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私は今、セーヌ国へ戻るための列車の中にいる。時の流れは早いもので、家を出てからもうすぐ一年が経とうとしていた。
この一年は毎日が楽しかった。長年の夢であった世界中の絵をこの目で見ることができ、絵だけではなく訪れた国で美味しい料理やお酒に出会えたのもいい思い出だ。
お酒と言えば、カシウスがとてもお酒に強いことには驚かされた。成長前の印象からお酒は飲めないだろうと勝手に思っていたら、実際には何杯飲んでもまったく酔うことがなかったのだ。それに引き換え、私はお酒は好きだがあまり強くはない。今までは寝る前に一杯嗜む程度だったので酔うことはなかったが、自由になったばかりでどこか浮かれていたのだろう。
ある日、料理が美味しかったこともあってか次から次へとお酒が進み、お酒に強くない私は酔ってしまった。その結果、宿への帰り道で酔った私は足元が覚束ずに転びそうになってしまう。危ないということは頭で理解できたものの身体はいうことを聞かず、衝撃に備えて目を瞑ることしかできなかった。倒れながらお酒を飲みすぎたことを後悔していると、突然身体がフワリと浮いたのだ。何事かと驚いて目を開けてみると、私は彼に抱き抱えられていた。広い胸板に、細いながらも程よく筋肉のついた腕。それに彼の匂いだろうか、優しい香りがフワリと鼻腔をくすぐる。突然の出来事に私は不覚にもときめいてしまった。まさかこの歳になってもまだときめくことができるとは思わなかった。その相手は九歳も年下だが。
彼は会わなかった五年の間にとても素敵な男性に成長していて、行く先々で若くてキレイな女性たちから声をかけられていた。しかしそんな時彼は決まって迷惑そうな表情を浮かべていたことを思い出した。若くてキレイな女性が相手でもそんな反応なのに、九歳も歳上の女にときめかれたら間違いなく迷惑だろう。だから気づかれないよう少し距離を置くようにしたのだが、その日を境に気のせいか彼との距離が近いなと感じることが増えていく。
そんな状況に戸惑いながらも、旅は続いていった。
この旅はどの順番でどの国にどのくらい滞在するかなどをまったく決めていない、行き当たりばったりの旅だ。
そんな旅が中盤に差し掛かってきた頃、彼からどうしても行きたいとお願いされた国があった。気の赴くままに旅をしていたので、これもひとつの巡り合わせだろうと思い行くことに決めたのだが、その国に着くと彼は一人で行動することが増えていった。わざわざこの国に行きたいと願ったことから何か理由があるのはわかっていたが、今まで必ず隣にいた彼がいないことになぜか寂しさを感じた私は、思いきって彼に理由を聞いてみることにした。すると彼から返ってきたのは予想もしていなかった答えで、彼はその国の第二王子だったのだ。
どうやら彼が一人で行動していたのは、王家の籍から抜けるための手続きをしていたからだそうで、なぜ王家の籍から抜けるのかと聞いてみると
「どうしても欲しいものがあるんです」
彼はそう言ったのだ。
この時の彼の嬉しそうな表情がとても印象的で、今でもふとした瞬間に思い出すことがある。王族であれば手に入らないものなどないのに、どうして彼はその地位を自ら捨てたのだろうか。私には彼が何を求めているのかはわからなかったが、彼が自分で決めたことに口を出すつもりはない。それに王族だろうが王族じゃなかろうが、彼が幸せならばそれでいいと思っている。
私は向かい側の席に視線を向けると、列車の窓から外の景色を眺めている彼がいた。私も外の景色を眺めることにする。今この空間に言葉は存在していないが、苦痛だとは思わない。むしろできることならこの穏やかな時間がもっと続いて欲しいと願っている自分がいる。けれどその願いが叶わないことはわかっているのだ。
まもなくこの列車はセーヌ国へとたどり着く。一年後に彼の側から離れることを、一年前の自分が決めたのだ。そうして私たちは一年ぶりにセーヌ国へと戻ってきたのだった。




