみか、目の前にある舞台か。私は、後者である事を願いながら、左胸の上部を拳で強く叩く。
「......やるしかないんだ、逃げるなんて事は出来やしないんだから」
うるさく唸る心音を誤魔化すように、痛みと呼吸を吐き出す。そんな様子を隣で見ていたのか、シスタンは心配して喋りかけてくれた。
「緊張、してるんですか?というか、ブルハ先生も緊張するんですね。少しだけ以外です」
心配してくれてはいるが、若干バカにしてもいない?まぁでも、確かにシスタンと一緒にいる時は、緊張のきの字すら浮かんでいなかったような気がする。
「私も、久しぶりにこんな気持ちを抱きましたから、少し意外なんです。思えば、あなたと出会ってから色々な出来事に巻き込まれて来ましたから。緊張なんかしてるひま、無かったんだと思います。それで、あなたは緊張していないんですか?」
私が思うに、シスタンはかなり緊張しがちだ。その理由は私とは真逆で、魔法を使う事や、戦闘を行う事自体がまだ慣れていない所為だろう。その分、私が苦手とする大勢の人の前に立つことに関しては、何の苦もなくできる事なんだと思う。
「すっごく緊張してます。先生に全力をぶつけられるのかも、レンティスの名を汚さないようなパフォーマンスが出来るのかも。でも、舞台が目の前にあるというのなら引く事はできない、全力でやり遂げるだけですから。緊張も、魔法の糧にしてみせますよ」
......そうか、シスタンも結局は私と同じ人間なのだから、緊張はするものか。人の前に立つ事に関しても、シスタンなりの緊張があり、背負う物も段違いに大きい。それに、そんな緊張に対してのシスタンの向き合い方は——
「とても好きだ」
「............え?」
それに加え、緊張していると言っていたシスタンの顔は、萎れておらず寧ろ覚悟が伝わる良い表情をしていた。私とは大ちが............??
「ん?私、何か変なことでも言いましたっけ?」
急にポカンとしたシスタンの顔が気になり、私は声をかける。シスタンの目線は、確実に私の方を向いている。それに、心なしか顔が赤く身長差もいつもより感じのは気のせいだろうか。
「え...あ......さっき、好きだって」
口に出した覚えはないのだが、考えが勝手に外に出ていたのか。......めちゃくちゃ恥ずかしい。久しぶりにした緊張で、よくわからないものが触発でもされたのだろうか。
「勝手に言葉が漏れただけですけど、改めて言葉にしますよ。私は、あなたの緊張に対する向き合い方や、責務に対する姿勢がとても好ましく思えます。カッコいいとすら思えてしまいますよ」
勝手に言葉が漏れるのは恥ずかしいが、思いを言葉にするのは何ら恥ずかしいことではない。とはいえ、一々思いを言葉にしたいかと言われれば、面倒くさいのでしたくはない。
「そういう意味ですか......先生にそう思っていただけて、とても嬉しいです」
......まあでも、偶には言葉にするのも悪くないかもしれない。シスタンの喜ぶ顔は、見ていて大変気分の良いものだから。それに、コロコロと変わるシスタンの表情は、ちょっと面白い。
「さぁ、もう出番なんだよ二人とも。衆目の中に飛び込んだのならもう戻れない、最終準備はいい?」
シスタンとそんな談笑をしていると、遅れて校舎の奥の方からアマヒリーナがやってくる。それに次いで、ジニアもこの場へやってきた。どうやら、私達に最終準備がどうかと問えるほど、自らの準備は整えてきているらしい。ふやけていた顔は活気を取り戻し、服装は互いに対照的な色使いで華やかな物になっている。ドレスとは少し違ったスカートの付いた純白の衣装に、肩から腰下まで伸びるシワのない黒い外套。......なんというか、その......。
「あたしと先生は準備できてるけど、ヒナのその衣装は何?それにジニアさんの衣装も先生と被ってるし。舞台での主役はあくまであたし達の筈でしょ?」
