12.5頁 魔法使いと魔狼 その2
魔狼様に近づいた時、嗅いだことのない獣臭が鼻に突き刺さるように匂った。何者か、と問われていたにも関わらず、あまりの匂いに気付けば違う言葉が出てしまっていた。
「も、申し訳ありません」
魔狼様は私の失言に怒るでもなく、特に何の反応も見せていないが、少しだけ耳が垂れ下がっており、凶暴そうにぎらついていた眼は緩んでいた。
「――付いて来るがいい」
魔狼様は、最初に私達に語りかけた威厳に満ちた声色ではなく、だいぶ萎れた声で語りかけてくる。
先程まで大きく見えた輪郭は、みるみると小さくなっていくような気がして、わざとではないにせよ、流石に申し訳なくなってきた。
「ブルハ先生、人の言葉を喋る狼様なんて、あたし初めて見ました!」
魔狼様の後ろをついて行っている中で、当たり前のことを指摘される。特に何とも思っていなかったが、言われてみれば会話をしていた。いや、会話はしてないのだが。
魔狼様について行き、森を抜けて湖の近くまでやって来た。私の言葉に相当傷ついてしまったのか、無言で魔狼様は湖の中に入っていく。
やはり魔狼様の体はあの森で見た時よりも小さくなっており、サイズ的には野生生物の狼と同じくらいにまでなっている。ただ、そのサイズでも入念に体をキレイにしたいのか、湖に入って1時間程経ってようやく湖から出て来た。
魔狼様が体を振るって水滴を飛ばすその様子は、前にもどこかで見た気がするするのだが、いまいち記憶にピンとこない。
強い獣臭が消えた魔狼様から感じるのは、魔物とは違い、どちらかと言われると魔法使いのような魔力の雰囲気だった。
「我の名はイズモ。貴様達は呼び捨てでかまわん」
イズモと名乗った魔狼様は、森で見た時のサイズに戻り、私達2人にそう言ってくる。毛艶の良くなった体毛を風に靡かせながらイズモは、私の方を不服そうな眼で見ていた。
「先程は失礼しました。私はブルハ・レクエルドと申します」
シスタンの方を向いてシスタンにも自己紹介を促す
「こんにちはイズモ。あたしはシスタン・レンティスといいます。よろしくお願いします!」
不服そうな眼をしていたイズモは、シスタン・レンティスという名を聞くと、眼の色が変わったようにシスタンに詰め寄る。
「あのレンティスの子供か」
イズモはレンティスの名に聞き覚えがあるらしく、シスタンがその話を聞きたそうにしていたので、イズモはその話をしてくれる事になった。
「いつの時代だったか――」
はるか昔の時代、その時代から生きていたイズモは第一大戦を経験していたらしく、レンティスのその祖先は、その時代最強の魔法使いであったらしい。得意魔法である火魔法で常に全線に立ち続け、人々を魔物から守り続けたという。産まれたばかりのイズモは、レンティスに一度助けられたことがあり、第一大戦時代に少しだけ共に居てたいたという。その後、時代が移り変わろうと、その名も、レンティスという名も様々な場所で耳にし、語られていたという。
「あの男は本当に高潔で誇り高いだった」
隣でその話を聞いていたシスタンは、胸に手を当て杖を強く握りしめていた。いくらレンティスの名がこの世界に刻まれ、教科書に載り誰もが知る人になったとしても、レンティスと共におり、その勇姿を間近で見ていたイズモの言葉は、シスタンにとって何よりも変え難い学びとなったんじゃないだろうか。
「あたしの古いご先祖さまの勇姿を聞かせてくれてありがとう、イズモ」
今のこのしんみりしている雰囲気の中で訊くのははばかられるかもしれないが、私はそんなイズモの話の中で気になったところが一つだけある。
「イズモは産まれた時から魔力を持っていたのですか?」
産まれたばかりのイズモは、レンティスに助けられたと言っていたのだが、イズモは産まれてから今までずっと魔力を持っていたのだろうか。私の知る限りでは、魔力を持つ生物は人間、そして魔力溜まりから発生する魔物だけだ。
「――少しだけ長い話になるぞ」
我は元々ただ狼だった。ある日群れから逸れてしまった我は、当てもなく彷徨っていると、見たこともない化け物に襲われ、なんとか命からがら生き残ることができた。
だがそれはその場で死ななかったというだけの話で、我の死は、ほんの一歩で届く距離にまできていた。あの時の感覚は今でも忘れ去ることができないほどに我自身に刻み込まれている。
焼けるような痛みがしたと思えば、身体中の感覚という感覚が無くなっていくという感覚。体は全くもって動かないのに対して、何故だか頭の中は異常なほどに働く不思議な感覚。そして自らの呼吸すら段々とままならなくなっていった。
だが我にとって忘れられない感覚とは、痛みの感覚ではなくその後の事だった。
死の間際、我は純粋な願望として『生きたい』と強く願った。我を瀕死に追い込んだ化け物を倒したいでもなく、生きて何がしたいでもなく、ただ生きたいと、そう願った。
