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ある魔法使いの物語  作者: 座れない切り株
〜始まりのプリンシオ〜
14/35

特異旅記 人生の悲哀

最初に簡単に注意書きしておきます。この話に含まれる要素はタイトルにある通り、人の別れをメインに描いたものです。途中心の苦しくなる描写が若干ではありますが書いているので、お辛い方は長い会話パートを飛ばしていただいても、多分内容は理解できると思います。よろしくお願いいたします。

  

 

 魔狼の集落を去り、ティトゥーラを目指す道中の、ある所に向かっているブルハ達。半日ほど歩き、日が落ちかけていた頃に目的のある場所に辿り着く。


 草原、私たちの歩く道の先に館が建っており、周りは大きなフェンスで囲まれている。その館は、ティトゥーラでは名高い人攫いの館と言われており、一度入ってしまうと二度と出てこられない、という噂が絶えない場所である。

古文書や歴史書、教科書にすら載っていないが、今のティトゥーラでは入ってはいけない禁域とされる程に認知されている。

黒く不気味なその館は、夕暮れ空の赤い色に包まれて、更に不気味な雰囲気を醸し出している。  


  ここは古より集まった悲しみの集合体。様々な悲哀の想いが募り出来上がってしまった悲哀の館。

ここに募った者たちの願いは、愛しいあの人にもう一度逢いたいという切ない願望。そして――

この館に足を踏み入れたが最後、館に募ったすべての者、そしてすべての願いを叶える事が出来たのなら、生きてここから出ることが出来るかもしれないが、悲哀の感情、願いを全て叶える方法は、この世界にあるというのだろうか。

 

 「おそらくは、ここですね」


 私達は日暮れと共にイズモの言っていた場所まで来ることができた。

シスタンと覚悟を決めて、大きなフェンスを押して敷地の中へと入っていく。


 入った途端、一気に空気感は変わり、周りの景色も様変わりする。

夕暮れの赤い夕陽はそこにはなく、空には輝く月が見える。

敷地の中を進むと、向かって正面には館の中に続く大きな扉があり、扉に続く道の傍に咲くのは、白、赤、紫色の菊だった。綺麗に見えるその花壇には、所々不自然に間隔が空いる。


 「ブルハ先生、あそこ」


 シスタンが指差す先には、扉に続く道の他に左右に道が伸びており、そこには白いテーブルと白い椅子があった。

そのテーブルと椅子はセットで置いてあるのに対して、テーブルの上にあるものは、紅茶や本、指輪などと統一感がなかった。

そして、テーブルにはそれぞれ二つの椅子があるのだが、何故か片方の椅子だけが真っ赤に染まったようになっていた。


 「先生……」


 好奇心に駆られてここまで来たはいいものの、このどこか不安感を煽るような光景にシスタンは完全に怯えてしまっている。もうこれ以上私の欲に付き合ってもらうことは出来ない。


 「帰りましょうか」


 私はシスタンの手を引いて入ってきたフェンスの方に向かう。

出る為にフェンスを開けようとするのだが、私の手はフェンスを通り抜け、何にも触れることが出来ない。”アップウィンド”を唱え上空からフェンスの外を見る。フェンスの外には何もなく、地平線の彼方まで暗闇が続いていた。

私は覚悟を決める。


 「シスタン、あなたを必ずここから出します。私を信じてください」


 私はシスタンの手を強く握り、必ず出ることを誓うと、私達は扉に向けて歩き、その重い扉を押し開ける。


 扉を開け中に入ると、目の前に広がるのはシスタンの家のような荘厳な造りになっており、外から感じた雰囲気とは違い、とても明るく灯るシャンデリアがあった。

私達がいるのは広いロビーのような所で、向かいには大きな階段が伸びており、そこから左右に伸びるように二階への通路になっていた。二階へ続く階段の両脇にはどこかへ続く道があるが、暗いせいでよく見えない。