言うんだ......。ま、まぁ、私も思っていたことではあるのだが、こう言う事は思っていても言葉にしずらい。ましてや王族相手になんて言えるはずもない。けどそれは、シスタンにとっては真逆なことなのだろう。王族の友とは、軽いやり取りや隙を見せる事はできても、私のようないち国民には威厳を見せ続ける必要があるのだから。
「いいじゃないですかシスタン。私達は私達なりの輝き方がありますから。それに、しきたりとして装いを飾り立てるのは必要不可欠な事でしょう?あなたになら、それは容易に理解できることではありませんか?」
と言うのが、王族二人の格好を踏まえた上での私の結論だ。私達はあくまで舞台に立つものだが、それを形式的に導くのは王族なのだから。それに、どうあれ注目を浴びるのは私達なのだから。自信はないがそんな予感がする。
「僕たちだって、悪いとは思う。けど、どうか納得してほしい。......さあ、二人とも行こう、舞台に立つ時間だ。僕達も君らの見せてくれる物を楽しみにしている」
ジニアの声に私は応じる。一方でシスタンは、まだ不満があるかのように、頬を膨らませている。数時間前に久しぶりに会ったシスタンよりかは、少しだけ固さが抜けきっているような感じがして、少しだけ安心だ。
私は先に校舎の入り口から出ていくジニアを追い、陽の下へと足を進める。不貞腐れているシスタンは、アマヒリーナに手を引かれ、ぶつくさ言いながら同じように陽の下へ連れて行かれる。まだ舞台は視認できないが、ざわざわと不特定多数の声が聞こえてくる。
『......煩い、心臓......んっ、ふぅ............よし!!』
ようやく、舞台の幕は上がる。
——観客席のどこかで、一際大きい悲鳴に似た歓声が上がる。その声は、観客達の興奮の火種になるように、次々とあちらこちらで歓声が連鎖的に起きていく。観客席の一番奥の方に座っている観客達にも、そろそろ見えて来ただろう。頃合いを示すかのように空は青く晴れ、舞台を照らすかのように太陽は強く照りつける。わぁわぁ、という歓声の中、舞台に姿を現したのは、四人の魔法使いだった。
「よくやく主役のお出ましだね。こういう時はちゃんと盛り上げなきゃね!おーいシスターン!ブルハー!聞こえるかーい!全力を尽くすんだよー」
雑踏の観客達の中、他に負けじとルナは声を張り上げる。真ん中寄りに座っているせいで、なかなか届く距離ではないが、できる限りの身振り手振りを添えて主役達に歓声を飛ばす。
「はぁ、汝はそんなタイプの奴ではないだろうに。熱狂にあてられるとは、末恐ろしい。......そうだルナ、彼奴は、シスタンは本当に平気なんだろうな?」
そんな様子を隣で見ているエステラは、熱に浮かされている普段とは違うルナに少し辟易する。しばらく喋りかけるのをやめようかと考えていたエステラだったが、歓声によって飛んでいった重大なルナの発言を掘り返した。
歓声鳴り止まぬ舞台の中心を切るように、二人の魔法使いと二人の王族が配置の為、互いに反対サイドへと移動する。その様子をただ見つめていたルナは、そこからふっと視線を外し右側に座るエステラに向ける。
「平気だよ。平気じゃなかったら、シスタンはこの場にはいない。...あ、違うよ?そういう事じゃなくて、この場に立つ事を僕が許可しないって事ね」
エステラは少しだけ怪訝そうに眉を顰める。それは、流石に言葉足らずな事に対してや、本当に熱に浮かされているのではないかという疑心感からくるものだった。
と、そのようなやり取りを二人がしていると、歓声とは比べ物にならない大きな声が木霊する。
「観衆の皆々!大変長らく期待を募らせてしまったが、それももう終わりだ。舞台の準備は今し方完了した。コホン、では回帰の魔法の存在を主張する我らが魔術学院の代弁者を紹介しよう。名をブルハ、数国の王に認められし、将来有望な魔法使いだ!!」
歓声を上書きするように轟いたジニアの声は、観客席の熱気を大きく膨れ上がらせる。エステラはその様子、ブルハを冷静に見つめるが、隣に座る二人は、おおーーー、とノリよく歓声を上げる。
