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7 速攻おにぎり作り

 カタカタと、キーボードを打つ音が響く。猫達はソファで寝たままだし、セイはさっき、廊下の方へと行ってしまった。


「……んー!」


 私は、ソファ前に設置してあるローテーブルの、その上に置いたノートパソコンから目を外し、軽く伸びをした。

 ……人がいる時の在宅ワークって、あまり集中できないかと思ったけど、セイはこっちに気を遣ってくれてると分かるから、安心できる。どうやってか分からないけど、物音一つ立てないようにしてくれてるし、なにか声をかける時も、タイミングを図ってくれる。

 むしろ、そっちこそリラックスして、と言いたくなるくらいだ。


「……さて、もうひと頑張りしますか」


 只今の時刻は十一時半。お昼休憩は十二時から午後一時まで。

 で、時計を見たら、ずっと頭の片隅にある疑問が、ほんの少し、浮かび上がる。

 セイ、お昼どうするんだろ。


「……んまぁ、なるようになるか」


 独りごちて、またパソコンとのにらめっこを再開した。


   *


「──ですから、知人の家に居るだけですってば」


 セイは──車崎アオイは、スマホの通話口に向かって、やや抑え気味の声でそう言った。

 本当は、普通の声量で話しても問題ない。辺りの音は魔法で消し去るようにしているのだから。けれど、そうと分かっていても、出来るだけあの人の邪魔をしたくなくて、そういう振る舞いをしてしまっている。

 そんな自分を、自覚している。


「……、ええ、分かってます。三日後の公演も、そのすぐあとの撮影も、その後の予定も。……今日は休みのはずでしょう? どうして電話なんかかけてきたんですか」


 その声はやや厳しさを帯び、ナツキと話していた時の穏やかさは消えている。


「……、……そうですか、分かりました。…………ええ、では」


 通話を切り、スマホを耳から離し、車崎アオイは溜め息を落とした。


「……いつまで、……いや……」


 "それ"をしなければ、金を稼げないことくらい、生きていけないことくらい、分かっている。

 自分に出来るのは魔法くらいのものだし、その魔法が嫌いな訳でもない、手品が嫌いな訳でもない。お客さんだって喜んでくれているし、『車崎アオイ』として生きて、マジシャン『アジュール』としての生活を始めてからもう数年。ファンだと公言してくれる人も、ちらほらと出てきてくれ始めたのだ。

 ……ただ、最近、それが、満たされている筈のその生活が、……とても、重く感じる。


「……ナツキさん……」


 車崎アオイ──セイは、廊下のドア越しに、誰にも聞こえないほどの声量で、その名を呼んだ。


   *


「お昼について、というか食べること自体に対して、君はもっと真剣になったほうがいいと思うよ」


 キッチンで、朝につけたエプロンをまたつけながら言うと、


「いや、すみません」


 隣に並んで立つセイに、軽く頭を下げられる。

 午前の仕事を終えて、セイに昼をどうするか聞いたら。


『……考えてませんでした……』


 と、呆然と答えられた。


『……君ね……』

『いえ、その。本当ここのところ、食とは縁遠くなってまして。概念が』

『朝も聞いたね、概念』


 で、なら買うか、作るか、帰るか、と三択を出してみたら。


『……また、ここで食べたいです』

『じゃ、買う? 作る? 私、自分の分しか用意してないからさ』

『つく、……、僕、簡単なものしか作れなくて……』


 しょげられてしまった。


『……魔法で、パパッと作れたりしないの?』

『その……魔法の類にも、得手不得手がありまして……いえ、僕の修行不足なのですが……』


 さらにしょげてしまったセイを見て、私は『そっかそっか』と努めて軽く声を出す。


『じゃあ、また私が──』

『いえ、そんな。朝だって作ってもらいましたし。……少しなら、お手伝い出来ると、思いますので……』


 で、一緒に作ることになった。

 セイには仕舞っていたエプロンを渡して着てもらって、キッチンに二人並んで立つ。

 ちなみに私のエプロンもセイのエプロンも、男物である。私がデカいのもあるし、自分の趣味からものを選ぼうとしたら、こういう選択になってしまったのだ。けど、いやあ、セイとそう変わらない背丈で良かったわ。貸すエプロンのサイズに悩まなくていい。


「朝はパンだったから、別のもんがいいよねー。私、おにぎりだし、セイもおにぎりでいい?」

「はい。それなら僕も作れると思います」

「二個作ろうか。ご飯もまだそれだけあるし」

「ありがとうございます」

「たらこと梅ぐらいしか具がないんだけど、いい?」

「ええ」

「どっちがいい? どっちもにする? あ、塩がいい?」

「えっと、では、たらこと梅を、一つずつで」

「よっしオッケー」


 調理台に、実家から送られてきた梅干し、買っておいたたらこ、塩、ラップに包んでいた冷凍ご飯、ラップ、海苔、大小の皿を用意して。


「ではこれから、速攻おにぎり作りを始めます」

「速攻おにぎり作り」

「そう。じゃ、セイ、この冷凍ご飯をレンジで解凍して」

「はい」


 冷凍ご飯をセイに渡し、私はタッパーから梅干しを一つ取り出し、包丁で手早く種を取る。たらこもまな板の上で一口サイズにカットして、それらを小皿に置いておく。海苔もご飯の量から目分量で大きさを決め、セイのおにぎりが二つだから二枚、長方形に折って切り取っておく。そしてもう二枚、同じのを作る。この二枚は、私のおにぎり用だ。

 まな板と包丁はもう使わないから、洗ってざっと拭いて、水切りラックへ。残りの梅干しとたらこと海苔も、冷蔵庫へ。


「セイ、どう?」

「あと少しです」


 レンジを覗き込んでいるセイが、神妙な顔つきで言った。


「了解」


 私はそれに頷いて、調理台に向き直る。そこにラップを敷き、塩を振った。同じものをもう一つ作る。

 あー、このキッチンが広くて助かるって思ったの、今日で二回目。

 と、レンジが鳴って、解凍が出来たと告げてくる。


「熱っ!」


 との悲鳴に振り向けば、セイが素手で、熱々ほかほかの、湯気が漂う解凍したてのご飯を持とうとしていた。


「……セイ、持てなかったら鍋つかみ使ってね。そこに下がってるから」


 私は、レンジ横の棚に掛かっている鍋つかみを指し示す。


「……え、あ、……はい……」


 セイはハッと気付いたような表情をした後、気落ちした顔になって、鍋つかみを取った。そして鍋つかみを手につけ、今度こそ、少し引き気味になりながらも、ご飯をレンジから取り出す。


「じゃあそのラップを剥がして、ご飯を二つに分けて、このラップの真ん中に置いてね。……出来る?」

「……えっと、……やってみます」


 真剣な表情になるセイ。調理台の開いているスペースに熱々ご飯を置いて、鍋つかみを元の位置に戻してくれて、それから恐る恐るラップを剥がしていく。


「熱っ!」

「私やろうか?」

「いえ、大丈夫で、熱っ!」


 見ていてヒヤヒヤするけど、セイは、なんとかラップを剥がすことに成功した。そして、私へと顔を向けて。


「……ナツキさん。ここから、どうやって二つに分ければ良いんですか……?」


 途方に暮れた顔をされた。




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