 そんなシャンデリアや大きな階段よりも、私の目につくあるものがあった。

広いロビー,そして階段の上部、二階の廊下、暗いどこかへ続く道、館の壁には装飾とは思えない肖像画の数々がびっしりと飾ってある。

その肖像画には、いろいろな人が描かれているが、そのすべて二人以上で描かれている。

唯一装飾のように飾られているのは壁掛け時計や、振り子時計だが、いずれの時計も秒針が固まっており、時間が進んでいない。


 「とりあえず進んでみましょう、シスタン」


 私はシスタンの手を握り、ロビーを抜け階段を上る。

階段を上り、頭上あたりに肖像画がある踊り場のようなところでどこからともな声が聞こえてくる。


 「やぁ、よく来た。我々は君達を歓迎するよ」

 

 館から聞こえてくるその声は、私達に向けられた声だった。

その声は途切れることなく私達に、しつこく語りかけてくる。

何処から来た?君達の関係性は?君達の年齢は?などと、しょうもないことばかり聞いてくる。

シスタンが怖がるので、そういうのはやめて欲しい。ほら、シスタンが私の腕を掴んで怯えてるじゃないか。


 「ブルハ先生、あそこにいるの……」


 シスタンに腕を引かれるまま、ロビーの方を見ると、そこにはシスタンの父と、髪が長く、ここから見ても分かる程に目つきの悪い女性が立っていた。


 「国王様の隣にいるのは、レクエルド家の長女です」


 何故だか国王様の隣にいるのは、私の姉であり、三人姉妹の中でも最も優秀な魔法使いだ。

国王様もだが、私の姉は故郷にいるはずなので、ここには絶対に現れるなずはない。


 「そう、あれが君達の一番大切な人なのね」

 

 館の声が何か言ったかと思えば、吊るされていたシャンデリアは、上部が何かに切断され、ロビーに立っていた二人に向かって落ちていく。


 「お父様!!!!!!」


 シスタンは聞いたこともないような声で叫び、シャンデリアの落ちた館の中は暗くなり、どこからか現れていた蠟燭が肖像画の周りを照らすように並んでいる。


 「うるさいぞ、客人。右の通路を見てみろ」


 館の声に促されるようにロビーの右側二階の通路を見てみると、二人が扉の前に立っていた。蠟燭の明かりに照らされている廊下を歩き、私達は二人の元へ行く。

二人のもとにやってくると、二人は私達の目の前の扉の先に消えていく。


 「さぁ客人、中に入るがいい」


 促されるように扉を開け中に入ると、中には先程の二人ではなく、人影のようなものが二つあった。

部屋の中は暗く、フェンスの外側で見たような暗闇が、部屋の家具や壁にカーテンのように覆いかぶさっていた。


 「これから語るのはある幸せな夫婦の話」


 館の声が部屋のどこかから響き、その声と共に暗く、カーテンに覆われていた家具や壁は、命を吹き込まれたかのように暗闇が晴れ、鮮やかな彩りになっていき、新しい部屋に生まれ変わっていった。


――これはずっと昔のお話。

この物語の主人公は、どこにでもいるある女性。その女性は、長年思い焦がれていたある男性と結婚することが出来た。順風満帆な生活を男性と共に送ってきた。

時には男性の仕事である農作業を共に手伝い、二人して土にまみれ笑いあい、昼時になれば農場から少し離れた場所で、小鳥たちの鳴き声を聞きながら作ってきたお弁当を一緒に食べたり、

休日のある日、どこかへと出かける訳ではなく、庭のテラスで紅茶を飲み、些細なことで笑いあったりし、ゆったりとした時間を過ごしたり、

その夫婦はとても幸せそうに過ごしていた――


 館の声は消え、部屋の中は暗く、家具や壁は暗闇に包まていった。

後ろで扉が開き、館の声は聞こえないが『出ろ』という意思を感じる。

シスタンの手を引き部屋を出ると向かいの廊下に二人の影が見える。


 「思っていたような恐ろしいものじゃなかったですね、ブルハ先生」


 シスタンはそう言うが、だからこそより恐ろしい何かが待っているのではないかと。なんにせよ、気を緩めることは出来ない。館の声の思惑にのるのは癪だが、脱出の鍵は必ずどこかにある。