「聞け!今から皆が目にするのは、火よりも熱い灼熱の炎。熱せられた鉄が火花を散らし、鍛造される過程と結果。この炎は遍くを溶かし、全てを掻っ攫う。歴史ある拘束魔法の偉大性を謳うレトロセデールの代理人は、知る人も多いだろうレンティス家の長女。紹介するんだよ、シスタン・レンティス!!」
大喝采。その言葉だけで、いやその言葉だけがこの状況を的確に伝える事ができる。ブルハの時とは違い、明確に盛り上がり、観客席のどこかしこからも興奮と熱狂の雄叫びが上がっている。それは、ルナも例外ではなかった。狂うように叫んではいなかったが、普段を知るエステラから見れば、思わずため息を吐きたくなる程だった。
「あーあー、いいかな?」
歓声の渦の中、ジニアは舞台の端でそっと手を上げる。ゆったりと周りを見渡し、観客達に呼びかける。スッと静かになった観客達に、薄紅色の髪の毛を持つ二人の魔法使いは、再び語りかける。
「......さて、観衆の皆々、主役を舞台へと上がらせる前に軽くレギュレーションの確認をしておきたい。皆にも軽く知らせている通り、今回は魔法演舞の形式を用い優劣を定める。そして結果を定めるのは観客である君達だ」
「使用する魔法に制限なんて無い。でも基本は、回帰と拘束魔法の二種類なんだよ。両者の合意があった場合にだけ、それ以外の魔法を使用する事を可能とさせる。このルールを破った場合の罰則は特に無いけど、みんなの判定基準に含んでもらっても構わないんだよ」
魔法演舞とは、特に意味のないレトロセデールの内紛の中で生まれた言葉だ。魔法使い同士での魔法の使用が原則として禁止されている中で、戦いではなく、あくまで魅せる為に魔法を使う際の事を装飾し、魔法演舞と呼称しているだけだ。しかし、その言葉が生まれたのは古い時代の話であり、内紛の中心に立つ者達以外は言葉の意味を知らない。造語である為、ある程度の理解は可能だろうが。
「ねぇエステラ、結界魔法、必要だと思う?」
シスタン側に立つ薄紅色の少女が説明を終え、また観客席の人々は各々の言葉を交わし始める。その中でルナは、グラウンドに立つ二人の魔法使いを指で枠を作りながらエステラに問いかける。
「ああ、必要だ」
簡潔に、的確にエステラは答える。それ以外の答え、その訳すらも答える事はなく、一言で返す。
「じゃあ、ティエラはどう思う?」
グラウンドの方に向けていた視線と腕を解き、体を斜めに倒しながら、エステラの奥に座る少女へ口に笑みを作りながら問いかける。
「ルナ姉ちゃん、聞く順番間違えてるよー。エステラ様が必要って言うなら必要に決まってるでしょ?」
ティエラは軽く頬を膨らませ、斜めに顔を出すルナに対し、のけぞるように顔を高くする。ツーンとそっぽを向くティエラに対し、ルナは顔に笑みを浮かべると、体を戻していく。
「ごめんね、ティエラ。今度からは初めに聞くよ」
謝罪を口にする一方で、ルナはグラウンドの方を見ながら少し考え事をしていた。
『これ、僕、緊張してるって事なのかな?ルーカス君。———まぁね、心配事もあるけどシスタン君なら大丈夫だって、僕は信じてるから』
グラウンドを虚ろな瞳で見つめていたルナの耳に、また再び大きな音が介入してくる。その声と同時に、瞳は活気を取り戻し、意識を表面に戻していく。
「さあ観衆の皆々よ!主役は舞台に上がった。皆のその瞳に、偉大なる瞬間の軌跡を焼き付けるがいい!!」
「「演舞...開ッ幕!!」」
鮮烈なる大号令がグラウンド、観客席全体に響き、一瞬で場の熱気は最高潮へと達する。その瞬間、ルナが指をパチンと鳴らすと、グラウンドにいる二人の魔法使いを囲むように薄黄色の結界が現れる。熱狂高まった観客達は、突然現れた結界に騒がしく声を荒げる。そんな中、結界を張った当の本人は、結界内にいる魔法使いの変化にいち早く気づき、誰に聞かせるわけでもなく独りでに囁く。
「——ブルハのあの姿......邂逅する魔法使い。巡る運命か、因果か......はたまた厄災の訪れか」




