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そしてそのまま時は流れ、息子が十歳を迎えた。
私は息子を学校に通わせたいと考えていた。学校は十一歳から十六歳まで通うことができるのだが、富裕層向けなので学費がかなり高い。それでも息子にはたくさんの経験をしてほしいと思っていたので、夫に相談することにした。夫のことはすでに見限っているが、息子の父親という事実は変わらない。それにまだ夫婦である以上、一人で簡単に決められることではないので相談してみたのだが、返ってきた答えは予想していた通りのものだった。
『金はお前が払え。俺は絶対に払わないからな』
夫は自分が学校に通えなかったからという理由で、息子を学校に通わせたくなかった。たとえ息子でも、自分より上になることが気に入らなかったのだ。だから夫は絶対に無理な条件を言ってきたのだが、私は自分の食事を削ってでもなんとか毎月の学費を工面し、なんとか息子を学校へと通わせることができた。
そんなある日の夕食後、私が台所で片付けをしていると三人の会話が聞こえてきた。
『学校すごく楽しいよ!』
『それはよかったわね』
『それに友達もできたんだ!お父さんが学校に通わせてくれたお陰だよ!』
『そうね。お父さんがケインのためにたくさんお金を払ってくれたの。だからお父さんに感謝しないとダメよ?』
『うん!お父さんありがとう!』
『あ、ああ。大切なお前のためだからな!親としてこれくらい当然のことさ!』
『やっぱりお父さんは頼りになるね!……それに比べてお母さんは全然役に立たないよね。貴族だったのにお金も出してくれないし、見た目もみすぼらしくて恥ずかしいから友達に会わせられないよ。あーあ、ララさんが僕のお母さんだったらよかったのに』
『ふふっ、ケインの言う通りね』
『ああ、困った母親だな』
ハハハと、笑い声が聞こえてくる。私は洗い物をしていた手を止め、ギュッと強く握りしめた。
義母が息子を育ててきたので、私のことを悪く言っていることはわかっていたし、義母の影響を受けて息子が私を嫌っていることも知っていた。それでも自分が命懸けでお腹を痛めて生んだ子だ。親としての責任があったし、いつかは母親として認めてもらえるかもしれないと信じて夫とは離婚せずにこの生活を耐えてきた。だけどすでに息子の中で私は役立たずな母親の烙印を捺されていて、さらには夫の浮気相手が母親だったらいいのにと願われる始末。
虚しかった。
そしてこの家には私を認めてくれる人間は誰一人いないことを、ようやく受け入れることができた。
そんなに役立たずが不要と言うのなら、お望み通りいなくなってあげよう。両親のお陰で離婚はすぐにでもできる。だけど何事にも準備が必要だ。それに役立たずと思われていたとしても、息子は私の子だ。どんな理由であれ息子が大人になるまでは、責任を持って育てなくてはならない。だからここを出ていくのは、息子が成人を迎える十五歳の誕生日の翌日と決めた。
この日、“役立たずの私”はいなくなることを決意したのだ。