私達は先程と同じように、二人のもとに向かうのだった。


 「やぁ客人さん!どうぞ中にお入りください!」


 扉の前まで来ると、先程と同じように二人は消ると、館の声が聞こえるのだが、先程の声とは口調も声も変わっている。だが館の事は気にすることはないのか、はたまた気付いていないのか、扉の前の私達に、中に入るようにと、催促してくる。


 中に入るが、そこには同じく二つの影と、暗闇に包まれた家具などがある暗い空間だった。そしてまた館の声と共に明るく鮮やかな部屋に変わっていった。


 「これから御覧に入れますは、ある友愛に満ちた二人の話」


――これは昔の話。

この物語の主人公はある男性。その男性には幼いころからずっと共にいた幼馴染がおりました。共に成長し、共に遊び、共に勉学に励み、共に鍛錬をし、共に大人になっていきました。そしてそのまま、二人は結婚し、生涯を共にいることを誓いました。

その言葉に偽りはなく、結婚してからもずっと二人でおり、仕事や鍛錬のない休日には、共に朝がくるまで書を読み続けては、互いに意見をぶつけ合ったりもした。たまにはそりが合わなかったり、些細なことで喧嘩もしたけれども、すぐにお互い仲直りするくらいに仲が良かった。

仕事では別々だったけれども、いざ戦いとなると互いに背中を預けあう程、戦いのコンビネーションも良かった。

その幼馴染はとても友愛に満ちていた――



 「さぁ客人、どうぞお入りください」


 また同じように部屋を出ては、二人の影を探し、扉の前で消えれば、どこからか声がし、部屋の中に入れば物語に始まりと共に部屋は明るく鮮やかになっていく。

 

 「これからお目にかけますは愛情ある家族の話」


――昔々のある家族の話。

この物語の主人公はある男性。男性とその妻の間に初めての子供が産まれた。夫婦はそこの子供を大変可愛がっていた。子供のうちに出来る限りのことをしてあげようと、絶対に安全である場所にたくさん連れて行ってあげたりしていた。その夫婦にとって、子供の笑顔は何よりも幸せなものだった。

母親は、子供の泣き声にも顔色一つ変えることなく、飛び切りの愛情をもって子供に接した。

父親は、家族を養う為に仕事をしては、家に帰った時に見られる子供の笑顔がとても愛らしく、子供のためならば何でもできると思えるほどだった。

父親はどんな苦境でも、苦戦でも、帰りを待つ妻や子供のために必ずどの戦場でも生きて帰り、妻や子供に『ただいま』といえば『おかえり』と笑顔が返ってくる生活を守った。

その家族は愛情にあふれていた――


 先程と同じように部屋から出たのだが、二人の姿が見当たらない。まだ先程の部屋の中に何かあるのかと振り向いても、そこには何もない暗闇が広がっているだけだった。

 

 「次はどこに向かえばいいんですかー、私達を出す気になりましたかー?」


 「うるさい、ロビーに下りればわかる」


 館の声は最初の声に戻っており、口調も戻っていたが、私達を出すつもりは無いのか、またそれっきり声は途絶えてしまった。


 ロビーに下りると、階段の脇道の奥にうっすらと二人が見えるので、そこに向かって歩く。また同じように二人のもとに着くと、どこかに消えてしまう。

シスタンは入ってきた時よりも少し顔色がよくなっており、少しだけ警戒心を解いてしまっているようにも観える。まぁ何かあれば守ればいいだけの話なので、気楽にしてくれる方がありがたいのだが。


