第16話 厄災
ハーフエルフであるドロシーは見た目は少女だが実年齢は俺と同じ四十歳だ。
人間より遥かに長寿であるエルフは肉体の成長と老化が遅く何百年も若い肉体を保っている。
しかし精神は相応に成長するので数十年生きたエルフは見た目と異なりまるで老人の様な印象を受ける事もある。
聞いた話ではドロシーの母親であるエルフはドロシーを生んで間もなく若くして流行り病で亡くなったという。
父親と二人きりで長く森の中で暮らしていたドロシーは父親の影響で老人というよりはどこかおっさん臭いところがある。
騎士団にいた頃やロウゼリアの聖女として過ごしていた日々で少しはおっさん臭さは鳴りを潜めていたかと思ったが結局彼女の本質はあまり変わっていないようだ。
ドロシーは皇都を出てからロウゼリアの聖女になるまでの経緯を語った。
「あの後落ち着ける場所を探してひとりで各地を歩いて回っていたんだけどさ。たまたま寄ったミノ盆地の入口にある酒場で飲んだワインがめっちゃ美味しいのよ」
「ああ知ってる。宿場町にあったワインの事だろ。確か立往生とか呼ばれてるやつ」
「そうそう、それで気持ちよく飲んでたら酒場のマスターが三杯以上は出せませんっていうのよ。ケチよね」
「ははは、あのワイン本当に酔うからね」
「だからこっちもムキになってさ。強引に奪って十杯飲み干してやったのよ。あ、後でお代はちゃんと払ったからね」
「十杯ってお前……大丈夫だったのか」
「あはは、それが全然ダメ。マスターの言う通りだったわ。そこから酔っぱらって記憶が曖昧になってどこをどう歩いたか気が付いた時には森の中で酔い潰れてたよ」
「森の中でって……」
エルフは元々森に生きる種族だ。
更に彼女の父親も同じく森で生きる樵だ。
言わば森のサラブレッドともいえる彼女であるがいくらエルフでも森の中で野宿をしたりはしない。
ワイルドにも程があるだろう。
俺は苦笑をしながらドロシーの話の続きに耳を傾けた。
「気が付いたら目の前に牛の頭をした化け物が立ってるじゃない。もう無我夢中で抵抗してさ。我に返った時には目の前に牛肉のミンチが散らばってたよ。後は教頭も知っての通り、魔獣を討伐した女神エストライアの使い、つまり聖女としてロウゼリアの人達に祭り上げられて今に至るってワケ」
さすが酔えば酔うほど強くなる酔拳の使い手ドロシーだ。
あの銘酒立往生も彼女にとってはひとりのバーサーカーを誕生させるトリガーにしかならなかったようだ。
「それがミノタウロス討伐の真相か。全く、花聖女だなんて言われてるぐらいだからどんな可憐な乙女かと想像したが現実がこれだとはエストライア教の信徒が知ったら幻滅するだろうな」
「それな!」
お互い笑いあった後でドロシーは真剣な眼差しで呟いた。
「まあでも私もロウゼリアの人達には良くしてもらってるしさ。日頃の恩返しはしたいじゃん?」
「そういえば化け物がどうとか言っていたな。ミノタウロス以外にも何かいるのか?」
「そうなのよ、とんでもないのがミノス湖の中に一匹。さっきそこの姫さんには話をしたけどもう一度説明するね」
ドロシーはそう言いながら本棚から一冊の古びた書籍を取り出してテーブルの上に広げた。
そこにはを湖の底を泳ぐクジラのように巨大なナマズの絵が長い解説文と共に描かれている。
「ええと何々……ミノス湖の主ヴェルストラフ。古代魔獣魚の生き残りであるこの魔物は地震を引き起こす力を持っている……か。こいつがその化け物なのか」
「そうよ。教頭に退治するのを手伝ってもらえると助かるんだけど」
ドロシーは俺に向けて両手を合わせてお祈りをする仕草をする。
聖女が祈りを捧げるのなら相手は俺じゃなくて慈愛の女神エストライアだろう。
「生憎だが俺にはデュッケ侯爵の荷馬車をトサ高地まで無事に送り届けるという任務がある。悪いけど他を当たってくれ」
「教頭の事情も分かるけどこっちも引けない理由があるんだよ」
ドロシーはテーブルの上に地図を広げてその中央に描かれた聖都ミノアの周りを指で大きく円を描きながら言った。
「あれを放置すると聖都だけじゃなくてミノ盆地の周辺にも被害が出るわよ。トサ高地だって無事じゃすまないと思う」
「おいおいずいぶん大袈裟な事を言ってくれるな。この本を読んだ限りでは地震を起こすといっても小揺れ程度ものだそうじゃないか。放っておいてもいいんじゃないか?」
「問題なのは地震の規模じゃなくてこの辺りが火山地帯だったってこと。神話の時代から天敵もいない湖の中で際限なく成長を続けたものだから最近は地震の規模も大きくなってきてね。もし地震に誘発されて眠っている火山が活動を再開したらかなりの範囲が火砕流に飲み込まれることになるわ。だから手遅れにならない内に退治したいのよ」
「うーん……」
俺は再度このミノ盆地一帯の地形を確認する。
盆地の中央、ここ聖都ミノアの付近にあるミノス湖は古の時代の噴火の跡、巨大なカルデラ湖だ。
その湖の大きさから噴火の規模は想定できる。
確かにドロシーの言う通り再び同規模の噴火があればこの辺り一帯どころかトサ高地やリンカ峠を含めた広範囲が徹底的に破壊しつくされるだろう。
「仕方ない、それが本当なら俺も協力するしかなさそうだ」
「そうこなくちゃ。それとこのお姫さんの力も借りて良いかな?」
「は? ルーティラ姫を?」
それはさすがに調子に乗りすぎだ。
仮にも一国の姫様をそんな危険に巻き込む事はできない。
エリコ達親衛隊も当然抗議をするが当のルーティラ姫は落ち着いた様子で答えた。
「分かりました協力しましょう。私は何をすればいいですか?」
「姫様いけません、そのような危険なことは我々に任せておけばいいのです!」
「いいのよエリコ。帝国の皇妹として領内の民衆の危機を指を咥えて見ているわけにはいきません。それに……」
ルーティラ姫はチラリと俺を見てすぐに視線を戻した。
「姫?」
「いえ何でもありません。聖女ドロシー、何か作戦があるなら教えて下さい」
「さすが姫さん話が分かる。じゃあまずは武器を調達しに行きましょうか。あんたの斧壊れちゃったしね」
俺はため息をつきながら言う。
「お前が壊したんだろう」