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彼にエスコートされ列車から降りた。初めのうちは慣れずに戸惑った彼のエスコートは、いつの間にか当たり前になっていた。
だがその当たり前はもうすぐ終わる。
「無事に着きましたね」
「ええ。一年ってあっという間だったわ」
「そうですね」
降りた乗客は出口へと向かい、列車は次の目的地へと走り去っていく。そうしてこの場には立ち止まっていた私と彼の二人だけとなった。
「どうもありがとう。あなたと過ごした一年はとても楽しかったわ」
「僕も楽しかったです」
彼の笑顔を見るとなぜだか胸が痛む。彼に対する罪悪感なのか、それとも何か別の感情なのかはわからない。わかっているのは、今ここで彼の側から離れなくてはいけないということ。
「……ねぇ、カシウス」
「はい」
「あのね、契約のことなんだ」
「アナベルさん」
契約のことを口にしようとしたが話を遮られてしまう。普段の彼は人の話を遮るようなことはしない。きっと私が何を言うのかわかってわざとしたのだろう。しかしここで彼を咎めるわけにもいかず、彼の話に耳を傾けることにした。
「……どうしたの?」
「話を遮ってしまってすみません。だけどどうしても僕との約束を思い出してほしくて」
「約束……?」
「一年前、列車に乗る時に僕がお願いしたことです」
「……あ」
そう言われて思い出した。一年前、列車に乗る直前に彼からお願いされその願いを受け入れたことを。
「思い出してくれましたか?」
「ええ。たしか湖を見に行きたいって言っていたわね」
「はい」
「……そうね、約束は守らないといけないもの」
「ありがとうございます。では行きましょうか」
「ええ」
私たちは駅を後にし湖へと向かったが、湖へ向かう道中、お互いに一言も言葉を発することはなかった。
そして馬車に揺られること二時間。湖へとたどり着いた。久しぶりに見た湖は、幼い頃の記憶よりも美しく見えた。
「きれい……」
「はい。アナベルさんが忘れられないと言っていた意味がよくわかります」
「子どもの頃に見た景色が一番美しいと思っていたけど、大人になってから見る今の景色の方がもっと美しいわ」
幼い頃に見た湖は青い空と太陽が水面に映り、青々とした木々が心地よい風と共に歌う姿に、生命の強さを感じた。だが今目の前にある湖は夕焼けに染まった空と沈む夕日を溶かし込み、少し肌寒い風と鈴虫の音色が儚くも美しい。
だからだろうか。そんな雰囲気に当てられ、柄にもないことを口にしてしまったのは。
「……なんだか世界の一部になったような気分だわ」
「アナベルさんは一部なんかではありません」
「ふふっ、なぁに?私がこの世界の中心だとでも言うの?そんなわけ」
「アナベルさんは僕の世界の中心です」
「え?」
「僕はあなたのいない世界など考えられない」