 「さぁさぁお客人、入った入った」


 そこは先程までの空間と違い、暗くはあるものの家具や壁は見える状態になっており、そこはフライパンや、洗い場が並んだキッチンだった。そんな普通のキッチンなのだが、気になるところがあり、蛇口から水が出っ放しになっていた。うるさいので止めようと思ったのだが、捻る場所が見当たらず、諦める。語り部と共にキッチンが色づいてく。


 「これからご賞味いただきますは、ある少年の努力と理想を追う話」


――これは昔の話。

この物語の主人公はある少年。少年にとってあるレストランで働く女性はあこがれの存在だった。それは女性のように料理人になりたいという訳ではなく、女性の立ち振る舞いに憧れていた。キビキビと働き、笑顔で接客し、同じ従業員が何か悪く言われていれば、真っ先にその従業員を守りに行っていたり。少年にとってその姿は理想的な姿だった。

少年は理想に近付くために努力した。魔法を学び、勉学に励み、恐れないように精神力を鍛え、一歩でもあの人に近付けるようにと。

そして青年は、憧れの女性に自分の正直な気持ちを伝えた。その結果は大成功。憧れの女性は、努力の果てに魔物との戦いで戦果を挙げたその青年のことを知っており、青年のその提案に応えた。

これは努力で理想に触れた少年の話――


 部屋を出ると、またどこにも二人の姿はなかった。

今度は私が声をあげるよりも先に館の声がした


 「ロビーに戻るがいい。そこで君達を待っている」


 ロビーに戻るとそこには二人の姿の代わりに、グランドピアノがロビーの中央に置かれていた。ロビーの中央には粉々に砕けたシャンデリアがあったはずだが、それも消えていた。館の声は、最初の声で語りを始める。


 「これから君達に見せるのは、ある少女の憧れと平穏の話」


 館の声と共にロビー全体が別の空間へと変化していく。閉ざされた空間の何処からか大綱の光が差し込み、空間を明るく灯す。依然としてグランドピアノはその中央に鎮座するままに物語は始まった。


――これはまだまだ最近のお話。

この物語の主人公はある少女。その少女は、ピアノを弾いていたある男性に一目惚れしてしまう。その男性の奏でる旋律はとても優しく、それでいて情熱的で少女の好き音色だった。この少女は最後まで男性と良い関係になることはなかったが、それは世界の常識に判断されることなだけで、少女には十分な関係性だった。共に音楽の事について時間が許す限界まで語り合ったり、共にピアノを弾いたり、男性の事については深く知ることはなかったが、少女にとって男性はあこがれともいえる感情を抱く相手であった為、男性と会い、共に語らうことが出来るのならばそれで十分だった。

――これは少女の憧れと平穏の話。


 光景が元に戻ると、二人は私達の前で立っていた。シスタンは国王に手を伸ばすが、モヤのように消え、触れることが出来ない。


 「君達は大切な人がなくなってら、どう思う?苦しみ?悲しみ?絶望?――分かる筈無い。経験したことがないのだから」


 館の声がまた何か語り出したと思い、反論しようと声を上げようとした瞬間、目の前にいた二人は血を流して倒れる。

私の姉は腹部を何かで貫かれ、国王は何かに首を嚙み切られ。

それと同時に館の中の蝋燭はすべて消え、館の声の主は姿を現す。それは形あるものではなく、炎のように揺らめく何かだった。


 私は死んだ姉の姿を見て、何かが爆発するような感情にはならないが、杖を握るその手は、無意識に強くなっていたのか、血が垂れていた。

そんな私とは対照的に血相を変え、何かに向かって攻撃魔法を放つが、何事もないかのように何かをまた語り始める。

その声と共に、暗かった辺りはまた明るくなっていき、初めに入った部屋のような光景をに変わっていったが、うっすらと視界に入ったその光景は血にまみれており、見るに堪えないものだった。その変わった光景の中でも死体は変わらずそこにあった。

