3
結婚して一年が経つ頃、私は妊娠した。
幸いなことにつわりはほとんどなく、出産も初産とは思えないほどの安産であった。生まれた子は夫にそっくりの男の子。
子どもはケインと名付けた。
慣れない結婚生活もすべてこの時のためだったと思えば、今までの辛いことはすべて忘れることができたし、この子のためならばなんだってしてあげたいという気持ちになった。これから始まる育児に希望を抱いていた私だったが、その希望はすぐに打ち砕かれてしまうことになる。
義母に息子を取り上げられてしまったのだ。
返してほしいと懇願しても、これがこの家の決まりだと言って全く聞き入れてもらえず、私は夫に助けを求めたが、母親がそう言うのであれば仕方ないと取り合ってもらえなかった。
この時、夫にひどく失望した。
結局私は子どもを抱っこすることすらできず、その代わりに義母から暇だろうからと、義両親の家の家事を押し付けられた。
そんな生活を三年以上送った、結婚生活六年目の冬。
この年の冬は流行り病が各地で蔓延し、私の両親が相次いで亡くなったのだ。私は両親の訃報を聞いてすぐにでも領地に向かいたかったが、義父も同じ病で亡くなりそれどころではなかった。商会長の席を空けたままにするわけにもいかず、すぐに夫が後を継いだが、後を継ぐのは十年は先の話だったこともあり、引き継ぎが全くされていなかったのだ。
私は夫を支えるために今まで経験したことのない商会の仕事を、四苦八苦しながらもなんとかこなしていった。右も左もわからないまま始めた商会の仕事ではあったが、どうやら私に向いていたようで、気づけばあっという間に仕事をこなせるようになっていた。
しかし夫はそんな私が気に入らなかったのか、私が仕事の話をすると夫はあからさまに不機嫌になり、よく文句を言うようになった。私も文句を言われてまで仕事をしたいわけではなかったが、手伝わなければ仕事が回らないし生活ができない。だから私は懸命に仕事をこなすしかなかったのだ。
この頃から毎日家事と仕事に追われ、日が昇る前に起き、寝るのは日付が変わってからという生活を送るようになっていた。
そんな中、私が思いつきで作った新しい商品が運良く人気となり、商会の再生に成功する。そのお陰で貴族の客が付くようになるのだが、この出来事によって夫婦の溝がより一層深くなってしまう。
その結果、夫が浮気をしたのだ。
相手は新しく雇い入れた従業員だった。夫はバレていないつもりだったのだろうが、私はかなり早い段階から夫の浮気に気づいていた。なぜなら浮気相手の女性が、あちこちに痕跡を残していたから。
ある時はシャツについた口紅、ある時はボタンに絡まった長い髪、そしてまたある時は寝室に置いてあった見慣れない香水。子育ての件で失望はしたが、それでもまだ夫を愛していた。だから初めて夫の浮気を知ったときは辛く悲しかったが、寝室に置いてあった香水を見た時はさすがに汚らしいと思った。
そしてある日、商会で夫と浮気相手の会話を聞いてしまう。
『ねぇ、いつになったら奥さんと別れてくれるの?』
『あーまだしばらくは難しいな。あれは一応貴族の娘だから、こっちからの離婚は避けたいんだよ』
『えぇー?あの人貴族だったの?そうは全然見えないけど』
『まぁな。あいつは少し親切にしてやったくらいで俺のことを好きになるチョロい女だろ?だからあいつの親なら簡単に援助してくれるって期待して結婚したのに、とんだハズレさ』
『そうなの?』
『ああ。孫でも生まれればもしかしたらと思ったがダメだった。本当にあいつは役立たずで困っちまうよ。貴族としても役に立たないし、女としてもお前みたいに役に立たないからな』
『あっ!もうシモンったら。こんなところ奥さんに見られたらどうするの?』
『なーに、どうもしないさ。あいつは俺を愛しているから、何があっても離婚なんてしてくれないだろうしな』
『うふふ、ひどい夫ね』
『なぁそろそろあいつの話なんてやめて一緒に楽しもうぜ』
そこからは聞くに堪えない男女の声しか聞こえなくなった。
私は泣いた。
夫が私を愛していないことには薄々気がついていた。まさかこんな形で真実を知ることになるとは思いもしなかったが、もしかしたら家族は最初から気づいていたのだろう。だから両親は結婚を認めるのにあんな条件を出したのかもしれない。
この日、私の夫への愛は塵となって消え去った。
できることならすぐにでも離婚したかったが、息子のことを思うとどうしても離婚を切り出すことはできなかった。