27 ベルタ
さすがに二日も帰ってこないのはおかしいと思った私は、次の日商会へと出向いた。商会には今でもよく出入りしていて、私が来ると息子の恋人であるララさんがお茶とお菓子を用意してくれるのだ。世間では息子と彼女の関係は浮気と言われるだろうが、あんな役立たずな嫁よりも気が利いて愛嬌のあるララさんの方が何倍もいい。
「今日はどんなお菓子が出てくるかしら。……って、あら?」
そんなことを考えながら商会にたどり着いたが、なんだか様子がおかしい。普段なら女性客で溢れているのに、今日は男性ばかりだ。しかもその男性たちは買い物をしているようには見えない。どうしたのだろうかと思いながら商会の中へ入ろうとすると、入り口にいた男性に止められてしまった。
「申し訳ありませんが、関係者以外ここから先には入れません」
「……どういうこと?」
「エバンス商会は現在営業停止中です。ですのでお引き取りを」
「っ!営業停止ですって!?私はここの商会長の母親よ!今すぐここを通しなさい!」
「母親?」
「そうよ!商会長のシモン・エバンスは私の息子よ!わかったのなら早く道を開けなさい!」
「……この様子じゃ何も知らなさそうだから、証拠を隠される心配はないか」
「は?何を言っているの?さっさとどきなさいよ!」
「はぁ。いいか?関係者だから中に入れるが、今この商会は組合からの捜査が入っている。邪魔しようものなら業務妨害で捕まることになるから余計な真似はしないように」
私は急ぎ商会長室へと向かった。その間に先ほどの男性と似たような服装をした人と何人もすれ違ったが、ララさんや他の従業員の姿はまったく見当たらない。
「どうなっているのよ……!」
主人の時にはこんなことは一度もなかったのに、一体何が起こっているのだろうか。
「シモン!」
商会長室の扉を開くと、そこには息子の姿があった。たった二日会わなかっただけなのに、ずいぶんと窶れてしまったように感じる。
「ああ、こんなに窶れちゃって……!」
「……」
「私が来たからもう大丈夫よ!」
「……」
「あいつらがあなたをこんな姿にしたのね!許せない!せっかくあの女がいなくなって清々したっていうのに!私がただじゃおかな」
「母さん!」
「っ!ど、どうしたの?そんな大きな声出して……」
「用事がないのなら出てってくれないか」
「えっ?」
「今はそれどころじゃないんだ」
息子を心配するあまり仕事の邪魔をしてしまったのかもしれない。この状況は気になるが、とりあえず用件だけでも伝えなければ。
「あ、そ、そうね。あなたのことが心配でつい……」
「しばらくは家に帰れないから」
「わ、わかったわ。……あっ!じゃ、じゃあいつものアレをまたお願いしてもいいかしら?」
「……アレ?」
「ほら、化粧水のことよ。お友達がまた欲しいって言っているの。だから」
「化粧水はもうない」
「あ、在庫がないってことかしら?それじゃあ次はいつ頃に」
「在庫の話じゃない。うちはもう二度と売ることができないって意味だ」
「え?ど、どうして?アレはうちの商品じゃない!それなのにどうして売れないのよ」
「……うちの商品じゃない」
「え?何?」
――バンッ!
「ひっ!」
「アレはもううちの商品じゃないんだよ!……くそっ!あいつは役立たずなんかじゃなかったんだ!」
息子が母親である私に向かって大声を出すなど初めてのことだ。なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか。それになぜここであの嫁の話になるのか。私の心に一抹の不安が過った。
「ご、ごめんなさい。あなたを怒らせるつもりはなかったの」
「……」
「で、でもどういうことなの?あいつが役立たずじゃないなんて……。あいつってあの女のことでしょう?何か勘違いしているんじゃ」
「俺だって勘違いだと思いたいさ!でも勘違いじゃないんだよ!」
「シ、シモン……」
「もう帰ってくれ」
「えっ、でも」
「帰れって言ってるだろ!」
「っ、わ、わかったわ。それじゃあ……」
これ以上息子を怒らせるわけにはいかないと急いで部屋から出ていこうとしたが、息子が何か思い出したかのように声をかけてきた。
「ああ、そうだ。ひとつ言い忘れてた」
「な、なにかしら?」
「もう俺たちの離婚は秘密にしなくていい」
「え?どうして」
「はっ!どうしてって、そりゃ口の軽い誰かさんがずいぶんと広めてくれたからな。だから今さら秘密にする意味がなくなったんだよ、母さん」
「っ!」
息子の顔を見ることができなかった。息子は私が離婚の話を漏らしたことに気づいている。冷や汗が背中を伝った。私はようやくあの嫁がいなくなった喜びを誰かに言いたくて、仲のいい友達や顔馴染みの店員にここだけの話だと言って話してしまった。まさか息子の耳に入るほど話が広がるなど思ってもいなかったのだ。
「あ、その……、これには事情が」
「大した事情なんてないのに何を言ってるんだか。ただ言いたくて仕方なかっただけだろ?」
「シ、シモン」
「まぁもう今さらだがな。わかったのなら早く俺の視界から消えてくれ」
「っ……!」
息子のあんな冷たい目は初めて見る。私はその冷たい目から逃げるように急いで部屋から出た。そして家へと帰り扉の前で座り込んでしまったが、立とうと思っても立てなかった。
「どうしよう……」
息子の口振りからしてあの状況には嫁が絡んでいるのは間違いないが、詳しいことはわからない。息子を怒らせてしまったこともどうにかしないといけないが、それよりも借りた金の返済をどうにかしなければならない。今の時点でわかっていることは、化粧水がもう手に入らないということだけ。友人に化粧水を売った金で借金を返そうと考えていたのに、このままでは返すことができない。それはまずい。どうにかしなければと必死に考えるも何も思い浮かばず、ただ時間だけが無情に過ぎていくのであった。
後から知ったが、金を貸してくれた金貸しは悪徳で有名だった。私はそんなことも知らずに多額の金を借りてしまったのだ。借金は日に日に膨れ上がり、借金の返済に追われるようになる。
そしてある日ふと気がつくのだ。嫁のいた頃が一番いい生活を送っていたということに。