 

 「これはある幸せな夫婦のその後の物語。ある女性は、いつものように男性が返ってくるのを待っていた。が、その日は世界にとって最悪の日だった。

何気ない筈の一日は、世界に魔力溜まりが生まれ、魔物が発生した日だった。男性の帰りを待つ女性に届いたのは、近くの農場が何かに襲われた、という知らせ。その女性は嫌な予感を感じながらも、男性の帰りを避難した場所でずっと何かに祈るように待っていた。だが、時間は過ぎていく一方で男性は帰ってくることはなかった。そしてそのまま二度と!遺骨の欠片すら戻ってくることは無かった。幸せな日々は絶望に変わる果て、いつかの紅茶のカップには真っ赤な血で満たされていた。あぁ、こんな絶望、死したところで消えるものではない……」


 光景は変わっていくが、やはり血にまみれている。

 

 「これはある友愛に満ちた二人のその後の物語。背中を預けて戦う二人の幼馴染は魔物との戦闘をしていた。だが今回ばかりは相手が悪かった。たった一体に魔物相手に二人は逃げることもできないまま、戦うことを余儀なくされていた。助けを呼びはしたが、間に合わなかった。魔物の凶刃は女の体を無情にも貫いた。それを目の前で見ていた男はその場で崩れ落ち、魔物の凶刃が男を貫く直前、凶刃は助けに来た魔法使いたちによってはねのけられ、男は助かることができた。魔物が倒れるその傍に倒れているのは、女の死体。それは怨嗟。常に共にいると誓った妻を殺されたことの怨嗟でもあり、守り切れなかった自分自身に対する怨嗟。そして助けが遅かったことに対する怨嗟。あぁ、共に呼吸を合わせた日々はすべて過去になり、そこには一人分の呼吸と一人分の遺骨しか残らなかった……」


――――――――――――――――


 「これはある愛情に溢れた家族のその後の物語。男は遠方での魔物の討伐が終わり、やったの思いで家の周辺に帰ってくることが出来た。だが家の周辺には何故か人で騒がしくなっており、随所から聞こえる声は、男に不安を募らせていく。家に近付くにつれ、段々と人が多くなってくる。人混みをかき分けた先に見える光景は、おかえりを言ってくれる妻も、愛らしい笑顔を見せる子供も、そしてもはや家すらも瓦礫と化していた。帰るべき場所は魔物の襲来により、がれきの山となり妻と子供は形すら定まらない肉塊へと変わり果てていた。愛情をかけるべき相手、守るべきたった二つの命を守ることのできなかった男は悲嘆にくれた。あぁ、悲しいかな、魔物を討伐し誰かの命を守った男は、代わりに自らの一番大切なすべてを守れなかった。男は悲嘆にくれるしかなかったのだろう……」


――――――――――――――――


 「これはある少年の努力と理想を追った、その後の物語。憧れの人とやっと共にいることになった青年は、魔物討伐の増援要員として戦いに駆り出されることになった。行ってきますと言えば、いってらっしゃいと返ってくる理想の一日が今日から始まるはずだった。魔物討伐の前線で戦っていた青年は交代休憩の時にある伝令を耳にする。それは青年が住んでいる国が魔物に襲われているという知らせ。その青年は部隊長に何とか頼み、国に向かう許可を取り、とにかく急いで向かったが、それは無駄に終わる事になる。憧れのあの人は逃げ遅れた子供を庇い死んだ。努力の果てに、やっとの想いで掴んだ理想。あの人にやっと届いたと思った手は、自己犠牲すら厭わない憧れの人にもう二度と掠ることは無くなった。少年が積み重ねてきた努力は、この時をもって泡のように消え、努力は慟哭の二文字に変わっていった。あぁ、なんて悲しい末路だろうか、鍛え、伸ばした手は最後の最後までその人に届くことは無かった……」