強く願った時、我の動かなくなった体に何かが流れ込んでくるのを感じた。体の中に流れ込んできたそれは、一瞬にして体全域に広がり、瞬く間に我の体は嘘のように再生し、我は今の姿に変化した。その後、回復した我は逸れた仲間を探して、様々な場所に向かい、様々な人間や生物と出会い、そして化け物達と戦ってきた。もはや仲間を探す事はとうの昔に諦めたが、我の体は朽ちることなく今の今までまで生きながらえてきた。
イズモの昔話を聞いた後、私達は湖から離れ、また森へと戻って行った。イズモの大きな後ろ姿を追いかけながら、私は魔力について考えていた。
私達魔法使いは魔力を魔法を使うエネルギーとして考えている。
けれども、イズモが知覚した魔力というのは、魔法を使う為のエネルギーという側面と、魔物が持つ自己治癒能力と似ている。
その発端になった強い願い。
――魔法使いと魔物以外に流れる魔力、今まで少しだけわかったつもりでいたけれども、まだまだ知らない事ばかりだ。
「聞いていなかったが、貴様達は何しにきたのだ」
イズモと最初に会ったところまで戻ってきた私達は、当初の目的を果たすために少女から預かった捧げ物をイズモに献上する。
「イズモに捧げ物を持ってきたんですよ」
イズモは、私が持ってきた捧げ物を見ると、その大きな口から大きなため息を吐く。その眼は不満げ、というよりかは呆れているようにも感じられた。
「我は捧げ物は要らぬ、と言っているのだが………」
そう言いながらイズモは、またサイズを小さくしたかと思えば、持ってきた捧げ物を置けと言い、置いた捧げ物を無言でむしゃむしゃ食べ始めた。
「イズモは果物がとてもお好きなんですね!」
こら、シスタン。相手が人だろうと魔物だろうとなんだろうと、言ってはいけないことがある。イズモは要らぬ要らぬ、と言いながら、それに反するように捧げ物を美味しそうに食べている。とてもお腹が空いているのか、捧げ物がとても美味しいのか、まぁ色んな意味でイズモが可愛く見えてくるので有りではあるのだが。
「わ、我は眠りから醒めたばかりだったのだ。腹くらい空くであろう」
イズモはふてくされたのか、私たちとそっぽを向いて捧げ物を食べ始めてしまう。いくら魔力で長い時間を生きている魔狼でさえも、生物と同じように空腹を感じるようだ。
「それで、貴様達はこれから何処に向かうのだ」
捧げ物を食べ終わったのか、満足げなイズモは私達に向き直りそう問いかける。
「あたし達はティトゥーラに向かっています!」
私より先シスタンが答えると、イズモは少し怪訝そうな眼をして私達を見つめる。もしかすると、ティトゥーラについて何か大事なことを知っているのだろうか。
「…………ティトゥーラとはどの方角だ?」
眠りから醒めたばかりだとイズモは言っていたが、どれくらい寝てたというんだ?ティトゥーラはプリンシオに次ぐ長寿国家な筈だが、寝起きでボケてたりするのだろうか。本当にイズモは何なんだろうか。
「ここからだと、東の方だと思いますよ」
私がそう答えると、またイズモは怪訝そうな眼をしてこちらを見つめてくる。方角すらわからないのか、私がその方向を指差す。
「ティトゥーラに向かう道中には気をつけるがいい」
先ほどまでの緩やかな雰囲気は消え去り、始めに出会った頃の不思議な雰囲気に変わっていく。私達が『何故』という言葉が出せずにいると、イズモは気をつけるべき理由を教えてくれる。
「我にも通づるが、この世界の魔力は、強すぎる願いに応えてしまう。ティトゥーラに向かう道中に在るのは、そんな強い思いが魔力を介して形を成した、ある場所だ」
私達はその話を聞いて唖然とするしか無かった。魔法使いにおける魔力とは、魔法を使うためのエネルギーであり、魔物にとっての魔力も己を構成する要素の一つでしかないと思っていた。
魔力が願いに応える、なんていう話は聞いたことが無かった。
なんらかしらの強すぎる願い………まさか――
「では、魔力溜まりも、誰かの願いだと言うんですか!」
魔力溜まりとは魔物が発生する謎の物体の名称であり、現在では、世界が生み出し、抱えていた魔力が許容限界を迎え、魔力が爆発するかのように世界に吐き出された。それを皮切りに魔力溜まりが生まれ、第一大戦が起こったとされている。もし魔力溜まりが誰かの強い願いによって生まれたのだとしたら、人は何の為に………
「いや、貴様の言う魔力溜まりとは人の願いではない、が我にもアレが何かわからん」
流石の魔狼様でも産まれた以前の事だったらしく、詳しい事はわからないそうだ。イズモは魔力溜まりに対して、どうにかその存在を消してやろうと持ち得る限りの手段で攻撃したのだが、魔力溜まりは一欠片も欠けることはなく、何も起きる事はなかったそうだ。
魔力溜まりが人の願いによるものではないことを聞いて、少しだけ安心した。
「大丈夫ですか?ブルハ先生」