――――――――――――――――


 「これはある少女の憧れと平穏のその後の物語。憧れと平穏をピアノとそれを弾く男性に感じていた少女はある日を境にすべてを失うことになる。生きてさえいれば、大切なものはまた新しく生まれるものだが、少なくともこの少女はそうではなかった。男性と共に弾いたピアノは無情にも破壊され、旋律に意味は変わり始める。それだけならばまだよかった。また違うピアノを二人で弾くとこが出来たのならば、それは新しい旋律の始まりであり、序曲を奏でることが出来る。だが、その女性に届いた旋律は男の死亡を知らせるたった一枚の張り紙。男の死はまるで、最悪の旋律を奏でる楽譜の中の、ただの記号かのように、他の記号と一緒に書かれていた。その旋律は、少女がすべてを失う程の喪失感を感じるには十分だった。あぁ、悲しいかな、我には旋律の事は分らないが、とても深い悲しみの中で喪失感に支配されるのは無理もないことだろう……」


――ようやく光景は元に戻ったかと思うと、足元から真っ黄色の菊の花が咲き乱れてくる。シスタンの方を向くと、ガタガタと震えていたので、私は急いでシスタンの手を握り、大丈夫だと語りかける。館の声の主は、そんな私達を構いもせず、喋り始める。


 「これらはただの別れの記憶ではない。人々の悲哀の記憶だ」


――そうだ!そうだ!私たちの悲しみを知れ!――俺たちの絶望を知れ!――我らの悲哀を知り!お前たちもここに堕ちるがいい!!!


 館のいたるところから声が聞こえてくる。それは、口調も声も、深い感情も、それぞれが違うことを言っているが、一貫してそれらの感情は悲哀、別れにまつわる感情を叫んでいた。


 「君達も大切な人がの前で死んで、絶望を感じたはずだ。さぁ見てみるがいい、あれらが人の末路だ」


 薄暗い館を見回せば、壁に飾ってある無数の肖像画が目に入り、その肖像画の亡くなったであろう人の方にバツ印が付き、肖像画にはたった一人が残る形になっていた。


 シスタンは握っていた私を振り払うと、館の声の主に対して吠える。しかしその叫びとは裏腹に手は震え、足はぐらつき立っているのも精一杯な様子だったが、私はその姿を見守る。


 「これは、あたしたちの末路じゃない!あたし達の死には栄光がある!」


 「では何故!戦う事の出来ない無垢な人々は死んだというのだ!抵抗の一切をすることなく殺された人々にも栄光はあるというのか!!」


 「それは…………」


 「我らの願いは愛しいあの人にもう一度逢いたい、そんな願いだったのだが……」


 「じゃあ、なん……」


 「黙れ…………が、この館に入ってくる生身の人間は、みな心の中に大切な人がおり、その大切な人と逢う事が出来る。羨ましい。ずるい。お前たちも我らと同じ苦しみを味わえ!結果、悠久の時間の中で我らは変わり果てた。――――そこの足の震えている少女よ、もし大切な人を失いたくないのであれば、先にお前自身が消えてしまえば誰も失うことは無いぞ」


 「そ、そんなのふざけてる!」


 そう豪語するシスタンは、まだまだ震えっぱなしだ。これ以上はシスタンの精神力が持たないだろう。そろそろ私の出番だ。

私はシスタンの肩を強引に掴むと、力強く引き寄せる。


 「シスタン、私を見ろ!ここにある強い思いは、すべてが負の感情だ。幸せの側面はここには無い、失うことで生じるどうしようもない感情だけがここを形作っている。人生は――」


 人生は必ず別れが伴うものだが、何も人生は失うだけの旅路じゃない。何かを得るのは、何かを失う事と同義だが、その重さは均等ではない。ここで見た記憶の人達のように、どうしようもなく打ちひしがれて立ち直れない人は必ずいる。しかし、それと同じく、どんなにつらい別れ、悲劇的な幕引きを迎えたとしても、乗り越え、痛みを忘れることなく、泣きながらも前に進んで行く人も必ずいる。死は、別れは、必ずしも否定的なものなだけじゃない。