隣にいたシスタンは私のいつもとは違うその雰囲気に、困った顔で私のことを心配してくれる。まだイズモには聞きたいこともある、私は大きく息を吸う。
「――平気ですよ、シスタン」
シスタンは、まだ困った顔で私を見つめてくる。
なら、そんなシスタンにも良い物を見せてあげよう。
私は肩から下げていたカバンからある物を取り出す。
「シスタン、そしてイズモ、この本の内容を読むことができますか?」
私は、ある謎の空間に入った時に手に入れた一冊の本をシスタンに手渡す。シスタンはページをパラパラとめくり、分厚い本の内容を読んでいく。
一方、イズモは本に興味を全く示すことなく、また私の方を不満げに見つめている。数千年も生きてるのだし昔の事も知っていると思ったのだが、長年生きている事だけに着目しすぎて、私はあることを忘れていた。
「貴様は我を馬鹿にしているのか?狼である我がヒトの文字なんぞ、読めるわけなかろう」
全くもって理に叶い過ぎている主張だ。さも当たり前のように人の言葉を喋るものだから、完全に頭から抜けていた。
「申し訳ないです。悪気があった訳では」
「何ですかーこれ!全く読めないですよ!先生!」
途中で読むのを諦めたのか、シスタンは本を私に押し付けてくる。
流石にシスタンには読めないとは思っていたのだが、最後のページまでたどりつかなかったのを察するに、案外シスタンには堪え性がないらしい。
というか、何気に抱きついて来るのをやめて欲しい。
「分かったぞ」
隣でボソッと聞こえたイズモの声に私は、シスタンに抱きつかれていることを忘れて振り向く。
魔導歴1年に書かれた内容を理解できるとなると、新しい魔法を憶える事ができるどころの騒ぎじゃない。
現代の魔法使いにとって、とんでもない進歩になる。
「この本からはとても懐かしい匂いがする。そしてその匂いはブルハ、貴様からも匂う」
イズモは私の目を見ながら、大真面目にそう言ってくる。読める事はもう期待していなかったのだが、変に期待させるはやめて欲しい。理解することが叶うのなら、本当にとんでもないことになる代物なのだ。
まぁ、まだ魔法のことについて書かれているのかすら分からないが、理解のできない内容となると、日記などでは無いことは確かだ。
「匂いのことをまだ気にしているんですか?」
私の相手を茶化すような態度とは逆に、イズモはまだ私の目を見ながら、無言の圧力で私に語りかける。
私だって期待を裏切られたようなものなんだから、ちょっとくらいふざけたことを言っても許される筈だ。
お互いに無言の時間が続き、シスタンの声で秒針は再び動き始める。
「痛い、ひどいですよ先生………」
のそのそと起き上がったシスタンは、私とイズモの間に割って入る。
ふざけて私に抱きついて来たりするのが悪いんだ。ちょっとくらい痛い目を見ないと分からないのだろうし、良いお仕置きになっただろう。
わざとでは無いが。
「まぁ良い。どう思おうが、貴様の勝手だ」
「そうですね。どう思おうが、あなたの勝手ですし」
それが本当のことか、はたまた気のせいなのか、それは今のブルハは知る必要な無いこと。心の片隅にありさえすればそれで十分な事。
もしブルハがその言葉の意味を知ったとしても、それでもブルハには気に留める程度のことかもしれない。でも、それはずっともっと先のお話。
これはプルハが自分を知るための些細なきっかけに過ぎない。
「では、もう行きますね」
「また会いましょう!イズモ!」
私達はイズモに別れを告げてティトゥーラを目指す。
森を離れる直前、イズモはこう言っていた。
「もし助けが必要なら我の名を呼ぶが良い。貴様達は特別に助けてやろう。集落の者にもよろしく伝えておいてくれ」
面倒くさい役回りを押し付けられたが、私も集落の人達にはとても感謝している。
あの女の子にも、集落の長にも感謝を告げて出て行かなくては。
私達の次の目的地はティトゥーラだが、その前にある場所に辿り着く事になる。迂回をすれば行かなくて済む場所だと言われていたが、行かない理由は無い。シスタンにもちゃんと合意をとっての事だ。
何が起こるかも分からない旅路というのが1番面白いのだから。
にしても、イズモはあの巨体でからは考えられない程、臆病というかなんというか、魔狼様と集落で崇められているような威厳に満ちた守り主、という姿とは全く想像と違った。
だから人類とあまり会う事なく、教科書にもイズモの名は無かったのだろうか。
「では皆様、ありがとうございました」
「ありがとーございましたー!」
集落の人達にイズモとの一件を話すと、何故かすごいだのと持ち上げられ、片手に収まらないほどの食料をもらってしまった。
集落の人も何故か喜んでくれて、私達も相当助かった。とても良い1日だった。
改めて、私達は、魔狼に護られた集落を離れ、ティトゥーラへの旅路を再開するのだった。