 「シスタン、あなたはそれをよく知っている筈です。あなたの祖先の生涯は、胸の中に炎を灯してくれた、そんな偉大な存在だったでしょう?」


 死と別れは何もその時代の人だけが感じるものじゃない。過去の出来事、過去の人々の願いを背負って私達は日々、前に進んでいる。国には魔力障壁で護られ魔物が侵入してくることは無い。そして過去の英傑達は死して尚も未来の私達、そしてその未来の誰かに思いは受け継がれていくだろう。


 「シスタン、少しだけ目を閉じ、耳を塞いでいてください。必ずあなたをここから出しますから」


 シスタンは私の言う通りに目を閉じ、耳を塞ぐ。シスタンの肩から手を放し、杖を床に打ち立て、私は何かを睨む。


 「あなたは間違っている。大切な人を失わないために己が消えればいいなんて、とんだ暴論ですよ」


 「お前は別れを知らない!絶望を知らない!!」


 当然私はまだ経験したことは無い。離別も、忘失も、喪失も、悲嘆も、慟哭も、絶望も。私はそんな感情まだ知らないけれど、何故か知っているように気がする。


 どこかで大切な人を亡くした気がする。それは私にの光であり、傍に立って戦う優しくも勇敢な人だった。けれどいつかの戦いの後、魔物の全滅と共に大切な人がその戦いで亡くなったという知らせを受けた。

その時、私がどう思ったのかはあまり思い出せないが、記憶の中の私はずっとずっと泣いていた。一日や二日どころではなかった。一週間?二週間?そこら辺の記憶は、その先の記憶と同じく思い出すことが出来ない。


 でも結局のところこの館の形作っているであろう想いである負の感情とは、分かり合うとこは出来ない。ここで命果てるつもりなんてさらさらないし、私はここからシスタンを出すことを誓った。

だから私は脱出するために、この館の想いにとって最も残酷で幸福な、ある事をする決意を決める。

それはこの想いにのすべてに向けての魔法であり、何かに対しての魔法である。そしてブルハの記憶にある誰かのための魔法でもある。


 夢とは一瞬で覚めてしまう幸福な出来事。一度起きれば幸福な出来事は消え、向き合わなけれない現実がやってくる。絶望に塗り固められた記憶にも、ひと匙の幸福があっていい筈だ。でもそれは起きてしまえば絶望が二倍にもなってやってくる。ここの想いには悪いが、これしか方法は無い。


 何かは私の魔法を止めようと、モヤの体で向かってくるが私の詠唱はもう終わった。せめて、安らかな夢を見ることを私は願っている。


――頭に当たる柔らかい感覚、ゆっくりと目を開ける私の目の前には少女の顔があった。

 

 「ザーレ?」


 「シスタンですよ?ブルハ先生」


 私の事を膝枕していた、その少女シスタンは横になって違う名を呼んだ私に小首をかしげて私の方を見る。しばしの静寂の後、私はシスタンの膝から起き上がる。


 「もう少しだけ寝ていてくださいよー」


 私はシスタンを無視してその前にある館を眺める。流石にあのすべての想いに応えることは出来なかったが、私達は何故か出てこれたので、それでもう十分だ。私はシスタンの方を振り向き、シスタンの顔を見ると安心し、緊張の糸が切れたのか、私の意識はそこで途切れた。


 「せんせーーーーーーー」


 悲哀の館は、この先の未来も消えることは無く、ずっと存在し続ける。人の誰かを想う想いは、消えることは無い。そして悲しみの感情、別れも人の人生に置いて消えることは無い。そしてそれはブルハ・レクエルドも以外ではない。

ブルハ・レクエルドは遠くない未来、大切な誰かを目の前で失う。


――まぁ、まだまだ先のお話である。

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